東日本大震災・大川小津波訴訟 仙台高裁判決 事前準備の不備を認め、県と市に賠償責任 他の学校事件・事故への影響は? - 渋井哲也
※この記事は2018年05月12日にBLOGOSで公開されたものです
東日本大震災で発生した津波によって、宮城県石巻市の大川小学校では、児童70人が死亡。4人が行方不明となった。このうちの児童23人の遺族が、市と県に対して損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、仙台高裁(小川浩裁判長)は3月26日、判決を下した。
高裁は二審の争点だった事前対策について、遺族側の主張を認めて、不備を認めた。市教委は「危機管理マニュアル」を策定・改定し、災害対策を整備することを義務付けられていたが、それを怠ったとし、組織的過失を認定した。賠償額は一審よりも1000万円上積みし、約14億3600万円の支払いを命じる内容だった。組織的過失が認められたのは津波訴訟では初めて。これを受けて、判決不服とした石巻市と宮城県は上告する。
「勝訴」の中に子どもの名前が書かれた垂れ幕をかかげる遺族
遺族側は「先生の言うことを聞いていたのに!!」と書かれた垂れ幕を持ちながら裁判所に入った。
この日は遺族や支援者、メディア関係者らが詰めかけ、傍聴席が埋まった。私は抽選に外れ、裁判所の外で結果を待っていた。
判決が言い渡されると、遺族が裁判所の正門に駆け寄り、「子供たちの声が高裁にも届いた」「勝訴」「組織的過失を認める」との垂れ幕を掲げた。「勝訴」の文字の中には亡くなった子どもたちの名前が書かれている。
原告団の団長を務めた今野浩行さんは、当時小学校6年の長男、大輔くん(享年12)を亡くした。
「校長先生、教頭先生、教務主任、あと石巻市教育委員会の責任も認められた。この組織的過失を認めたということは、非常に今後の防災に対して大きい意味を持つことだと思います」
と報道陣に向かってコメントを発した。今野さんはこの日いつもより早起きし、大川小の旧校舎に出向いて、手を合わせた。仏壇ではきょうもまた、「行ってきます」「見守ってください」と声をかけた。仏壇にはお酒が置いてある。生きていれば、大輔くんは今年20歳。控訴審の最終陳述でも「いい判決を肴に息子と酒を酌み交わしたい」と言っていた。「一審よりも我々の主張が認められている」と言っていたが、市や県が上告する可能性があるため、「その腹づもりでいる。きょうは判決文を仏壇に備えて、『こんな判決になりました』と報告するくらい」と気を引き締めていた。その後の会見ではこう述べた。
「率直なところホッとした。判決前から足が震えており、いまだに止まらない。それだけプレッシャーを感じていた。一審では津波到達7分前からの予見可能性を認められただけだった。これで本当に子どもの命を守れるのかと思った。しかし、今回は、防災無線で津波警報発令の時間からの避難開始を前提としている。判決は学校防災の重責となるのではないか」
事前対策の不備を認めるも、事後対応については遺族側の主張を退ける
一審判決(仙台地裁)では、事前対策である津波想定の避難マニュアルの不備や津波想定の避難訓練をしていなかったことの責任は問われなかった。一方で、市広報車が避難を呼び掛けた午後3時半ごろまでには、教員たちは大津波襲来を予見できたと認定していた。それに比べれば、二審判決(仙台高裁)は、マニュアルがきちんと整備されたことを前提にすれば、適切な避難行動ができた、としている。
判決要旨によると、当時の校長と教頭、教務主任(生存教員)、そして市教委(校長ら)は「危機管理マニュアル」では、想定される地震によって発生する津波から児童を安全に避難させるのに適した避難所を定め、避難経路、避難方法を記すなど改定すべきだった義務がある、とした。
その義務は、市教委による通知「学校における災害対策体制の整備について(依頼)」による期限(10年4月30日)時点で在籍していた児童とその保護者に対する職務上のものだが、それを怠ったとした。つまり、市教委が自ら災害体制の整備を呼びかけたにもかかわず、各学校のマニュアルを把握し、不備があれば指導しなかったことで、過失を認めた。
「子供たちの声が高裁にも届いた」という垂れ幕を掲げたのは、佐藤美広(みつひろ)さん。当時3年の一人っ子・健太くん(享年9)を亡くした。
「ほっとしたのが最初の気持ち。息子は常に私の心の中にいる。話していることも息子は見ていると思う。きっと『7年間、よくやった』と言ってくれていると思う」
佐藤さんは判決を聞いている間、野球ボールを持っていた。健太くんは2年のころから野球をしていた。持参したボールは最後にキャッチボールをしたときのものだ。昨年夏は、このボールを持って、阪神甲子園球場で高校野球選手権大会を観戦した。
会見では、「『行ってきます』と言った子どもたちを無事に『おかえりなさい』と言わせるのが教育の原点だと思う」と言っていた。訴訟に関して、一番最初に口にしたのが佐藤美広さんだ。大川小の事故検証が終わった後の記者会見で「裁判」という言葉を口にした。それだけ思いが強かった。会見後に、そのときを振り返って話を聞こうとした。
「ちょっとここでは言えない。みなさんと違うから、わかってっちゃ」
と一言を述べた。なぜ言えないのかというと、佐藤美広さん夫妻は他の保護者と比べ、年齢が上。遺族の中には、震災後に新たに子どもができた人たちもいる。しかし、年齢を理由に、子作りはしていない。その意味では、将来の再発防止よりも、行政への責任追及のほうに強い思いを持っている。
震災後に子どもができない夫婦たちの思い
子どもがいないのは佐藤美広さん夫婦だけではない。原告団長の今野浩行夫妻もだ。そして中村次男夫妻もそうだ。中村さんが住んでいた尾崎地区は住めなくなった。娘・香奈さん(当時小3)を亡くした。会見でこう話した。
「娘は当時9歳。生きていれば今は高校2年生。7年という時間は長く感じた。今回の結果は、私たちが言っていることが間違っていなかったということであり、判決で確信に変わった。ただ、震災で生き残った母親が2月に仮設住宅の浴槽で亡くなった。時間がかかりすぎ。すごく後悔している。二度と、こんな苦しみがないようにしてほしい」
中村さんは娘が震災で亡くなったことと、今年、母親が亡くなったことが重なり涙した。あらためて聞くと、こう話していた。
「うちの母親は自分の孫の分まで生きたかったと言っていた。その予定で家を建てた。母親のために屋内は段差もなくしたけれど、亡くなってしまった。長く仮設住宅にいすぎた。こういうのは5年をめどにしてほしい。遺族だって若返るわけではないし。いい加減、ここで終わりにしたい。
正直に言えば、判決では事後対応の不備も認めて欲しかった。また、生存教員にもしゃべってもらいたい。あとはその2点。しかし、そこで終わりたい。うちらも生活をしていかなければならない。娘にも仏壇とお墓に報告するが、正直(生きていれば)20歳になる年は超えたくない。上告となれば、間違いなく超える。(当時)小学3年生の子どもの死の司法判断を、成人式まで引っ張ってはダメだと思うんだよね。そこを市長や県知事には考えてもらいたい」
一審は県や市が控訴すると、遺族側も控訴した。そこでマニュアルの不備や津波想定の避難訓練をしていないなどの事前対策や、救助活動に参加していないことや児童からの聞き取りメモの破棄、亀山市長の「自然災害における宿命」という発言など事後対応の不備も主張していた。高裁判決もこの点には触れず、遺族の主張を退けた形だ。
判決後に「勝訴」と書かれた垂れ幕を掲げていた鈴木義明さんは、記者会見では釈然としない表情で言葉が少なかった。当時6年生の長男・堅登くんが亡くなった。また、当時4年生だった長女・巴那(はな)さんは行方不明だ。「今回の判決については、事後対応については言及して欲しかった。この事件が終わってないので、これ以上のコメントは差し控えさせていただきます」と言っただけだ。会見後に話を聞くと、県や市が上告するのではないかとの情報が入っていたためのようだ。
「県や市は上告をするのではないか。全部終わってないとコメントはないという意味。県知事は『他の遺族は我慢している。君達も我慢しなさい』というようなことを言っていた。今の知事である限り、永遠に(戦いは)続くのではないか」
県や市は上告するのか
一審判決のときは不服として県は控訴したが、知事としての専決処分として行った。宮城県議会では「議会軽視だ」「説明責任を果たしていない」などと批判が相次いだ。そのため、県議会からの要請で、全員協議会で村井知事が説明したが、質疑がないことから反発もあった。一方、石巻市は臨時会で控訴するかどうかを審議した。結果、賛成16、反対10で可決され、控訴にいたっていた。今回はどのような判断が下されるだろう。
今回の判決を受け、石巻市の亀山市長は判決当日、市役所で記者会見を行った。「大変厳しい結果と受け止めている」としたが、上告するかどうかは「白紙の状態」として、判断を留保した。村井県知事も「裁判結果は大変厳しいと受け止めている。判決が出たばかりなので、しっかりと精査したい」と述べるにとどまった。
今野原告団長の妻、ひとみさんは会見で涙した。それは「これで終わりかなと安心したもの」だったという。「裁判が終われば今日で苦痛がなくなると思っていた。終わってよかった。でも、市が上告するかどうか。それ次第では疲れるよね。結局、まだまだっちゃ」と、つかの間の休息という意識もあるようだ。
ハザードマップはそのまま信用すべきではない!?
判決では、現在の学校防災を大きく転換させる点がいくつかある。たとえば、ハザードマップをどう評価するかだ。判決では「津波ハザードマップが示す予想浸水区域図は、予想浸水区域の外には本件想定地震により発生する津波が来襲する危険がないことを意味するものではない」とある。
斎藤雅弘弁護士の説明によると、現在のハザードマップは堤防崩壊を前提としていない。その上での避難所の設置は結果として誤り。ハザードマップを信用するのではなく、学校の実情に応じて独自の立場から検討することが必要だと指摘しているという。
そして、大川小付近の北上川まで遡上する津波の発生を予想される地震が発生した場合には、第二次避難場所である校庭から速やかに移動し、避難すべき第三次避難所と避難経路、避難方法をあらかじめ定めておく必要があったとしたが、大川小では第三次避難(マニュアル上では「第二次避難」)の準備はしてない。判決では、区域内では適切な高台や建物がないとしながらも、隣接区域として「みやぎバットの森」を示している。
「みやぎバットの森」は、東北楽天イーグルスが誕生したことで、県内各地にバットの原木となるアオダモを種とした広葉樹の森づくりを地域住民と子どもたちが05年から行っている。避難所とされているのは、07年に大川小の児童と大川小の生徒が植樹をした場所で、標高20mを超える。1年生でも校門から約20分で到達できるという。
学校事故・事件でも「組織的過失」の考えは広がるか
学校長等の責任について、学校保健安全法を根拠としたことも大きい。26条は、こうなっている。判決は29条にも触れている。学校保健安全法 第26条
学校の設置者は、児童生徒等の安全の確保を図るため、その設置する学校において、事故、加害行為、災害等(以下この条及び第二十九条第三項において「事故等」という。)により児童生徒等に生ずる危険を防止し、及び事故等により児童生徒等に危険又は危害が現に生じた場合(同条第一項及び第二項において「危険等発生時」という。)において適切に対処することができるよう、当該学校の施設及び設備並びに管理運営体制の整備充実その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする。
学校保健安全法 第29条
学校においては、児童生徒等の安全の確保を図るため、当該学校の実情に応じて、危険等発生時において当該学校の職員がとるべき措置の具体的内容及び手順を定めた対処要領(次項において「危険等発生時対処要領」という。)を作成するものとする。
2 校長は、危険等発生時対処要領の職員に対する周知、訓練の実施その他の危険等発生時において職員が適切に対処するために必要な措置を講ずるものとする。
3 学校においては、事故等により児童生徒等に危害が生じた場合において、当該児童生徒等及び当該事故等により心理的外傷その他の心身の健康に対する影響を受けた児童生徒等その他の関係者の心身の健康を回復させるため、これらの者に対して必要な支援を行うものとする。この場合においては、第十条の規定を準用する。
26条の「努めるものとする」との表現は努力義務である、との解釈がある。しかし、判決は「学校保健安全法26条ないし29条が保護しようとする法的利益」は「公共施設としての学校の安全が確保されること」、「これに対する児童生徒の保護者の信頼」であって、「公教育制度を円滑に運営するための根源的な利益」とした。
それは「教育委員会及び校長以下の学校運営者の自由裁量に任されているわけではない」、「とりわけ危機管理マニュアルの作成を含む安全管理の領域について、これと同様」としている。
会見で吉岡和弘弁護士は「学校保健安全法が抽象的な規定ではない、一人一人の子どもたちを守っていくための具体的な規範だということを明確にした。全国の学校安全を大きく前進させる判断になると思う」と話した。
また、斎藤弁護士は「安全確保の義務は学校の根源的な利益を守るもので、学校運営者の自由裁量にまかされているものではないというもの。行政事件を担当すると、自由裁量の範囲では責任は問われない、という判断がされることが多い。しかし、学校に関しては、自由裁量ではない。これまでの同じように判断できない」と指摘した。
この考え方で言えば、学校防災だけでなく、いじめや体罰、不適切な指導における児童生徒の自殺にも学校保健安全法が使えるようになることを示しているのでないだろうか。
文科省は有識者会議を設置し、検討を行った上で「学校事故対応に関する指針」を16年3月に公表した。同年12月には「『学校事故対応に関する指針』に基づく適切な事故対応の推進について」を通知している。
「指針」は、「事故発生の未然防止及び事故発生に備えた事前の取組」、「事故発生後の取組」、「調査の実施」、「再発防止策の策定・実施」、「被害児童生徒等の保護者への支援」とに分かれている。これらは学校保健安全法を前提とする。学校防災だけでなく、広く、学校管理下で起きた事件・事故災害を対象としている。そのため、判決が確定されれば、今後の学校事件・事故関連の裁判にも影響を与えるかもしれない。
石巻市、宮城県はともに上告。「最高裁の判断を仰ぎたい」
8日、石巻市は仙台高裁の判決を不服として、臨時議会を招集。起立採択が行われ、賛成16、反対12、その他1で、最高裁への上告の方針を承認した。高裁への控訴のときは賛成16、反対10、その他3だった。
これを受けて、石巻市とともに一審被告である宮城県は、上告期限が迫っていることから臨時会を見送った。県議会は10日、全員協議会を開催。村井嘉浩知事は「控訴審判決は踏み込みすぎではないかと思っている。上告をすべきではないという声もあるが、私自身、何が正解か判断できない。最高裁の判断を仰ぎたい」と説明した。そして上告を専決処分した。遺族たちが懸念していた通り、最高裁での決着となるようだ。