※この記事は2015年02月13日にBLOGOSで公開されたものです

吉川圭三[ドワンゴ 会長室・エグゼクティブ・プロデューサー]

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スタジオ・ジブリの鈴木敏夫さんは以前にも紹介したように、大変な読書家である。

昨年2014年8月発売の雑誌「アエラ」鈴木敏夫責任編集号は、その意味でとてもお得な雑誌だった。色々な特集があったが、「鈴木敏夫を宮崎駿につなげた232本」という本のリストは、筆者にとってはとても有り難い収穫だった。ジブリのお二人が推薦していることもあるが、彼らの膨大な読書歴の中から選んだ232冊だから、個人的嗜好も多少あるものの面白くないはずがない、と思ったのだ。

やはり、映画にしても、本にしても、美味しいお店にしても、ある程度信頼できる方が推薦してくれたものは「当たり」である確率は高い。大学時代にこんな読書体験をしていたら、その後の人生が変わっていたかも知れない・・・というのは大げさだろうか?

「アエラ」の「ジブリ推薦本」では、吉川英治の「宮本武蔵」、江戸川乱歩、民俗学者・宮本常一から、ちばてつや、田中角栄の本まで幅広く紹介している。読書体験は人間形成にとっては「なくてはならない」通過ポイントだと思う。読書は他人の脳が構築した世界を辿ることで、自分の脳の体質再構築を深いレベルでする作業だからだ。

筆者も、昨年8月以来、遅まきながらこのリストに載っている本を注意深く選びながら現在も一冊一冊攻略している次第だ。時に、あまりに一冊が濃くて2~3日呆然と過ごしてしまうこともある、強烈な本のオンパレードである。

時々、鈴木さんと会った時に、「あの本を読みましたよ。」と言うと、嬉しそうに「読んだ?」と言いながら、克明にその本の裏話等をしてくれることもある。

西武グループの堤清二・義明兄弟、父・堤康二郎の物語を英国人が書いた『血脈』というノンフィクションを読んで唖然としていた筆者は、次に読む本の選択を迷っていた。そして、『血脈』を読んだ後に読むのなら「軽いほうがいい」と思ったからだ。

結局、芥川賞作家で『暴走老人』でベストセラー作家となった藤原智美さんの『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』という本を手に取った。この本を選択した理由は「ジブリ232冊」で選ばれていた唯一のネット関係の著作だったからである。なぜ彼らがこの本を選んだのか? にも興味があった。・・・でもこの本、読んでみると、実はちっとも軽くなかったのである。

帯には、

「今、全世界で500年に一度の『ことば』の大転換期が始まっている『書きことば』に変わる『ネットことば』が人間の思考の根本を変える」

とある。また、裏表紙には、

「ネット時代の到来で書き言葉の根幹が揺らいでいます。それは国家の揺らぎであり、経済の揺らぎであり、社会の揺らぎでもあります。」

と書かれている。先日紹介したドワンゴ会長・川上量生に推薦された『ネット・バカ』とは、違う論旨だが印刷された言葉や書き言葉を生業とする作家という立場から今のネット環境が今後社会の何を変えるのか? ということについて古代の石版に刻まれた文字の時代から丁寧に考察した良著だった。

書き言葉が近代を作った。印刷技術が近代化を加速した。 紙幣という印刷物が無くなる日が来るだろう。 高い読み書き能力が日本近代発展の原動力であった。 方言消滅の意味するところ。(言葉の中央集権化・管理化) 新聞は想像上の共同体を作ったが、新聞が万一終わると近代も終わるだろう。 近い未来、英語が世界語(日本でも)になる。 個人用にカスタマイズされたニュースサイトが出来る。隣の人と見ているニュースが違う時代。これは何を意味するか? ネット時代が学校をなくしてしまうかもしれない。(自宅ネット学習誕生) 「ネット言葉」では「他人のことば」と「自分のことば」の境界が曖昧になる。 「誰のことばかわからないことば」が拡散して行く時代の到来。 「ネット言葉」ではスピード・高速化を意識するあまり内容が劣化する。 ネットでは「短いほど良い文章」であるという概念が出来る。さらに「ネット言葉」は画像・音声、映像との競争を強いられている。 秋葉原の無差別殺傷事件の男の出版した本。彼の書いた本を読むと彼は「書き言葉」(本)を読んでいたのか?疑問である。 「個」の時代からネットで「つながる」時代。しかし「つながり」「絆」という言葉にはある種の欺瞞性を伴う場合がある。一方「書き言葉」ははっきり個による「思考力」を強化する。 こういう状況・未来予測がされる中「書き言葉」の良さをもう一回、再認識してほしい。

以上が本書の(主に後半の)要点であるが、沢山あるネット関連本の中からジブリのお二人がこの本をチョイスしているのが面白い。

ジブリは(ご存じの様に)ほとんど未だに「手書き」でアニメーションを作っているし、お二人も年齢から言って「書き言葉世代」であることは想像に難くない。鈴木さんは新しモノ好きでネットにも詳しいし、ハイテク好きである。でも、ネットの便利さも認識しつつそれが人間に与える影響をいつも考えている様だ。

ところで、あの人である。そう、ドワンゴ会長・川上量生さん。あの人はこんなある種ネットに対してネガティヴなこの本を読んでいるのか? 無遠慮な筆者はある機会にちょこっと聞いてみた。

筆者「この本読んでますか?」

川上会長「ああ、その本読んでますよ。」

時間がなかったので感想は聞けなかったが、読んでるだけで思わず「偉い」と思ってしまった。ネット関係者があまり読みたくないであろう種類の本だからだ。苦言や否定的な意見を聞きたくないのがほとんどの経営者。川上さんはこの本に書いてあることは全て想定内であると思っているのかも知れない。あの人だったらありうることだ。

でもここで思った。そういえば川上さんはジブリ「プロデューサー見習い」でもあるので、ジブリの鈴木さんに薦められたのかもしれない。薦めたとしたら鈴木さんらしい興味深い啓示に満ちた行動だ。

・・・というわけで「あの本」に関しての真相は「闇の奥」である。