<何年か後にテレビを懐かしむ資格>本気でテレビを愛さなかったあんた!テレビを金儲けとしてしか考えなかったあんた! - 吉川圭三
※この記事は2015年01月24日にBLOGOSで公開されたものです
吉川圭三[ドワンゴ 会長室・エグゼクティブ・プロデューサー]***
筆者がテレビ局の入社試験を受けようと決めたのは、大学4年の夏のことだ。その年の10月1日から面接が始まった。
当時、筆者は映画マニアであったが、米国映画大学留学を目指していたものの資金のあてもなく、結局「テレビ局だ。」と目標を変えていたという状況だった。テレビ局に入ればドラマが作れる。当時テレビのドラマはある種、玉石混合であったが大傑作もあまたあったからだ。
受験対策に何をしたか? 筆者の場合、こういう時の回答はいつもワンパターン。「関連本を読みあさる」だ。神田・神保町の本屋に行って手に入るだけの「テレビに関する本」を読み、夏の間、家から一歩も外へ出ず没頭した。そして「自分が試験官だったらどんな質問をするか?」と50問位書きだして問答集を作った。それをひたすら頭にたたき込む・・・そんな感じだった。
さて、日本テレビの3次試験の時のことだ。局長級の面接で高級な会議室に呼ばれた。2枚の写真を見てそれについての所感を述べよ、という試験が出た。
1枚は墜落したスペースシャトルの写真。・・・筆者は宇宙旅行ファンでもあるし、そもそも理科系だったので事故の経緯までスラスラと答えられた。もう一枚は脚本家・向田邦子の写真だった。向田氏はその一年前に台湾の高雄上空で飛行機墜落の為に亡き人となっていた。
筆者は向田邦子のエッセイ「父の詫び状」他をほとんど読んでいた。また初期の森繁久彌・竹脇無我の「だいこんの花」以来の向田ファンであり、TBSの「時間ですよ」「寺内實太郎一家」等のコメディ、後年のシリアスな家族劇「阿修羅のごとく」「あ・うん」も見つくしているので、向田作品とその変遷が日本のドラマにどう影響を与えたかについて話すことができた。
今思えば、全くラッキーな出題だった。映画とテレビドラマが好きな理科系の男は珍奇なこともあってか、日本テレビだけに(他は全て落ちた)どうにか入社することができたわけだ。
思えば、その当時は大御所で言えば脚本家の山田太一のドラマも好きだった。松竹大船に入社し木下恵介の薫陶を受け、あの「岸辺のアルバム」「思い出づくり」「ふぞろいの林檎たち」を書いた。どれも傑作だ。
あの頃、放送時間になると事前にトイレを済ませて食い入るように見ていた記憶がある。筆者の兄が何故か部屋を暗くしたりして観賞した思い出がある。山田さんの作品は現代の風俗・社会の風景を巧みに取り入れていたので、同化作用が働きのめり込んでしまう。アイデアマンでもあり腕も抜群だった。
そのほかにも名脚本家はいるが、小学生のころから熱中していたのは「北の国から」の脚本家・倉本聡さんの作品だった。私はエンドのスタッフロールを記憶する癖がありNTVの「2丁目3番地」という都会的なホームコメディを見ていた頃から、「このセリフ回しは何か独特だ。」等とと思い、複数書かれていた中に倉本さんの名前があった事を記憶している。
後に倉本さんはNHKの大河ドラマ「勝海舟」を局サイドと揉め途中降板してしまう。当時の芸能ニュースの中でも爆弾級の出来事だった。その後のドラマNTV「前略おふくろ様」で筆者は完全にイカれた。
萩原健一が神楽坂の料亭で修業する板前。先輩はヤクザ路線から転向した梅宮辰夫。ショーケンの朴訥としたセリフ回しが堪らない。雪深い山形蔵王のスキーロッジにいる賄い婦は老いた母・名優・田中絹代。そんな母に毎回、萩原は手紙を綴る。
思わず「こんな制作現場にいられたらなあ。」などと、高校時代、真剣にそんな事を漠然と考えていた。
さて、筆者の就職の時に話は戻る。
就職のためテレビ関係の本を漁るうち古本屋でこんな本を見つけた。
倉本聡「六羽のかもめ」シナリオ全集
NHKで倉本さんが局と揉めたあと、フジテレビで放送された伝説のドラマであった。この本に付けられた価格は小遣いの範疇だったので購入した。放送されたドラマ自体は面白かったが確かそんなに高視聴率ではなかったと思う。
最終回のタイトルも凄い。
「さらばテレビジョン」
(シナリオが筆者の手元にないので、以下は上智大学の碓井広義教授の東京新聞の記事から引用・構成)
テレビ業界の内幕ものである。今では作れないだろう。最終回の劇中劇では、政府が国民の知的レベルが下がると言って「テレビ禁止令」を出す。終盤、山崎勉演じる放送作家が、こんな思いをぶつける。
「だがな一つだけ言っておくことがある。(カメラを指して)あんた! テレビの仕事をしていたのに、本気でテレビを愛さなかったあんた! (別を指す)あんた! テレビを金儲けとしてしか考えなかったあんた! (他を指す)あんた! 良くすることも考えずに偉そうに批判ばかりしていたあんた! あんた!! あんた達にこれだけは言っておくぞ! 何年たってもあんた達はテレビを懐かしんではいけない。あの頃は良かった。今にしてみればあの頃のテレビは面白かった。後になってそんなことだけは絶対言うな。お前らにそれを言う資格はない。懐かしむ資格のあるものは、あの頃懸命にあの状況の中で、テレビを愛し闘った事のある奴。それから視聴者―愉しんでいた人達。」
・・・読者のみなさん、強烈でしょう。このセリフ。
あのころが熱い時代だったとは知りながらも、今でもなにか胸に迫るものがありませんか? 「愛・闘い」こんな単純な言葉がテレビを羽ばたかせてくれるというのは少々楽観的でしょうか?