※この記事は2014年12月22日にBLOGOSで公開されたものです

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列島の水没を待つ亀のようだ――。2020年の東京オリンピックのメインスタジアムとして建設される新国立競技場の「修正計画案」に対して、著名な建築家である磯崎新さんが苦言を呈した「意見書」は大きな反響を呼んだ。

だが、マスメディアの報道では「列島の水没を待つ亀」「巨大な粗大ゴミ」といった刺激的なフレーズに注目が集まり、磯崎さんの真意が十分に伝えられていない感がある。磯崎さんの意見書には修正案への批判だけでなく、「競技場とセレモニーの分離」「二重橋前での開会式」などの具体的な提言も含まれていたが、そこにはどんな狙いがあるのか。

磯崎さんは11月中旬、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見を開き、海外メディアに向けて、意見書に込められた意味を説明した。その詳しい内容を紹介する。(取材・高橋洸佑)

「21世紀型の開会式」はスタジアム以外の場所で

「11月5日にリリースした私の個人的なコメントは、いろいろな形で取り上げていただきました。今日は、私がなぜこれを書いたのか、どういう立場でこのプロジェクトを理解しようとしていたのか、ということについて説明したいと思います。

現在の案は、最終段階の『一歩手前』と理解しております。

ただ、メディアで発表されている、いろいろなプロジェクトのプロセスを見ていくと、最初のコンペ段階の案のイメージがあり、これがザハのアイディア、イメージだと、強烈に印象づけられているように思います。僕自身もこの春まで、そういうイメージで理解してきました。

しかし、この案(修正された基本計画案)が6月に発表されたとき、ずいぶん印象が変わったと思いました。これが、私なりのコメントを書いた一番のきっかけです。

今日お伝えしたいのは、三つのポイントです。

まず、現在までのプロセスをみていると、このスタジアムで、オリンピックの開会イベントをおこなうということが前提になっていて、そのイメージが、さまざまなプロジェクトに対する関心を呼んできました。

それは理解できるわけですが、21世紀のオリンピックの『新しいフォーマット』を考えた場合、いままでの10万人程度の閉ざされたアリーナでは、新しいイメージが組み立てられない。むしろ、スタジアムは、オリンピックのデザインの基準に合う冷静な判断のもとで、プログラムの要請にしたがったものに組み替えるべきである、と考えました。

環境との関係や景観上の問題として、高すぎるとか、大きすぎるとか、重すぎるとか、いろいろなことが言われています。こういう意見は十分に取り入れて、整理できます。それにもかかわらず、オーバーロードしているのは、オリンピックの開会式に使うための『派手で大きなもの』を組み立てようという大きな動き、イメージ作りにあるのではないか、と思いました。

そこで、『開会式の会場』をスタジアムから別の場所に移して、スタジアムは純粋に『競技』に集中してほしいというのが、一つ目のコメントです。

1936年のベルリン大会で、メインスタジアムを大きなプロパガンダ装置として演出することが始まりました。それ以来、そのフォーマットは20世紀型のオープニングセレモニーの形になっています。

それがずっとつながってきて、一番最後にやったのが、北京オリンピックの『鳥の巣』の中でのオープニングセレモニーだったと思います。そこでは、非常に細かい演出がなされたわけですが、これはやはり『20世紀型のセレモニー』にすぎなかったと、私は思っています。

いまのオリンピックのセレモニーは、『10万人』が臨場感を持って見ることができます。しかし、情報化した現代では、『10億人』がライブで見たいと思っているのが、一般的な常識です。全世界がテレビを見ているわけです。

今後、その人数が10億人になるのか20億人になるのか私には計算できませんが、インターネットを見たり、テレビを見たり、たくさんの方法で視聴がなされるはずです。この効果をもっと考えていくべきではないか。

新しいメディアの時代のオリンピックのオープニングは、そういう形で広がっていくことができる。東京オリンピックは、そのイメージを作り上げるいい機会ではないか、と思っています。

そこで一つの提案ですが、開会式の場所として、東京の二重橋前の、いま松並木で埋まっている場所の半分を使ってみる。12万人ぐらいの観客を入れながら、もっと広い背景、もっと広い演出の舞台を作ることができると考えられます。そこでは、さまざまな演出メディアやカメラで、空から中から地下からと、いろいろな形で映像を組み立てることができる。

これは建築の問題というよりも、全世界の情報をつないでいく大きなイベントの新しい組み立て方として理解していただけたらと思います」

オリンピックの記憶を「全国各地」に残せるように

「セレモニーは、オリンピックとパラリンピックのオープニングとクロージングということで、計4回あります。これはテンポラリーな一回きりのイベントです。その一回きりのものを永遠のものにするというのが、メディアの世界の組み立て方だと思います。

そのときには『仮設のもの』さえあればいい。この仮設のものを、できれば50ぐらいに分解できるエレメントにして、オープニングのセレモニーを作る。そして終わった後は、日本全国の各都道府県に、この50のエレメントをオリンピックメモリアルパーク、オリンピックメモリアムスタジアムという形で置く。

これは、今でいう地方創生とどう関係あるかは分かりませんが、少なくとも東京一極に集中するものではなくて、全国でこれをシェアし、さらに将来に向けてメモリーもキープする。こういう形で組み立ててもらえるといいな、ということを思いました」

イベント会場の構想に「コンペ入賞者」を参加させる

「そういう形でプロジェクトが動くとき、どういう建築家がデザインをやるべきか、という議論がありますが、建築家の立場をできるだけ尊重してほしいと私は思っています。

今回、国際的なコンペティションで一等案が決まりました。それがザハ・ハディドの事務所の案です。これは当然ながら、いかにさまざまな条件が加わり、アイディアが整理されるとしても、メインスタジアムのデザイナー、建築家であるということは、ぜひとも記憶していただかないといけない。それが、国際的なコンペのルールです。

もう一つ、このコンペのときのいろんな条件を見ると、SANAAという日本の設計事務所の案が、この一等案とかなり比較されて検討されている。本人と相談していないので何とも言えませんが、このチームが新しいイベント会場を構想するときには参加して、デザイナーとして考えていってもらえるといいなというのが、私の個人的な希望です。

というのは、私もさまざまな国際コンペに応募したり、審査員をやったことがありますが、そのとき、一等が実際の仕事を担当する建築家になっていく。これは当然ですが、さらに複数の入賞者がいます。次に関連するプロジェクトがあるときには、この複数の入賞者から適切なタイプの人が選ばれるというのが常識です。

2年前のコンペのときの条件としては、スタジアムとイベントセレモニーの会場という形で、プログラム・リクワイアメントが二つ重なっていた。今後は、これを二つに分けて、バランスを取って計画してもらえると、かなり整理されるんではなかろうか、ということです」