本田圭佑、C.ロナウドは「反骨心を力に変える天才」 10代で自ら確立した精神的支柱
連載「世界で“差を生む”サッカー育成論」:精神面の充実が左右する選手の成長度合い
スペインサッカーに精通し、数々のトップアスリートの生き様を描いてきたスポーツライターの小宮良之氏が、「育成論」をテーマにしたコラムを「THE ANSWER」に寄稿。世界で“差を生む”サッカー選手は、どんな指導環境や文化的背景から生まれてくるのか。今回は選手の成長を左右する精神面について、3人の名手を引き合いに自立した個の重要性に迫る。
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育成においては、「選手はたとえ子供であっても、バックボーンを見つけられるか」が大きな差を生む要素になる。
例えばキリスト教圏の国々では、まさに宗教的なものが見えざる支えになっている。勝負の不条理を乗り越えていくには、後ろ盾や“戻るべき場所”が必要になる。ブラジル人選手はインタビューなどでは活躍した後、「神様のおかげで」と枕詞のように使う。それだけ、サッカーというスポーツが信仰的なものと結びついている証左だ。
イタリアの伝説的プレーヤーであるアレッサンドロ・デル・ピエロは、敬虔なキリスト教徒の母の影響で、幼少期には礼拝にやってきていた。もっぱら教会の裏でボールを蹴っていただけだったが、そのコミュニティにいることで身につく宗教心があるのだろう。
筆者が訪ねた時、空き地には小さなゴールを置いたグラウンドが残っていた。
「教会に来て、とにかくボールを追っていましたよ。優しい子でした。それは大人になってからのアレッサンドロに通じるものがあります」
グイード神父はそう振り返った。
「当時からアレッサンドロは上手かったので、足を蹴られたりしていましたが、決して蹴り返したりしませんでした。いくら酷い目に遭ったとしても、カトリックでは報復行為は認められないのです。ただ、教えを守ってじっと耐え忍んでいる姿を見ると、やるせない気持ちになりました。でも、そうやって人間としても大きくなったのでしょう」
一つの行動規範の中で、精神的に成長できたのだろう。デル・ピエロは自らに答えを求め、鍛錬を積み、ファンタジスタとなったのだ。
こうした宗教的なバックボーンは、日本人は持ちにくいと言えるかもしれない。
C.ロナウドは「10歳ですでに大人だった」
その代わりに、指導者は拠りどころになるものを子供たちに与えるべきだろう。それは昔だったら、「しごき」のようなもので、「これに耐えたのだから、なんでも乗り越えられる」というものだった。しかし、それはあまりに効率が悪かったし、弊害をも生み、もはや人権的にも許されない。
現場のコーチは、その点で創意工夫や人間性を求められるようになっている。もっとも、その教えはたいそうなものでなくていいし、頭でっかちの理論や理屈ではない。例えば、野球界における世界的スターになった大谷翔平のように「落ちているごみを拾ったら、それだけ運を拾える」という学生時代からの教えのようなもので、何気ない人生のヒントだ。
子供自身、教わるだけでなく、自ら精神的支柱を立てられるか。
それで成長の度合いは大きく変わる。
筆者は、世界最高のサッカー選手の1人、クリスティアーノ・ロナウドが生まれたマデイラ島でルポ取材を行ったことがある。そこで、ロナウドの生育環境をつぶさに見た。坂の途中にある自宅はボロボロのあばら家で、父親は定職につけず、兄はドラッグ中毒で、母親が働いて家計を立て、夜まで1人なことが多かった。
しかし、ロナウドは世の中を恨んでなどいない。彼にとっては、その「絶対的不利」という状況が自らを駆り立てる土台になったのだ。
「信じられないかもしれないが、ロナウドは10歳ですでに大人だった」
当時、ロナウドがいたクラブのコーチだったアントニオ・メンドーサはそう話していた。
「1人の男として、自立しているように見えたね。自分の道をすでに自覚していて、子供特有の“隙”がなかった。いつも神経を尖らせ、雰囲気を読むのも上手かったよ。それがあまりに大人びていて悲しくもなったが、この状況では言動を控え、今はチームを盛り上げるために声を上げるとか、感覚的に知っていた。学校の勉強は不得意だったが、その意味ではとても賢かった。だから、チームメイトにも心酔されていた」
本田が味わった挫折…心を折られるたびに強くなった
ロナウドは「泣き虫」と言われ、よく泣いた。しかし泣くたびに強くなっていった。それはまるで漫画のヒーローのようだったという。
「涙は子供として、許容範囲を超えた感情をリセットするものだったのかもしれません。本来の自分を取り戻す手段だったのでしょう。実際は、大人と子供の狭間にいたんでしょうね」
メンドーサは少し悲しそうだった。
与えられる教えには限界がある。結局は、本人が何をつかみ取れるか。教えられてプロになるような程度の選手は、結局は伸び悩む。
日本を代表する選手になった本田圭佑も、反骨心をエネルギーに変換する天才だ。ガンバ大阪のユースに昇格できなかった挫折は、一つの原点だろう。
「お前ら、どんな恥ずかしい思いをさせてくれるんや!」
それは怒りの感情にも近かったという。
「父親からは『何かやるなら必ず一番であり続けろ』と教えられてきたんで。ほんま厳しかったんですよ。だからガンバで落第した時も、当然のように叱責を覚悟していたんですが、何も言われなかった。顔色を見て、あれだけ厳しかった親父も、あの時だけは何も言いませんでした。だからこそ、俺はあの時やる気になったんやと思います」
その後も、本気で挑み続けた本田は、心を折られるたびに強くなった。
結局、歩みを止めず、教えをアップデートできる者だけが生き残れるのだ。
(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)
小宮 良之
1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。