3組に1組は離婚している時代ですが、いざ離婚しようとなっても簡単なことではありません。
長年連れ添った配偶者との離婚を決める際、さまざまな事情があります。ここでは、20年の結婚生活にピリオドを打ったという佐藤まどかさん(仮名・48歳)にお話を伺いました。

離婚したいと思っていたら…まさかの夫の大問題が勃発




離婚したいと思っていたら、ある日夫から「偽装離婚」を提案され…(写真はイメージです。以下同)

離婚は2度目だという佐藤さん。元夫は同じ高校の同学年で、20代のころ人生や仕事について語り合った“親友”だったそう。最初の結婚がDVで破綻したときも助けてくれ、1歳になったばかりの息子を連れて再婚。息子は2人目の夫を本当の父親だと思って育ちました。

再婚生活は20年。今度こそ間違いのない相手を選んだはずでしたが、元夫は予想に反してモラハラ男。佐藤さんは2度目の結婚も失敗だったと認められず、結婚18年目にしてようやくいつか必ず離婚しようと考えるようになりました。
それから2年。ある日突然、夫の方から離婚を提案してきたのです――。

※ここからは、佐藤さんの語りで構成します。
※すでに離婚をしていますが、ここでは「夫」としています。

●夫の事業破綻から「偽装離婚」を切り出され…



ある月曜日、私は夫を新幹線の最寄り駅まで車で迎えに行きました。名古屋出張から夫が最終便で帰ってきたのです。夫は数年前からネット通販の店を開き、私はそれを手伝っていました。このころ夫は毎月10日間から2週間ほど、出張と称して名古屋に出かけていました。

夫は車に乗ると、腰が痛いので翌日病院に行くと言い出しました。そしてさらに「自己破産するつもりで、資金を残すために偽装離婚する」と続けたのです。

「え、会社の資金繰りがどうにもならないってこと?」
「そう。だから偽装離婚してできるだけ資金を残したいんだ。形だけのことだから、生活は変わらないよ」

翌日車で夫を病院へ連れて行くと、夫はそのまま入院になりました。原因は椎間板ヘルニア。後からわかったことですが、出張先で風俗に頻繁に通い続けた結果、腰を痛めたというわけです。

知るよしもなかった私は急いで家に戻り、入院の支度を整えて再度病院へ向かいました。夫はなんと個室に入っています。自己破産するという割には、この数年で夫はすっかりセレブ気取りになっていました。

●入院の翌日に発覚した元夫の風俗通い。証拠が次々と



翌日の午後病院に行くと、夫は期日の迫った書類があり、それを持ってくるようにと言いました。

私は自宅に戻って夫の机で書類を探しました。しばらくするとブインと音がして、夫のパソコンモニターにホーム画面が映し出されました。夫はパソコンにパスワードをかけていて、普段はホーム画面を見ることができません。それがなぜか立ち上がって、ホーム画面が見えているのです。私は確信があったわけではありませんが、そのまま夫のパソコンの中身をチェックすることにしました。

フォルダを順番にあけていくうち、予想以上のものが出てきました。ソープランドのソープ嬢とやりとりしたメールや、キャバクラ嬢と撮った写真です。写真は嬢の名前のついたフォルダで整理され、7つありました。


夫の通っていたソープランドは2時間65000円という高級店。
メールの日付で最も古いのは5年前。通販ショップを始めた頃です。店を立ち上げたばかりでお金が必要なのだろうと、夫が生活費を入れなかったのを追求しなかったのに、こんなことに使っていたのです…。

さらにこの2年間は大阪のセクシーキャバクラ(セクキャバ)にも通っていました。セクキャバとは女性を触るような直接的なサービスのある店です。夫の通っていた店は有名店で、客の日記やレポートが簡単に見つかりました。そのサービス内容は「いかがわしい」という言葉がピッタリ。とくに私が夫の店を手伝いはじめ、ようやく売り上げが増えていった時期から、セクキャバ通いは頻度を増していたのです。
自己破産の理由はこの風俗通いだったというわけです。

後日、私は店名や料金体系、サービスの料金相場を調べあげました。私の計算では夫は毎月100万円以上を使う太客だったのです。夫は少なくとも1500万円、多ければ2000万円以上使い込んだ計算になります。
夫は複数の銀行から計1600万円を借り入れて自己破産しました。さらに私が息子の大学費用にためていた数百万円の貯金もすべて使っていたのですから、私の計算はだいたい合っていたことになります。

●家族のこともそっちのけで、名古屋で繰り広げる不倫



あとから考えれば夫の不可解な行動に思い当たることがいくつもありました。

夫はその年の自分の誕生日にも名古屋にいました。1人の誕生日は寂しいだろうと、私はサプライズでプレゼントを買って夫の滞在するホテルに送り、フロントに頼んで当日部屋に持って行ってもらいました。
ところが夫は「いきなりホテルの人が来て、パンツで寝てたから驚いた」と繰り返すばかり。一度も嬉しかったと言いませんでした。これは想像ですが、誕生日にお気に入りのお店の女の子を部屋に連れ込んでいたのかもしれません。

さらに、私の誕生日の翌日には、名古屋でキャバクラ嬢の誕生日を祝っていました。仕事で名古屋に行かなければならないと夫は言っていましたが、お気に入りのキャバクラ嬢の誕生日だったわけです。その証拠に夫の荷物からは、ブランド物の靴やスカーフのレシートも出てきました。キャバクラ嬢からの“朝の”メッセージカードもありました。わかりやすい証拠がどんどん出てくるのです。

●夫「コブつきと結婚したんだから、妻が働くのは当たり前」




もっとも信頼できる“親友”と再婚したと思っていましたが、夫と「噛み合っていない」ことは結婚早々気づきました。なんと夫は、「コブつきと再婚してやったんだから、妻(私)が多く稼ぎ、多く苦労するのは当たり前」と本気で考えていたのです。

私は再婚するにあたって、息子も丸ごと受け入れてくれた夫にそれだけ愛されているのだと思い込んでいました。頭の中がお花畑だった私は、夫にこう言ってしまいました。
「仕事も私がする、家事も私がする。息子をかわいがってくれるだけでいい」

この言葉を聞いたときの本音を、18年後に夫が話してくれました。

「君の言葉を聞いたとき『やった!』って思ったよ。これでオレ、一生働かなくていいって思った。コブつきとこっちは初婚で結婚するんだから、それくらいの特典はないとね」

2人で家計を支えるのは当然のこと、たとえ私がそういったとしても、それを真に受けて自分がラクをしようと夫が思っていたなんて想像もしていませんでした…。

●働こうとしない夫、一層ひどくなるモラハラ



それからは、夫は私が収入を増やした分だけ、仕事を減らしました。30〜40代の働き盛りの頃でも夫にはほとんど収入がなかったのです。

それでも夫は、OLだった頃の私の仕事をつまらない仕事といってバカにしました。その理由は夫は結婚してからしばらくの間、小さな連載を大手出版社のWebマガジンで持っていたからです。更新は2か月か3か月に一度。ほとんど仕事はなかったにもかかわらず、それでもすっかり“クリエイター気取り”でいました。

仕事がなくなると、夫は小説を書いて賞に応募すると言い出しました。一方私は家計を支えるために闇雲に働き、子育てをし、家事もしました。夫は私が少しの家事や小さな仕事を割り振るだけで、私のせいで小説を書く時間がないと文句を言い続けました。結局夫は30代の10年間、書いた中編小説は1本、賞に応募したのは1回だけ。後に30代を棒に振ったのは私のせいだとひどく責めてきました。

その後も夫のモラハラはひどくなる一方でした。それから約10年後に私が夫の店を手伝うことになったとき、夫ははじめて家計をすべて負担することになりました。そのせいか、夫の振る舞いは目に見えて横柄になりました。

たとえば「おはよう」や「おやすみ」などの、普通の挨拶もまともにしなくなりました。私が声をかけても無視し、自分が言いたいことだけを一方的に言うようになりました。夕食ができて声をかけても返事もせず、私と息子を15分も待たせても「ごめん」の一言もありませんでした。

私たちは結婚当初から、家族が出かけるときには玄関の外に出て手を振って見送るのを習慣にしていました。どんなに激しい口論をした翌朝も、私たちはこの習慣を守ってきました。しかしこの頃になると夫は、私を見送らなくなりました。そして見送られても、無視するようになりました。

●長年耐えてきたがついに離婚を決意




私が夫の仕事を手伝い始めると、店の売り上げはみるみる増えていきました。理由は簡単です。恒常的に仕入れ超過だったので、倉庫にあるものをどんどん出荷して売りさばいたからです。
ところが夫はこれに安心したのか、事務所にほとんど来なくなりました。月に1回か2回、夕方にやってくるだけ。仕入れは夫の担当でしたが、それをきちんとしなくなり、売るものがたりなくなっていきました。

それから、冒頭で語ったように、夫の名古屋出張は増えていったのです。そしていつも「資金がたりない」と言っていました。怪しいことに手を出すようになり、メルカリでブランド品を買い、靴墨でみがいて高く売るといった詐欺まがいのことも私に強要しました。反対すると「意識が低い」と言って責め立てました。

そんな生活が長く続くなか、私は「いつになるかわからないけれど、必ず離婚しよう」と決心しました。一方で夫は、絶対離婚しないと繰り返していました。自分の人生が思いどおりにいかなかったのは私のせいで、離婚してなぜ自分が損しなければならないのだと本気で言っていました。こんなことを平気で口にする夫の品性の低さは呆れるばかりです。

正直、夫から偽装離婚を提案されたときは、すぐに離婚する覚悟がありませんでした。でも風俗通いの証拠を見て、私もついに腹が決まりました。息子はまだ大学生でしたが、奨学金を受給していました。死ぬ気で働けば私と息子の生活費くらいなんとかなります。なにより浪費する夫がいないので、むしろラクでしょう。決めてみれば希望があるだけ。まさに千偶一載のチャンスです。あとは決行するのみでしたから。

平穏を求めてしたはずの再婚生活は思った以上に長く続いてしまいましたが、ようやく離婚できた今ではホッとしています。

<取材・文/長根典子>