「子どもが2歳のとき実家の父が認知症に」育児と介護、ダブルケアの厳しい実態
※本稿は、相馬直子,山下順子『ひとりでやらない 育児・介護のダブルケア』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
■ダブルケアは「突然」はじまる
「子どもが生まれ、育児に専念しようと思っていたときに、父親が脳梗塞で倒れた」
「子どもを保育所に預けて、職場に復帰してしばらくしたら、親の様子がおかしいことに気づいた」
このように、「突然」はじまるのが、ダブルケアです。
子育てには、妊娠、出産を経て、親としての自覚が芽生え、少しずつ子どもの育て方を学んでいき、親になっていく過程があります。自分のライフステージに合わせて、ある程度計画的に進めることもできます。
それに比べて、多くの介護は「突然」はじまります。カッコつきの「突然」にしたのは、実際には予兆めいたものがあっても、「突然」やってきたと感じるダブルケアラー(ダブルケアをしている人)の方が多いからです。
■「子育てを手伝ってもらってから介護」だと思っていたのに
タイミングは人によってさまざまで、赤ちゃんの世話に慣れたと思ったところで、あるいは産後に職場復帰し、子育てと仕事の両立に奮闘している真っただ中で、または子どもが幼稚園に行きはじめて自分の時間ができると思った矢先に、親が自分一人では生活ができないような状況が訪れます。
「こんなはずじゃなかった」と思う方が多いようです。
「介護は、子どもがある程度育ってからくるものではなかったの?」「自分の親が介護をはじめたとき、自分はもう高校生だったではないか」と。
あるいは、親に子育てを手伝ってもらった後で介護がくるのが当然と思っていた、という声もありました。
もっと先にくるはずだった介護が急にはじまり、どうしてよいかわからない。そのような状況にあるダブルケアラーの方に、たくさんお会いしました。
ここで、ダブルケアが「突然」はじまった方の実例を、いくつかご紹介します。
■子どもが2歳の時に始まった両親の介護は、10年に
はじめにご紹介するIさんは、父親の主たる介護者は母親だったものの、定期的に愚痴を聞く、買い物をする、手続きをするという形で、母親を支えてきました。
【Iさん(40代女性、フリーランス、子ども20歳、12歳)のケース】
過去10年間、実の両親の介護に関わってきました。父親の認知症がはじまり、母親が主に介護をしていましたが、情報収集や書類の手続きが苦手な母親に代わって、介護申請、ケアマネジャーとのやりとり、成年後見人の申し立て手続き、施設入所手続き、実家の売却と引越しなどを代行してきました。
自宅から実家までは車で片道1時間程度です。実家に定期的に通うようになったとき、子どもは10歳と2歳でした。フリーランスで仕事をしており、下の子は保育所に通っていましたが、迎えに間に合わないときは近所の友人や、上の子にお迎えを頼むこともありました。
また、母親から毎日のように電話があり、父親の状況や生活の不満を聞きました。父親は、「散歩」に頻繁に出ていってしまって、朝6時でも夜でも行ってしまうから、止めに来てほしいという電話が母親からかかってきました。父親はその後グループホームに入り、4年前に癌で亡くなりました。
父の他界から1年後、母親にパーキンソン病のような症状が出て、歩くことや物を持つことが難しくなり、往復2時間かけて買い物を届けたり、日常を助けたりするようになりました。10年間、母親を訪ねて月に数回、実家との往復が続きました。その母も特別養護老人ホームに入りました。
とくに大変だったのは、父親がグループホームに入るころです。疲れがピークに達して食事がとれなくなったり、過呼吸になったりしていました。あまりに大変で、そのころのことはあまり思い出さないようにしています。
■直接的な介護だけが介護ではない
私たちのインタビューに応えてくれた方たちは、次のような体験も、「介護」のエピソードとして聞かせてくれました。
「オンラインで買い物を定期的にして実家に送っている」
「通院の予約をとり、一緒に行く」
「週に1回実家に行って、掃除をしている」
「1日3回電話をして、父親の様子を確認している」
「電話で父親の介護をする母親の愚痴を聞いている」
このような行為も介護と考えると、もしかしたら、より多くの人が「自分もダブルケアラーである」と思い当たるかもしれません。
■新しい形の介護労働
介護に関わる濃度と頻度はさまざまです。日常的には介護をしていなくても、親の生活が成り立つように、ケアマネジャーやヘルパーと連絡をとりあっているという声も聞きました。
こういった関わり方は、介護保険法が施行されたことによって生まれた「介護マネジメント」とでも呼ぶべき、新しい形の介護労働だといえます。
介護マネジメントとは、ケアマネジャーやヘルパー、地域包括支援員、あるいは主治医など、ケアを担う専門家と連携をとりながら、親の生活を支えていくことです。
そもそも、介護サービスがどうやったら使えるのかを調べたり、実際にサービスを受けるための申請をしたり、ケアマネジャーを見つけるところから、介護マネジメントははじまります。そして、施設への入所が必要となれば、施設を探し、申し込み、入所した際には、施設に通い、必要なものを届けたりします。すべて「介護」の一部です。
介護保険法の施行によって、同居や近居でなくても、介護マネジメントという形で、親の介護に関わるケースが増えています。さらにいえば、遠距離でも親や義理親の介護に関わることが可能になり、より多くの方が「自分は介護している」と認識するようになったといえます。
■休職し、娘の保育所も退所して両親を介護
Eさん(那覇市および横浜市、30代半ば女性、パート勤務、子ども2歳)のケース
30代半ばで、2歳の女の子がいます。夫の転勤にともない、沖縄に住みはじめました。父親は癌の手術のあと認知症が進行し、寝たきりになり要介護5、母親は要支援ですが、身体が弱く、一日の大半を横になって過ごしています。
介護している事情を話して美容関係の仕事を休み、2、3カ月に一度、1週間ほど横浜の実家に滞在し、両親の生活をサポートしてきました。
父親が癌の手術で入院した後、母親も疲れが出たのか、1週間後に入院。母親の入院を知らせる電話がケアマネジャーさんから入ったため、とりあえず実家にかけつけましたが、父親の施設探しや母親の退院の援助など時間がかかると予測し、一度沖縄に帰りました。そして娘の保育所の退所手続きをし、自分も休職届を出して、荷物を実家に送り、3カ月前後のつもりで実家に戻ってきました。滞在中に、父親の施設選び、病院から施設への移動、母親の生活のサポート体制を調整する予定です。
2歳の娘が、保育園にやっと慣れたところで退園してしまったので、お友達と遊ぶこともあまりできず、精神的に不安定になっているのが心配です。さまざまな手続きのための役所まわりや、施設見学も、すべて子どもを連れていかなくてはならず、話に集中できないこともあって大変です。
このように、介護保険法の施行によって遠距離での介護が可能になったとはいっても、介護の度合いによっては、近居や同居でなければ支えられないケースも多々あり、子育ても同時進行している場合はなおさら、その負担は非常に大きくなるのです。
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相馬 直子(そうま・なおこ)
横浜国立大学大学院国際社会科学研究院教授
1973年生まれ。子どもや女性が自由に生きられる社会の条件や道筋について、家族政策の比較研究から考えている。
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山下 順子(やました・じゅんこ)
ブリストル大学社会・政治・国際学研究科上級講師
1974年生まれ。ヨーロッパと東アジア諸国を比較しながら、社会政策が人々の家族関係や介護関係にどんな影響を及ぼすのかを研究する。
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(横浜国立大学大学院国際社会科学研究院教授 相馬 直子、ブリストル大学社会・政治・国際学研究科上級講師 山下 順子)