どこか贔屓のチームを作る。あるいはお気に入りの選手を作る。

 これは、サッカーファンになる近道は? の問い掛けに、かつて多くの識者が答えていた内容だ。それが観戦を続けるモチベーションになると。それに対し筆者は、サッカーは基本的に見て面白いスポーツなので、何試合か観戦に出かければ必ず虜になる。ハズレの試合に出くわしても、我慢してもう2、3試合見続ければ、当たりの試合に遭遇できる。それを繰り返していけば、いずれ大当たりの試合に遭遇できる。贔屓のチームや選手をわざわざ作るより、サッカーの魅力を信じるべしとの考えでいるーー。
 
 前々回の当コラム「応援ではなく、見る派。僕はサッカーを信用している」に記した内容の一部だが、僕の意見が絶対だと言っているわけではない。押しつける気はないが、サッカーを好きになるのが一番ではないかとの見解には、確信を持っている。
 
 かつて、こうした問い掛けをされたこともあった。ライターとしてサッカーの世界に進出するには、どうすればいいか? これは、僕以外にも向けられた問いでもあったが、中にはこうした答えを返している人もいた。

「どこかのチームに強くなる。あるいは特定の選手と強いパイプを築く」
 
 先述した「どこか贔屓のチームを作る。あるいはお気に入りの選手を作る」というサッカーファンになる道と、ほぼ同じ答えである。もちろん、これについても全否定するつもりはない。実際、理に適った意見である。あるチームに詳しい、あるいは、ある選手に強いと言うことは、他のライターとの差別化に繋がる。強みにはなる。
 
 チーム関係者や選手と親しくなれば、特別な話を入手しやすくなるかもしれない。よいスクープ記事が書けるかどうかはさておき、取材対象者との距離を縮めれば縮めるほど、よいノンフィクションを書くチャンスは増す。コメントが満載された今風の記事、スポーツ新聞的な記事も書きやすくなるかもしれない。しかしデメリットもある。その分、書けない話、書きにくい話も増えてくる。
 
 批判や批評はしにくくなる。選手や監督と、どれほど親しくなっても何かあれば、それは違うんじゃないかと、意見し合える関係にあるのなら問題はない。しかし実際、取材対象者と、よい大人の関係を築くことは簡単ではない。

 Jリーグの場合は特に危ない。いわゆる番記者が批判や好ましくない批評をすれば、クラブ側が出禁を命じてくる場合さえある。地方クラブほど、そうした旧態依然とした体質を抱えている。ライターがジャーナリスティックな活動ができにくい環境にある。

 筆者の場合は「どこか贔屓のチームを作る。あるいはお気に入りの選手を作る」ではなく、取材対象者に必要以上に接近しない、程よいスタンスで取材活動に臨みたいと思っている。

 何事に対しても中立でありたいとの気持ちが先に立つからだ。もっと言えば、それが筆者の考えるライター像だと思うからだ。ライターと一口にいっても、いろんなタイプがある。中立志向の低い人もその中にはたくさんいる。何度も言うが、それは決して悪いことだと思わない。趣味の問題だと思う。

 とはいえだ。どちらが王道かと問われれば「中立」なのではないか。日本代表となると、民放の中継は日本を応援するスタンスを定番にするが、その昔は違った。中継がNHKに限られていた頃は、今とはノリが違っていた。実況と解説はもっと抑制的な喋りをした。日本と韓国が戦っても、現在のように、日本に一方的に肩入れすることはなかった。かなり中立的なスタンスで構えていた。現在のスタイルになったのは、“ドーハの悲劇”以降だと記憶する。