写真はイメージです

写真拡大

 時代は日進月歩の勢いで進み、貧富の差が拡大する格差社会へ。急激な社会の変化は、一方でそれに適応できず、ストレスを抱え込む人たちを生み出す。近年増えてきている「依存症」の中でも、特に目立つのは「性依存症」だという。そこで、『やめられない人々 性依存症者、最後の「駆け込み寺」リポート』(現代書林刊)の著者であり、医療法人榎本クリニック理事長である榎本稔氏に、その実態について聞いた。

 私は東京都内にある6か所でメンタルクリニックを運営しています。池袋本院を中心に、6つのクリニックヘ毎日、約900人の患者さんが通ってきます。

この記事のすべての写真を見る

 その約900人のうち、4人に1人は「依存症」の患者さんです。依存症にはさまざまなタイプがありますが、いちばんよく知られているのは「アルコール依存症」でしょう。かつては「慢性アルコール中毒」、略して「アル中」と呼ばれていました。

 また、高度経済成長期に急増したものに「ギャンブル依存症」があります。競馬、競輪、ボートレース、パチンコなどに過度にのめり込むのがギャンブル依存症です。

「性依存症」は現代病

 ここ10年あまり、目立って増えてきたのが数々の依存症のなかでも「性依存症」。具体的には、「痴漢」「盗撮」「のぞき」「露出」「下着泥棒」「風俗通い」「強姦」などの性衝動行為を操り返し行うもので、そのなかでもいちばん多いのが「痴漢」です。

 性依存症の場合、行為の対象となる相手(多くの場合、女性)がいるため、犯罪になります。しかし、被害者に対する罪悪感は少なく、自分の興奮や快感だけを求める加害者が多いことが特徴です。

 この性依存症は、現代という時代を背景にした現代病です。むしろほかの依存症より、その色合いが濃いといえ、なかでも年を追って増えているのが若い人たちの罹患(りかん)。日々、彼らと接するうちに見えてきた時代背景を、いくつか紹介したいと思います。

豊かな社会

 豊かな社会になった今、心の病が増えています。一見、矛盾するようですが、飽食の時代になり、糖尿病が増えて飢える心配がなくなった現代社会に、摂食障害のように食べたものを吐いてしまう人がいます。豊かさが、逆にこうした心の貧しさや心の病気・現代病を生んでいるのではないかと、私はつくづく考えてしまいます。

ゆるくなった社会規範

 社会規範がゆるくなり、価値観が多様化しています。これに対応するように、社会生活の基本である自由と規律についてきちんと教わっていない人が多くなり、このためセルフコントロール、つまり自分を抑えるという教育がおろそかになっています。

情報化社会

 今は、ポルノ映像などの“性情報”があふれています。自分の部屋でそれらを見入っていれば、刺激を受けないわけがありません。頭の中に情報が詰め込まれたまま外に出て、対象となる人物に対し、衝動的に痴漢や盗撮をしてしまうのです。

「性依存」は「働き盛りの会社員」に多い傾向

 性欲は人間誰しも持っており、15〜16歳の思春期の少年は特に性的好奇心が強く、性欲も強いものです。しかし彼らが一様に性依存症になるわけでも、まして性犯罪者になるわけでもありません。

 どんな人たちが性依存者になるのかを、当院の受診者のデータから検証してみると、30〜40代の男性がおよそ70パーセントを占めました。つまり壮年期、働き盛りの世代に性依存患者が多いのです。

 次に、彼らの職業はというと半数が「会社員」。さらに学歴を見てみると、4年制大学卒がほぼ半数を占め、大学院卒を合わせると54パーセントにもなっています。

 これらのデータから、性依存者の平均像として「高学歴で、働き盛りの会社員」という素顔が見えてきます。

 その年代となれば、おそらく会社では中間管理職として勤務しているケースが多いはず。上司から命令されるプレッシャー、そして部下を指導するプレッシャーなどを受け、それらがストレスとなり、性依存の引き金になってしまうケースも多いのです。

依存症の実態

 しかし、幼いころの環境やふとしたきっかけで性依存の症状に苦しめられてきている患者さんもいます。そこで、私のもとに実際に相談へ来た「性依存症」患者・Bさん(34歳)の話を紹介します。

 Bさんは未成年時に、医療少年院と少年刑務所へ入所し、成人してからは各地の刑務所に服役し、計8回の実刑判決を受けました。それでもやめられなかったのが「ハイヒール盗み」です。

 Bさんは女性のハイヒールに異常な執着を示す男性でした。単なる盗みではなく、駅の階段などで前を歩く女性に対し、いきなりハイヒールを奪い取るのです。あまりにも異常な行為と思われるでしょうが、性依存症の典型的症例ともいえます。

 来院したのは2016年2月。服役を繰り返した末、困り果てた父親が法務官に相談したところ当院をすすめられたそうです。Bさんは小太りの体形で猫背、メガネをかけ、ニヤニヤとうすら笑いを浮かべており、異様な印象を受けました。

 3人兄弟の次男として都内に生まれ、小学2年生のときから学校になじめず、いじめを受けていました。小学校入学以前に母親のハイヒールに特別な関心を持つようになり、性的な欲求を感じるようになったのは小学校3年生。初めてハイヒールを盗んだのは、中学2年生のときだったといいます。

 Bさんの場合、女性が身につけた特定のものに執着するフェティシズムの典型的症例でした。ハイヒールをはいた女性を見ると追いかけて行き、左足にはいているハイヒールの踵(かかと)をつかんで盗ってしまうというやり方です。

 当然、被害女性は驚き、叫んで逃げてしまいます。「どうしてそんなことをするのか」とこちらが聞くと、答えは「自分でもわからない」。盗みがうまくいくと「スリルと快感、達成感を得られるが、罪悪感を持つことはない」と話しました。

 女性関係については、「セックスはしたいと思うけど、女性と話すことが怖くて、童貞」だと言うのです。

 彼は「性依存症」だけでなく、他人の感情への無関心や社会的規範を無視し、相手を性の対象としてしか見ない人格障害である「反社会的パーソナリティー障害」でもあります。本人と父親に性依存症という心の病気であることを説明し、当院の治療プログラムに参加してもらいました。

 当院では、初診時に患者さんごとの「リスクアセスメント」(危険度評価)を行いますが、危険度の高低にかかわらず“最低3年間”の治療を基本としています。特に最初の半年間は、集中的にクリニックへ通ってもらうようにします。

 というのも、患者さんたちは、逮捕されたり出所して間もない時期のため、精神的に追い詰められ孤立してしまうからです。そのような状態から脱するには、同じ心の病を抱えた“仲間”が必要なのです。

 プログラムの内容としては、自分自身を振り返る「自分史」をはじめ、「性依存と治療」や「性依存と家族」を学び、性依存症について書かれた本や被害者の手記などを読み、内容について考えるミーティング、認知行動療法について学びます。

 Bさんは駅の階段でハイヒールを盗むことが多かったため、電車で通院させることは危険だと判断し、クリニックの近所にある寮に入ってもらいました。従順に治療を受けていたのですが、約半年後、女性にしつこくつきまとって身体に触れ、再び逮捕・勾留されてしまいました。

 それを知った私は、性依存症治療の難しさを改めて実感させられたものです。治療中も「ハイヒールを盗むファンタジーがずっと消えない」と話していたBさんの心に潜む闇は、医師の想像を超えるものなのかもしれません。

 心の病は目に見えません。内臓疾患のように病巣を除去すれば治るというものでもありません。根気強く治療する以外に道はないのです。私が60年にわたって経験し、積み重ねてきたものが、その治療の根幹になっています。

 性依存をはじめとする「依存症」について、ご理解いただけたでしょうか。

 患者さんの治療・支援のため新しいシステムをつくり、日々取り組んでいる私たちの活動をあわせて知っていただければ、うれしい限りです。

<著者プロフィール>
榎本稔◎1935年生まれ。医療法人榎本クリニック理事長。医学博士。拓殖大学客員教授、日本「祈りと救いとこころ」学会理事長、日本「性とこころ」関連問題学会理事長、日本外来精神医療学会名誉理事長、日本精神衛生学会理事、日本デイケア学会理事などを務める。