「NBAプレーヤーになりたい」という幼少時からの夢をかなえた渡邊雄太選手。その思考法とは?(c)USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

誰もが幼い頃に抱く「将来の夢」。その夢を実現させたいと願うものの、大きくなるにつれて、ほとんどの人たちが夢の実現を諦めてしまうのではないでしょうか。その一方で、夢を追い続け、見事にかなえる人たちもいます。「夢を諦める人」と「夢をかなえる人」――。両者の違いは何なのか?

『「好き」を力にする』の著者で、「NBAプレーヤーになりたい」という幼少時からの夢をかなえた渡邊雄太選手(メンフィス・グリズリーズ所属)に、「夢の実現」に不可欠なものについて聞きました。

情熱が消えなかった理由

「将来はNBAでプレーしたい」

僕がそう思ったのは、小学2年生か3年生の頃でした。

バスケ一家のわが家では、家族でしばしばNBAの試合をテレビ観戦していました。

いまでもよく覚えているのは、初めてロサンゼルス・レイカーズの試合を見たときのことです。画面の向こう側では、こちらがワクワクするようなプレーが繰り広げられていました。プレーの技術が優れていたのはもちろんですが、それに加えて選手一人ひとりに華があるのには本当に驚かされました。

体の大きな黒人や白人選手たちがコート上を走り回り、いとも簡単に豪快なダンクシュート、華麗な3ポイントシュートを決めていく。試合全体がとにかく楽しく、観客の熱狂も半端ではありません。

「こんなにすごいバスケットボールの世界があるのか!」

幼い僕にとって、その光景はあまりにも衝撃的で、気がつくとNBAのとりこになっていました。

子どもというのは、何かを見てカッコいいと感じたら、すぐに憧れてやってみたいと思うものです。僕にとって、その「何か」がバスケットボールでした。

大人たちは子どもの感受性に敏感になっておく必要があると僕はいつも感じます。幼いころに受けた衝撃や感動が大人になってからも気持ちを奮起させる源泉になるのですから、その影響は無限です。


NBAへの感動を、大人になっても持ち続けた。(c)小林靖

そうした「衝撃や感動」に巡り合えず、大人になってしまう人もいるかもしれません。しかし僕は、NBAに心底から感動し、それに対する情熱を大人になるまで持ち続けられたのです。これは本当に幸運なことだったと思います。

小学生だった僕が好きだった選手は、レイカーズのコービー・ブライアントとシャキール・オニールでした。ダラス・マーベリックスに所属していたドイツ出身のダーク・ノビツキーのプレーにも魅了されたのを覚えています。

「いつか、同じコートに立ってプレーしてみたい……」

彼らのプレーをテレビで見ながら、僕はそう思うようになっていました。
小学生のときに抱いたこの夢は、中学生、高校生になっても変わりませんでした。その夢をつねに胸の中で温め続け、日々の練習に取り組んでいったのです。

バスケットボールへの情熱が継続したのは、「好き」という気持ちがあったからにほかなりません。何かを継続するには、自発的な気持ちがないと、いつか必ず行き詰まってしまいます。

我慢しながらどうにか続けるというケースもあるかもしれませんが、情熱はかなり冷めているはずです。こうなると、「楽しい」という感情はなかなか起きないでしょう。

小学生でバスケットボールを始めてから、練習中心の生活を送っています。それはいまも変わりません。そんな僕を見た人はよく、「いつも努力しているね」と言ったりします。

ですが僕は、これまで「努力している」と思ったことはありません。バスケットボールが好きでたまらず、さらにうまくなりたいから、いくら練習してもつらくないのです。周りから見たら「努力している」と映るかもしれませんが、僕にとっては単に好きだからやっているにすぎません。

大切なのは、情熱を注げる対象を見つけられるかどうか。それができれば、いつまでも情熱を持ち続けられるのです。

大切な決断をするときに重要なこと

小学1年生のときからスタートした僕のバスケットボール人生で、いちばん悩んだのは、高校卒業後、渡米をするかどうかの判断です。これについては、当時、いくら考えても答えがなかなか見つからず、困惑する日々が続きました。

僕の希望は、大学に進学してバスケットボールを続けることです。しかし、「どこの大学でプレーするか」がなかなか決まりません。日本の大学に行くべきか、それともアメリカの大学に進むべきか――この2つの選択肢の間を僕は行ったり来たりしていたのです。

高校2年生の終わり頃までは、アメリカの大学に行くことなどまったく考えていませんでした。ところが、ウインターカップで準優勝し、多くの人が僕のプレーを評価してくれるようになると、「アメリカでもやっていけるのではないか」という声が聞こえてきたのです。

僕自身も、「アメリカでチャレンジできるなら、ぜひしてみたい」と思うようになりました。ただし、そんなに早くアメリカが見えてくるとは思っていなかったので、具体的に何をすればいいのかまったくわかりませんでした。

さらには、「アメリカに行きたい」という希望をいざ表明すると、今度は一転して否定的な意見があちこちから聞こえてきます。

「いまさら行ってももう遅い」

「英語がしゃべれないのに、アメリカでどうやって生活するんだ?」

どこからともなくネガティブな意見が発せられたのです。

思い返せば、ネガティブな意見を言う人は、僕のことをあまり知らない人か、実際にアメリカに行ってプレーした経験のない人たちばかりだったような気がします。

人と何か違うことをやろうとするとき、否定的な意見を言う人は必ず出てくるものなのかもしれません。そんなときに大切なのは、自分の気持ちに素直に耳を傾けてみること。ネガティブな声に惑わされ、判断を誤るのは得策ではありません。


応援してくれる父母と渡邊雄太選手(c)小林靖

僕のケースで言うと、「NBAでプレーする」という夢にチャレンジし、仮に結果が出なくても、十分納得できたはずです。しかし、チャレンジもせずに終わっていたら、間違いなく後悔していたことでしょう。

「挑戦しただけで成功であり、それだけでも十分だ」

何をするにしても「挑戦」を決めた時点で、その決断は評価されるべきなのです。

事実、僕自身も渡米前にはそう自分に言い聞かせて、気持ちを奮い立たせていました。

バスケットボールに限らず、スポーツやビジネスなどの分野で、外国に行って挑戦したいと考えている人もいるでしょう。

そんな人たちに僕が伝えたいのは、「覚悟と決意があるなら、絶対に行ったほうがいい」ということです。

この場合、成功できるかどうかに惑わされる必要はありません。「覚悟」と「決意」が重要であり、それがあるのなら絶対に行くべきです。

実は、僕がアメリカ行きを決めたあと、父はNBAのフェニックス・サンズでプレーした経歴のある田臥勇太さん(宇都宮ブレックス)に連絡を取り、アドバイスをもらっていました。田臥さんは日本人初のNBAプレーヤーであり、道を切り開いた人として、バスケ界でとても尊敬されている選手です。

その田臥さんが父に伝えてくれた内容は、経験者ならではの率直なものでした。

「アメリカに行く決断は間違っていません。絶対に行ったほうがいいです」

これを聞いてからというもの、周囲のネガティブな意見はまったく気にならなくなりました。

失敗を恐れない覚悟

NBAという世界トップレベルのバスケットボールリーグで勝負しているいま、いつかどこかで壁にぶつかり、挫折するかもしれないという危機感を僕はつねに抱いています。

実際のところ、スタッツが振るわず、契約を解除されてしまった選手を何人も見ていますし、その対象が自分になる可能性はいつでもあるのです。危機感を持つのは、いまよりも高いレベルへ到達するための自分への戒めであり、それを感じることで現状に甘えないようにしているとも言えます。

ただし、危機感はあっても恐怖心はありません。

そもそも、恐れを感じて悩んだところで意味はないのです。人が何かに挑戦するとき、必ず壁や挫折に遭遇します。

「すべてが望みどおりにいくわけはない」

これが僕の考えであり、先のことに一喜一憂せず、いま自分ができる事柄に全神経を集中することのほうが大切です。

スポーツであれ、ビジネスであれ、「何かに挑戦した」という事実には常に価値があります。うまくいかなかったからと言って、挑戦をするまでのプロセスが無駄になるわけではありません。


これが僕の信条なので、この先、仮に壁にぶつかってしまったとしても、僕はそれを「失敗」と呼ぶつもりはありません。そんな「覚悟」で僕は毎日バスケットボールに向き合っています。

挑戦することで人は成長し、その過程で多くのことを得られます。行動を起こす前から諦めてしまったら、手にできるものは何もない。

高校時代の恩師であるバスケットボール部の色摩拓也先生が、アメリカに行く前に僕に言ってくれた言葉があります。

「失敗した人とは、成功しなかった人のことではなく、諦めてしまった人のことだ」

この言葉を胸に刻みながら、僕はこれからも果敢に挑戦していこうと考えています。