――中学でも続けようと、サッカーにのめり込んでいった理由は?
「ゴールを決めた時の嬉しさや、日々、自分の成長を感じられる部分に惹かれていきました」
 
――小さい頃から攻撃の選手だったのですね。
「攻撃が好きな性格なので。野球でも打つほうが楽しかった」
 
――高校では静岡学園を選びます。越境入学を選んだ理由は?
「三重の強豪と言えば四中工で、毎年のように全国選手権に出場しているので、自分も初めはそこに行こうと考えていました。ただ、悩んでいるうちに気づいたんですよね。選手権に出るだけがすべてではないなって。なにより、プロになりたい、うまくなりたい、という気持ちを優先したかった。だから、個の技術を一番大切にしていて、プロの選手もすごく多く輩出している静学を選びました」
 
――中学の時からプロになるためのルートを考えていたんですね。
「まあ特別深くは考えていなかったですよ。漠然とプロになれたらいいなと」
 
――クラブユースに入る気は?
「中学時代はまったく無名だったので、ユースなんていけるなんて思わなかったし、そんな考え自体がなかったです。ユースってセレクションがあるじゃないですか。それと比べれば静学は入りやすかったので」
 
――静学は推薦で入学したのですか?
「中学の時の監督に『静学にいきたい』と伝えて、練習参加の打診をしてもらったんです。それで練習に参加させてもらった時に、シュート力を見込まれて、推薦で入学させてもらった感じですね」
 
――ひとりで静岡に?
「はい。寮で生活していました」
 
――高校生でいきなり寮生活は、大変だったのでは?
「1年生の時はきつかったです。食事、食器洗い、掃除とか色々な当番があったので。それまで親に任せていた家事を、全部自分でやらなければいけなくなって。入学当初は身の周りのことで手いっぱいで、練習どころじゃなかった時期もありましたね。洗う食器も50人分くらいあったし、洗濯物の量も多い。いつもビブスを30枚、40枚くらい洗っていました」
 
――静岡学園の部員はかなり多いですしね。
「僕がいた頃は150人くらいいました。今はもっと増えて200人くらいいるらしいです」
 
――そうやって全国から実力者が集まってきます。そのなかでどう自分をアピールしようと?
「川口(修)監督にはシュート力を評価してもらっていて、ポジションが中学時代のボランチから前目になったのは大きかったです。ただ僕は入学当初、技術だけで言えば静学では下のほうでした。このままでは生き残れないと危機感すら抱いていたくらいです。だけど、僕には唯一“やり続ける”能力だけはあったんですよね。ひとりでゴールを決められるように、3年間ひたすら個の力を磨きました。それがアピールにつながったんだと思います」
 
――技術で劣っていると痛感した時、それでも折れなかったのはなぜ?
「『試合に出たい』『トップチームの緑のユニホームを着たい』という明確な目標があったからこそ頑張れました。あとは仲間に刺激をもらったのもありましたね。1年生の夏前からトップチームに上がっていた同級生がひとりいたんですよ。普通そういう時って気持ちが浮ついてもおかしくないけど、その選手はチームの練習が終わってからも、ずっと自主練をやっていたんです。
 
 大体16時半から練習がスタートするトップチームと違って、僕ら下級生は18時半に始まって、終わった頃にはもう20時半くらいになる。それからまだ練習するなんて、僕にとっては衝撃でした。でも自分よりも上にいる選手がそれだけ努力しているのに、自分が怠けていたらどんどん差が開くだけだと思って、それから僕も自主練をやるようになりましたね」