筋肉隆々の現在の姿からは想像だにしないが、30年前のデビュー当時、武田真治はスリムな体と中性的なルックスから、「フェミ男」と呼ばれ、ブレイクの階段を駆け上がった。その頃に主演した舞台「身毒丸」は、故・蜷川幸雄が演出した作品であり、何年経った今でも、武田は「幸雄先生」と慕いながら「自分は落第生だから」と胸中を告白した。だからこそ、蜷川家の長女・蜷川実花が監督する映画『Diner ダイナー』に出演することは、当時の縁がなければなかったことだと、縁をにじませて言い切った。

平山夢明による原作を映画化した『Diner ダイナー』は、殺し屋専用の“ダイナー”が舞台のノンストップ・エンターテイメント。日給30万円という高級バイトに手を出したオオバカナコ(玉城ティナ)は、闇の組織に身売りされ、ダイナーで働くことに。「砂糖の一粒までが俺に従う」と叫ぶ店主ボンベロ(藤原竜也)のもと、次々とやってくる殺し屋たちを接客していく。

武田は、ダイナーにやってくる殺し屋・ブロとなった。劇中、惜しみなく鍛えあげた肉体をさらし、藤原や玉城はじめ、窪田正孝、本郷奏多、土屋アンナなど、強烈なビジュアルが光る共演陣の中でも、ひときわインパクトを放つ。同じ年という蜷川監督とともに作り上げた本作、「生きる」というテーマの裏には武田の今の活躍が裏付けられる、強烈な人間力が浮かび上がった。

――台本を読んだときの印象、ブロ役のオファーを受けていかがでしたか?

武田 台本を読んだときは、「人がよく死ぬなあ……このご時世に大丈夫なのか!?」と思いました(笑)。ブロ役に関しては、序盤の作品の方向性を決める役と言いますか。ボンベロやオオバカナコ、ダイナーという場所そのもののルールを紹介する役どころだな、と思い派手に演じたい印象でした。

――派手に演じたい=役作りでは、何をされたんですか?

武田 僕が撮影に入ったときは、ブロの手下たち4人の衣装合わせが終わっていて、彼らのボスなので……だいぶ、見た目も選択肢がいい意味で狭まっていて(笑)。扮装が役者の演技を方向づけるというのが、お芝居の世界ではあったりするので、ビジュアルが最初に用意されていたことが、演技の助けになっていた部分があると思います。

――武田さんの筋肉も惜しみなく映されていますよね。筋肉により、求められる役柄が変わってきた印象はありますか?

武田 あるかもしれません。でも、「筋肉体操」(※現在出演中)は昨年8月からの放送で、『Diner ダイナー』は5月に撮影していたんです。もっと言えば、僕が40歳になるときに「月刊MEN 武田真治」という写真集を蜷川実花さんが撮ってくださっていて、その頃から、じわじわと筋肉というところにつながっているのかなと。最近の筋肉云々というよりも、実花さんはそれで、ブロを僕に回してくださったのかな、と思いました。

――「肉体美を強調してほしい」という類の演出もありましたか?

武田 行って数カット目で「ジャケットを脱ぐ」という演出があったんです。「……お、早めに脱ぎますね……」とは思いました。何をきっかけで脱いだのか、もはや覚えていないです(笑)。

――脱いだ状態でアクションもやられていますが、いかがでしたか?

武田 もともと、台本にはそれほどアクションをやることが書き込まれていなかったんです。だから、ジャケットを脱ぐのも「いいですよ」と言ったんですけど、アクションシーンのときにジャケットがない、肘丸出しは恐怖です!「やだわ〜」って思ったこと正直に白状します(笑)。冷静に考えてみてくださいよ、ワンダーウーマンだって(アームバンドやニーガードを)つけているじゃないですか。

――武田さん、ノーガードですよね(笑)。

武田 ビクビクやって「もう1回」と言われるのはもっと嫌だから、しっかりとやりました!

――武田さんは、デビュー直後の「身毒丸」で蜷川幸雄さんとご一緒されています。『Diner ダイナー』では娘の実花さんとのタッグで、演出を受けている中で、蜷川イズムのようなものを感じたりなさいましたか?

武田 僕が演じているときには、いわゆる幸雄先生のほうの影響はまるで感じず、むしろ幸雄先生の演技の突き詰め方が、ビジュアル方面にすべて昇華したのが実花さんの作品かなと思っていたんです。この映画自体のキャッチフレーズも「極彩色の映像作品」となるかもしれないけど、作品を観終わったら、人がこれだけ死ぬのに、徹底して「生きる」ことのテーマが流れていて。まさに、幸雄先生流派の蜷川印が押されたような作品だと思いました。

――2012年の「月刊MEN 武田真治」はスチールで、本作は映画という差もありますが、具体的な導き方の違いもありましたか?

武田 「月刊MEN 武田真治」が……もう6〜7年前ですよね。あの頃の実花さんは、Tシャツにカーゴパンツみたいないで立ちで、大きいカメラを肩に担いで「じゃあ、それ脱いじゃって!」みたいな感じで………圧がありましたね(笑)。カメラがバズーカ砲みたいに思えたし(笑)。

でも、今回は毎日カラフルなワンピースで現場にいて、ニコニコしながら近づいてきて、「お願い〜!」くらいの感じだったんです。フニャフニャしている感じとでもいうのかな。それで作品がフニャフニャしていたらあれだけど、全然違う。「ああしろ、こうしろ」じゃないのに、これだけビシッとした作品を生み出すことこそが進化だと思いましたね。これが21世紀型の蜷川印、みたいに感じました。

――やわらかい印象さえ与えるけれども、作品は違って、というところですね。

武田 人としてすごい進化ですよね。これだけの大きな作品で、実花さん自身よりキャリアのある映像技術者や、キャリアのある役者さんたちがこれだけいて。莫大な制作費や公開規模を十分わかっていらっしゃる上で、あんな余裕でニコニコしていられるってことは……人として一流のレベルにいかれているんだな、と思いました。……僕、今「どの目線で言っているんだよ!?」となっていますかね(笑)!? 上からとかではなく、自分は置いていかれたな、という意味です!

――いえいえ! 昔もよくご存じだからこそのお話だと思います。

武田 しかも僕、実花さんと同じ年なんですよ。そこって……なんか同世代だからこそ、ひとつの同じ物差しが自分の中にあるから「こういうときに、このふるまいはできない……」みたいなことがあったりね。

――先ほどお話されていたテーマ「生きる」ことについてもお伺いしたく、カナコはダイナーに身を置いて逆説的に「生きる」こと、必要とされることについて向き合います。そのあたりは、どう思いますか?

武田 最近の……今の時代の今の若い人たちについて、自分に何ができるってフラグも立てていないのに、「自分が必要とされていない」みたいな悩みって、ある種贅沢すぎると思うんですよね。「俺なんて必要とされていないのかな」「私なんて必要とされていないのかな」と言うじゃない? 「何ができるか、じゃあまず言ってみて」と思うんですよ。「時代や人に対して、必要か必要じゃないかをわかりながら、自分を進化させる」っていうIT企業の社長みたいに器用な人間ばかりじゃなくていいと思う。時代とうまく帳尻を合わせなくていい、時代に置いていかれてもいいから何か思いっきり追求したり、やりたくないこともやりながら何とか生きながらえて好きなこと追及していけば(道は)拓けるのかなと思います。

――実体験を交えたようなお話でしょうか?

武田 そうですね。この1年で、自分が思うところです。とにかく好きなことを思いっきりやったほうがいいし、それが世間の流行とズレていて人知れずひたすら努力するって時期があってもいいんです。時がきてそれがちゃんと極まったのなら、誰かが見ていて日の目をみることだってあると思うんです。

――長いキャリアを振り返って、武田さんご自身、思いがけないところで「人生、行き詰まった」もしくは「拓けた」、“ターニングポイント”と思うところはどこでしたか?

武田 そういった意味では、幸雄先生の「身毒丸」に関わっていなかったら、今回の実花さんの作品はなかったと思います。僕は過去、20代後半に体調を崩しているんですけど、体調が崩れはじめたくらいの時期だったんです。僕は幸雄先生に「演劇を続けていく上での覚悟」を試されたという意味では……正直、落第生なんです。落第したまま幸雄先生とは、お会いできない形になってしまったんですけど、今回こうして実花さんにチャンスをいただいて、『Diner ダイナー』に関われたことで、あの時の逃げた自分を少し許そうと思えました。

僕は、立ち位置的にどうしてもバラエティ寄りのタレントだったり、サックスも吹いていることもあって「演劇人」としては、それほどの代表作がない状態だと思っています。けれど、今回は実花さんによって、ひとつフラグが立った状態になったのかな。今後のキャリアにおいて、『Diner ダイナー』は感謝すべき作品になるという気がしています。(取材・文=赤山恭子、撮影=映美)

映画『Diner ダイナー』は、2019年7月5日(金)より全国ロードショー。

出演:藤原竜也、玉城ティナ、窪田正孝、本郷奏多、武田真治 ほか
監督:蜷川実花
脚本:後藤ひろひと、杉山嘉一、蜷川実花
公式サイト:diner-movie.jp
(C)2019 映画「Diner ダイナー」製作委員会