“地球上で最も速い男”と言われるウサイン・ボルトの速さの秘密を解き明かします(写真:共同通信)

陸上男子100メートル9.58秒の世界記録保持者、ウサイン・ボルトは「なぜ足が速い」のか? 世界最速の男の「速さの秘密」を、プロスプリントコーチの秋本真吾氏が解説します。

陸上男子100メートル9.58秒の世界記録保持者、ウサイン・ボルト。“地球上で最も速い男”はあまりにも有名です。ですが、「どうしてボルトは速いのか?」と聞かれて、具体的に説明できる人はほとんどいないのではないでしょうか。

まずは彼の速さの秘密を知るために、スピードには“絶対的な計算式”があることを説明します。

「速さの方程式」

速さというのは、ストライド(歩幅)とピッチ(回転)の掛け算によって決まります。ストライドが広くなれば1歩当たりで進む距離が伸びて、ピッチが速くなればなるほどスピードは上がります。

ボルトの場合は1歩のストライドは最大で約3メートル、1秒当たりの最大ピッチは4.7歩と言われています。これをストライド×ピッチの計算式に当てはめてみると……3メートル× 4.7歩、つまり1秒間で12〜13メートル進んでいるということになります。

面白いデータがあります。陸上選手の100メートルの速度の変化をグラフにしたものですが、ここではボルト選手と日本人初の9秒台を記録した桐生祥秀選手のレースをグラフ化しました。


小林ら(2017)、Krzysztof & Mero(2013)、松尾ら(2010)を元に作図(図:『一流アスリートがこぞって実践する 最強の走り方』より)

多くの人が、100メートルのような短距離ではスピードは右肩上がりに伸びていくというイメージをしているのではないでしょうか。しかし、グラフを見ればわかるとおり、2選手ともレースの中盤で最高速度に達してからは、そこから低下しています。ボルトも例外ではありません。

では、ボルトがなぜ突出して速いのか。その理由に挙げられるのが速度の低下率です。彼が100メートルで9秒58を出した際、75メートル付近で最高速度12.35メートル/秒に達して、ゴールの時点でも12.05メートル/秒。速度はほとんど落ちていません。

桐生選手は、2017年に日本人選手として初めて100メートル9秒台の記録を出しましたが、このときは80メートルで最高速度(11.63メートル/秒)に達して、ゴールの時点では11.25メートル/秒。桐生選手もボルト選手と同じように速度の低下率は抑えられています。これまでの100メートルスプリンターのなかでも、ボルト選手は走速度の速さと、速度の低下を抑えられている点が突出しているのです。

陸上の世界には「レースマネジメント」という言葉がありますが、100メートルという短い距離を速く走るためにも、実はどこにスピードのピークをもってくるのか、どれだけスピードの低下を抑えられるかが重要になるのです。

ちなみに小学生の頃、よく走った50メートル走。読者の皆さんは何秒ぐらいで走っていましたか? ここではタイムの良し悪しではなく、速度の変化に注目してみましょう。

さて、問題です。小学生の50メートル走では最高速度は何メートルあたりで出現し、そのあと、どうなると思いますか? 下の図を見てください。


小学校高学年の児童における疾走速度推移に関する研究 藤村 , 美歌/篠原 , 康男/前田 , 正登(図:『一流アスリートがこぞって実践する 最強の走り方』より)

答えは、25メートル付近でトップスピードに達した後は、ほぼ減速なく走りきっています。このデータから50メートルのタイムを速くするためには、どのようなトレーニング方法が思い浮かぶでしょうか?

「50メートル」を速く走るコツ

50メートルを速くする鍵は、スタートから25メートルまでにあります。ここまでの区間をどうやって速くするかが、50メートルのタイムを速くすることにつながっていくのです。


ただ、このデータを知らないと、ついつい行ってしまいがちなのが、50メートル以上の距離を何本も走り込ませてしまうことです。「後半失速しているからもっと走らないとダメだ!」というのは、実は誤ったトレーニング方法につなげてしまいがちです。

2018年6月のFIFA ワールドカップロシア大会の決勝トーナメント1回戦。後半のアディショナルタイムに、サッカー日本代表がベルギー代表にロングカウンターを受けて、勝ち越しゴールを決められたシーンは多くの人の目に焼き付いていると思います。

日本代表で最も長い距離を走った選手は、80メートルほどをスプリントしています。映像から走りを分析すると、最初の20メートルほどでトップスピードに達した後は、どんどん落ちてしまっています。

ということは、トップスピードに到達してから、頑張って腕を大きく速く振ろう! 足を速く動かそう!という意識はスピードの低下を抑えられる可能性はありますが、スピードを高めることにはつながらないということになります。

個人指導しているサッカー選手にも「試合終盤になると疲れが出て、長い距離をスプリントするのがきつくなる」と課題を感じている選手は少なくありません。しかしながら、走り方を改善できれば、90分を戦い終えた後でも、全力でスプリントできるようになります。キーワードは「効率のいい走り」です。

かけっこ教室でも、サッカーや野球のプロ選手でも、走り方を教える際には理論と理屈を先に説明します。「どうすれば速く走れるか?」の答えはシンプルです。

1. ストライド(歩幅)を広げる
2. ピッチ(足の回転)を速くする

結論から言うと、この2つを高めるしかありません。

「速い」と言われる人の共通点

陸上界のトップ選手と、サッカー界のクリスティアーノ・ロナウド、キリアン・エムバペ、ガレス・ベイルのような、速いといわれるサッカー選手の走りには共通点があります。

彼らは、走っているときやスピードに乗ってドリブルをしているときに、あることができています。それは速く走るための基本となる「まっすぐな姿勢」で走ることができるということです。まっすぐできれいな状態を、走るときに作れていないと、歩幅も広がらず、足の回転も速くなりません。


ボルトが走るときの姿勢(イラスト:『一流アスリートがこぞって実践する 最強の走り方』より)

まっすぐな姿勢を作ることで、地面に正確に力を伝えることができます。試しに、その場で上半身を前に傾け、お辞儀をしたような状態を作ってみてください。その状態で、その場足踏みをしてみてください。倒した上半身が邪魔をして足が上げづらくなります。次に、まっすぐな姿勢を作った状態でその場足踏みをしてみてください。地面にしっかりと力が伝わりますよね。

走っているときに、猫背になっていたり、頭がぐらぐら動くと、地面に力が加わらなくなってしまいます。写真からそのまま起こしたボルトの走りのイラストを見てください。横から見ると背筋が伸びて、頭から腰までが一本の串が通っているようにまっすぐになっています。トップスピードになっても腕だけが動いていて、上半身はほとんど揺れていません。

短距離、中距離、長距離を問わず、優れた陸上選手は「まっすぐな姿勢」を保っています。しかし、陸上競技以外のスポーツ選手で正しい姿勢で走れている選手は少なく、そこに大きな可能性と伸び代を感じています。理論理屈に基づいた走り方とその種目特性に合わせた走り方が掛け合わせれば、スポーツ界の更なる発展に繋がっていくはずです。