西野朗氏が大会後初のテレビで語るW杯、運命のベルギー戦を振り返る
10日放送、MBS「GAMBA TV〜青と黒〜」に、サッカー日本代表の西野朗前監督が出演。ロシア・ワールドカップ(W杯)が終わってから初めてというテレビ出演で大会を振り返った。
大会直前の監督交代で当初は批判的な声が多かった日本代表だが、ふたを開ければ2大会ぶりにベスト16に進出した。チームには「どんな処方をしても蘇らない、修正がきかない状態」になる時があると指摘する西野氏は、どのように日本代表をどう立て直したのだろうか。
「まず何をした?」との質問に、西野氏は「主張させた」と回答。「選手一人ひとりに、自分のプレーに対する気持ちをストレートに出させた」と、映像を見ながら具体的に意見交換させたと明かした。
意見を言うことで、選手たちには責任感が生まれた。西野氏はそういった積み重ねが「一つの大きなパフォーマンスというか、統一したプレーに出たんじゃないか」と話す。
周囲は騒がしかったが、チームには「ネガティブな空気はまったくなかった」という。「インターネットさえ見なければ」、現地では日本の情報が入ってこないからだ。「結構気にしい」「繊細」という西野氏自身、「できるだけ冷静でいたい」と、周囲からの情報を遮断していたそうだ。
決勝トーナメントのベルギー戦では、試合前に「本気のベルギーがいなきゃつまらないだろ?」とはっぱをかけた。「間違いなく手を抜いてくる」「ハードワークで最初からトップギアでくるわけがない」と、先に主導権を握るプランだったという。
実際、ハーフタイムは「選手のモチベーションもものすごく高くて、これいけるんじゃないかっていう雰囲気」だったそうだ。ただ、「まさか10分で2点先行できるとは誰も思っていなかった」。
「2-0が一番危ないっていうことは、分かり切っている。ところが、W杯の一番大事なところで(経験を)発揮できなかった」
終了直前の失点で2-3と逆転負けした日本は、初のベスト8進出を逃した。試合後のインタビューで西野氏が口にした「何が足りないんでしょうね」という言葉は、「自分に問いかけていた」という。
西野氏は「W杯の経験は初めてでしたけど、ゲームに対する経験値は誰よりも高いわけじゃないですか。にもかかわらず、あの状況でこんな状況にしてしまった自分に、何が足りないのかなって感じ」と説明した。
その答えは見つかったのか問われると、「まだ続きますよ」と答えた西野氏だが、大会後は続投せずに職を辞した。「W杯限定」のつもりだったのに加え、後任の森保一監督にも「そういうビジョンも伝えていた」からだ。
日本サッカー協会は「2030年にベスト4、2050年に自国開催・初優勝」という大きなプロジェクトを掲げている。西野氏は「次につなげていかなきゃいけない。その使命は技術委員長をやっていても持っていた」と述べた。
そのうえで、今後について、西野氏は「具体的に今はない」としながらも、「ファイティングポーズはとりますよ。指導者ですから、一応」と、指揮を執る可能性も否定しなかった。
大会直前の監督交代で当初は批判的な声が多かった日本代表だが、ふたを開ければ2大会ぶりにベスト16に進出した。チームには「どんな処方をしても蘇らない、修正がきかない状態」になる時があると指摘する西野氏は、どのように日本代表をどう立て直したのだろうか。
意見を言うことで、選手たちには責任感が生まれた。西野氏はそういった積み重ねが「一つの大きなパフォーマンスというか、統一したプレーに出たんじゃないか」と話す。
周囲は騒がしかったが、チームには「ネガティブな空気はまったくなかった」という。「インターネットさえ見なければ」、現地では日本の情報が入ってこないからだ。「結構気にしい」「繊細」という西野氏自身、「できるだけ冷静でいたい」と、周囲からの情報を遮断していたそうだ。
決勝トーナメントのベルギー戦では、試合前に「本気のベルギーがいなきゃつまらないだろ?」とはっぱをかけた。「間違いなく手を抜いてくる」「ハードワークで最初からトップギアでくるわけがない」と、先に主導権を握るプランだったという。
実際、ハーフタイムは「選手のモチベーションもものすごく高くて、これいけるんじゃないかっていう雰囲気」だったそうだ。ただ、「まさか10分で2点先行できるとは誰も思っていなかった」。
「2-0が一番危ないっていうことは、分かり切っている。ところが、W杯の一番大事なところで(経験を)発揮できなかった」
終了直前の失点で2-3と逆転負けした日本は、初のベスト8進出を逃した。試合後のインタビューで西野氏が口にした「何が足りないんでしょうね」という言葉は、「自分に問いかけていた」という。
西野氏は「W杯の経験は初めてでしたけど、ゲームに対する経験値は誰よりも高いわけじゃないですか。にもかかわらず、あの状況でこんな状況にしてしまった自分に、何が足りないのかなって感じ」と説明した。
その答えは見つかったのか問われると、「まだ続きますよ」と答えた西野氏だが、大会後は続投せずに職を辞した。「W杯限定」のつもりだったのに加え、後任の森保一監督にも「そういうビジョンも伝えていた」からだ。
日本サッカー協会は「2030年にベスト4、2050年に自国開催・初優勝」という大きなプロジェクトを掲げている。西野氏は「次につなげていかなきゃいけない。その使命は技術委員長をやっていても持っていた」と述べた。
そのうえで、今後について、西野氏は「具体的に今はない」としながらも、「ファイティングポーズはとりますよ。指導者ですから、一応」と、指揮を執る可能性も否定しなかった。