2日放送、テレビ東京「追跡LIVE!SPORTSウォッチャー」では、甲子園で史上初となる2度目の春夏連覇を果たした大阪桐蔭高校で4番を務めた藤原恭大を特集。中学時代の恩師が驚きのエピソードを明かした。

高校でも日本代表でもチームメートの柿木蓮が、「部屋が汚い」「(キッチリしてそうだが)全然です。バット振るときだけ」と明かす藤原。だが、野球の能力はプロの一流選手も「トップクラスの身体能力」「柳田(悠岐)さんのようになる」と太鼓判を押している。

例えば、腕力では、腕相撲でだれにも負けたことがないという。15歳だった中学3年の時には、10歳上の教師にも圧勝。その様子を見ていた親友たちは、「勝てる気配が全くなかった」「僕も秒殺でした」と、圧倒的な強さだったと証言する。

腕力だけではない。藤原は握力も74キロと、リンゴを握りつぶせるほどの強さだったそうだ。

パワーだけにとどまらず、藤原は50メートル走で5秒7という俊足の持ち主で、日本代表で1番を任されているほどだ。親友によると、中学3年のリレーでは、アンカーだった藤原が、半周ほど開いていたトップとの差をものともせず、わずか1周で最下位からごぼう抜きして優勝したという。

さらに、走り幅跳びでも、藤原は中学1年のスポーツテストでジュニアオリンピック記録(7メートル)に迫る記録を出している。パワー、スピード、瞬発力と、すべてを兼ね備えていると言えるだろう。

しかし、才能に恵まれたことで、意外な伝説も生まれた。野球部顧問によると、体験入部に来た藤原に、1日で部活を辞めるように頼んだというのだ。

藤原は中学時代にすでに時速140キロの速球を投げていたほどだった。そのため、顧問は「(一緒に練習したら)何人かケガ人が出る」と考えたのだ。「すごすぎて、辞めてもらうというか、枚方ボーイズ1本でいけと話した」という。

元DeNA監督の中畑清氏は「魅力満載だよね」「監督になったら、1位指名しちゃうな。ドラフトで」と、現場復帰したら藤原がドラ1だと賛辞を寄せた。