8月22日午後、国民民主党の代表選に立候補し、握手する玉木雄一郎共同代表(左)と津村啓介衆議院議員(写真:共同通信)

国民民主党の代表選が8月22日に告示され、玉木雄一郎共同代表と津村啓介衆議院議員が立候補を届けた。両者による選挙戦を経て、9月4日の臨時党大会で所属国会議員62人と地方議員、党員・サポーターらが投票し、新しい代表が選出される。

5月の結党後、代表選が行われるのは初めて。もう少し盛り上がってもよさそうだが、国民の関心は高いとはいえないだろう。なぜなのか。

津村氏はぎりぎりの推薦人を集めて立候補

今回一騎打ちをする2人の「力の差」は大きい。国民民主党の代表選には10名以上の党所属の国会議員と10名以上の党所属の地方議員の推薦が必要である。現共同代表である玉木氏はいずれも20名の推薦人を確保し、余裕を見せている。

これに挑む津村氏は、告示日当日の朝までかかって、なんとか10名ずつの推薦人の名前をそろえた。その慌ただしさは2016年9月の民進党(当時)の代表選に名乗りをあげた際の玉木氏を彷彿させる。

当時、蓮舫氏と前原誠司氏に続く「第3の候補」だった玉木氏は、告示日である9月2日朝にようやく20人目の推薦人(国会議員)を確保した。あらかじめ推薦人になることを承諾していた石橋通宏参議院議員の支持組織であるNTT労組の了承が、朝になってようやく得られたからだ。しかもその前夜遅く、玉木氏は大西健介衆議院議員に推薦人になってもらうべく愛知県に入り、翌朝早く東京に戻った。

このようにぎりぎりまで粘って時間と戦うことは、知名度がない新人が一度は通過すべき儀式かもしれない。

とはいえ、津村氏は2年前の玉木氏と同じ前提とはいえない。玉木氏と決定的に異なるのは、津村氏が「小選挙区で勝っていない」という点だ。永田町ではなによりも衆議院小選挙区での当選がものをいう。

2003年の衆院選で初当選して6期目の津村氏は、3歳年上の玉木氏よりも政治的キャリアが2期長い。だがその“戦歴”は2勝4敗で、昨年10月の衆議院選では岡山2区で敗退し、比例で復活している。玉木氏は初陣となった2005年の衆議院選では落選したものの、2009年の衆議院選以降は4回連続して香川2区で当選を果たしている。

小選挙区で勝てていない津村氏が代表選に出馬することになったのは、その背後に自誓会の存在があるためだ。

自誓会は2014年に細野豪志元環境相が結成した派閥。細野氏が民進党を離党した後はグループとして存続しているものの、人数が激減したため存在感はすっかり小さくなった。

それでも「対決より解決」を掲げる現執行部に対する批判の旗を振るべく、今回の代表選では自誓会の中で最も当選回数が多い津村氏が担ぎ出されたかっこうだ。

ところが、津村氏と同じ岡山県を地元とする柚木道義衆議院議員が津村氏擁立に反発して同会を離脱。さらには代表選が告示された8月22日に国民民主党からの離党を表明した。「対決より解決」を掲げる玉木氏ら現執行部の方針では「野党の分断化・分裂の深刻化を進める」というのが離党の理由だ。

しかし、この主張は津村氏とほとんど同じだ。柚木氏自身も代表選出馬を模索して秘書が説明会に参加している。「小義を捨てて大義を得る」という言葉があるが、興味深いのは柚木氏の離党会見では大義は安倍政権打倒という点でぶれがないのに、そのために小義を捨てていない点だ。むしろ小義のほうを大義より優先している印象もある。

「政権奪取」とはいうものの…

代表選初日から、玉木氏も津村氏もともに「政権奪取」を口にしたが、それぞれの“主張”には稚拙さが目立つ。

津村氏は「日本人の新しいライフスタイルをサポートする政策」として、尊厳死の合法化、選択的夫婦別姓、不妊治療の保険適用拡大、LGBT関連の法整備を挙げた。

選択的夫婦別姓や不妊治療の保険適用、およびLGBT関連の法整備は個人の自由の幅を広げる環境整備としていいとして、尊厳死の合法化については唐突だ。世界的にみても尊厳死への考え方は大きく割れており、日本国内においても論争の多い問題だ。公権力が安易に結論ありきで介入するべき性質のものではないだろう。

玉木氏の主張にも課題がある。「第3子には1000万円給付」政策は、「日本国内での人口増加を目指す」ための施策であれば、もう少し詰めが必要だろう。もし、この手当がこども手当と同様に福祉政策として扱われるならば、在日外国人の海外で生まれた子どもに対しても支払われることになり、単なるバラマキとして立法趣旨が損なわれかねないからだ。

国民に広くアピールすべき代表選ですら、こうした「ツメの甘さ」が出てくることも、希望の党と民進党が合併して3カ月余りになるのに、政党支持率が上がらない一因だろう。


街頭演説後に両手を上げる津村啓介議員(左)と玉木雄一郎共同代表=22日午後、JR新宿駅前(写真:共同通信)

たとえばNHKの世論調査によると、2018年1月には民進党の政党支持率は1.3%で希望の党は1.0%。2月は民進党は1.4%で希望の党は0.4%。3月には民進党が1.2 %で希望の党は0.6%。4月は民進党は1.4%で希望の党は0.3%。それぞれ足すと2.3%、1.8%、1.8%、1.7%となっていた。

ところが5月に希望の党と民進党が合流して国民民主党になったとたん、政党支持率は5月と6月が1.1%、7月は0.7%で、8月には0.4%まで減少している。

2つの政党が合併してももとの支持率を足したものにも及ばない理由は、「国民民主党」に目玉や特徴がないゆえに党名が国民に浸透していない点にある。

「有名人」はみな立憲民主党へ行ってしまった

代表選が告示された8月22日夕方に新宿西口で行われた演説会では、行きかう人のうち何人かが「民主党か」と言って振り返ったが、多くの国民は「民主党」および「民進党」は「立憲民主党」になったと思い込んでいる。実際に民主党政権の「顔」だった菅直人元首相や枝野幸男元官房長官、蓮舫元民進党代表などはみな立憲民主党だ。

彼らが政治家として必ずしも評価が高かったわけではないかもしれない。しかし、「悪名は無名に勝る」ということわざがそのまま当てはまる。NHKの世論調査では立憲民主党の政党支持率は3月に10.2%を記録し、最近では下降気味だが、それでも8月には5.6%で、国民民主党の14倍もあるのだ。

その国民民主党は9月4日には新代表に玉木氏が選出されることは確実だが、それでは現状は変わらないだろう。目新しさもなく奇をてらうこともないまま、彼らは政界の荒海の底にただ沈んでいくのだろうか。