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 高齢出産で第1子を授かったものの、2人目の不妊、そして失意の流産を経験したKさん(48)が、辛い胸中を語ってくれた。

“奇跡”の出産を乗り越えるも……

 38歳のときに第1子を出産したKさん。「子どもは2人欲しい」という夫の願いを叶えるならば、急がないといけないと常々思っていた。

 なぜなら、結婚前から月経過多のうえ、子宮にポリープと細胞の異常が見つかっており、半年に1回の子宮がん検診も繰り返していた身。独身時代は仕事が忙しく、出会いもなく、結婚はおろか子どもを持つことも半分あきらめていた。

 しかし、5歳下の夫と出会ってすぐに予期せぬ妊娠をし“授かり婚”をすることに。自然に妊娠して、普通に分娩できて、健康な子どもが生まれたことは、奇跡的だったといえる。にもかかわらず、高齢出産に慣れない育児で奮闘する日々を過ごすうち、そんなことはあっという間に忘れ去っていたのだ。

 出産後、やっと生理が戻ってきて1年、Kさんはいよいよ2人目の妊活をスタートさせた。基礎体温を毎日測って排卵日を予測し、1か月に1回だけの貴重なチャンスに集中して子づくりに励んだ。数か月後、風邪をひいて熱が出たけれど、大事な仕事だったので、薬を飲んで無理して出張に出かけたことがあった。

 が、熱は風邪ではなく、妊娠のせいだった。知らずに薬を飲んでしまったことを後悔したKさん。かかりつけのクリニックで「おめでとうございます」と言われたが、最後に主治医が述べた言葉がひっかかった。

「心拍が弱い感じがします。来週もう1度、来てください」

 不安が募り、赤ちゃんにいったい何が起きているのかネットで検索して、流産の可能性が高いことを知る。1週間後、クリニックでエコー検査を受けると、主治医から「残念ながら、赤ちゃんの心拍がなくなっています」と、申し訳なさそうに言われた。

 診断名は『稽留(けいりゅう)流産』(子宮内胎児死亡)。胎児や胎盤を排出する手術の日取りが決められたが、衝撃のためか、Kさんには当時の記憶があまりない。

心身の負担は大きくなるばかり

 その年のクリスマスが手術の予定日だった。クリスマスイブは、小さなケーキを買ってきていたが、おなかの中ですでに死んでしまった赤ちゃんのことを考えると、お祝いする気になれなかった。

 その晩、Kさんの体調はどんどん悪くなり、つわりのような吐き気と腹痛が続いていた。精神的におかしくなり、夫に日ごろの不満を爆発させ、しまいには泣き出した。

 真夜中にトイレに入ると、大量出血とともに、大きな血のかたまりが出てきた。あわててそれを拾い上げ、きれいな缶にティッシュをしき、その上にそっと置いた。

 それから1年がたち、Kさんは再び妊娠した。かかりつけのクリニックで診察を受けると、今度は最初から心拍が確認できなかった。1度目の流産で経験しているので、今回も自然に流れるのを待つことにした。

 雑誌で「卵子の老化」という言葉を目にするたびに、“私のせいだな”と思った。“1人いるからいいじゃない”という励ましの言葉にも傷ついた。

「もっと早くから、卵子が老化するということを知っていたら、仕事に夢中になって、妊娠適齢期を逃すなんてこともなかったのかもしれません。今ごろ言ってもはじまりませんけどね」