自動車メーカーのマツダの英語名は「Mazda」。なぜ「Matsuda」ではないのでしょうか。実はこの英語名には、マツダ創業者の思いが込められているといいます。

戦後の広島を「Mazda」が駆け回った

 自動車メーカーのマツダの社名は、マツダの前身となる東洋工業が初めて生産、販売した3輪トラックの名称が由来。マツダの英語表記「Mazda」もその時に決められたといいますが、その英語表記は「ツ」にあたる部分が「z」になっています。マツダによると、「Mazda」には同社の創業者である松田重次郎氏の思いが込められているといいます。


東洋工業が1931年に発売した3輪トラック「マツダ号 DA型」。タンク側面に「Mazda」の文字がある(画像:マツダ)。

 マツダの歴史は1920(大正9)年に広島で設立された「東洋コルク工業」に始まります。1927(昭和2)年に「東洋工業」へ改称して自動車産業に参入、1931(昭和6)年10月に第1号の自動車製品となる3輪トラックを発売します。この時、社長の松田氏を中心に3輪トラックの名称を検討。いくつかの候補が挙がるなか、松田氏の姓にちなんだ「マツダ号」に決定しました。
 
 一方、英語表記については、古代西アジア(イラン)の文明とともに誕生したゾロアスター教の最高神で、叡智、理性、調和の神とされる「アフラ・マズダー(Ahura Mazda)」の名称を重ね、「Mazda」と決められました。松田氏は、アフラ・マズダーを「東西文明と自動車文明の始原的シンボル」ととらえ、自動車産業の光明となるようにとの思いを込めたといいます。
 
 1945(昭和20)年、広島の街を一瞬で焼け野原にした原爆投下から4か月後、東洋工業は3輪トラックの生産を再開します。マツダ広報部は、「当時製造した3輪トラックがどのように使用されたかの記録は残っていませんが、戦後の広島の映像で多くの3輪トラックが走る様子がみられることから、弊社のトラックも広島の復興に貢献していたものと思います」と話しています。
 
 「マツダ」と「Mazda」はその後も自動車のブランド名として使われ、1984(昭和59)年には社名も「東洋工業」から「マツダ」に統一。創業者が思いを込めた製品名は現在のマツダそのものとなって受け継がれています。

【写真】世界で最も売れているマツダ車、「アクセラ」


2018年現在のマツダ車で最も販売台数の多い「アクセラ」。2016年には世界累計生産500万台を達成した(画像:マツダ)。