松井 裕樹投手(桐光学園−東北楽天ゴールデンイーグルス)「成功の最大の要因は技術ではなく、誰にでも可愛がられる性格」

写真拡大 (全2枚)

 桐光学園(神奈川)時代は2年夏に甲子園出場を果たし、今治西(愛媛)戦で1試合22奪三振の大会記録を樹立。2013年秋のドラフト会議ではドラフト1位指名を受け、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した松井 裕樹投手。現在は抑えのエースとして2年連続30セーブを挙げ、ワールドベースボールクラシックの侍ジャパンにも選出されるなど、日本を代表する投手への階段を着実に上っている。

名投手コーチ・小谷氏、浦和学院・森監督が惚れた松井の将来性の高さ

中丸 敬治監督(青葉緑東シニア)

 そんな松井投手は中学時代もシニアリーグの強豪・青葉緑東シニア(神奈川)で全国優勝を果たしている。当時からチームを率いている中丸 敬治監督は最初に見た時の印象について「まだ小学生でぽっちゃりとしていましたし、実力的にも特別すごいというわけではありませんでした」と振り返る。実際、入部から2年間はエースになれなかった松井投手。しかし、キラリと光る素材の良さは感じさせていた。

「ヒジから先がとても柔らかく、しなやかな筋肉を持っていたので、まったくケガをしませんでした。元々投げるのが好きなタイプでしたが、いくら投球練習をしてもヒジや肩が痛いという言葉は聞いたことがありません。そして、ボールを扱うのがとても上手でしたね。当時、変化球はカーブしか投げていなかったのですが、フワッと浮き上がってから打者の手元で鋭く曲がる落差の大きなボールを投げていて、プロのスカウトの方が『高校生を含めても関東地区で3本の指に入るカーブ』と評価するほど。スライダーは高校に入ってから投げるようになったのですが、中学時代から変化球を投げる技術はかなりのものでした」

 それゆえに松井投手が頭角を現す前から、その高い将来性を指摘する人物もいた。1人目は長きにわたってプロ野球界でピッチングコーチを歴任し、今季は巨人で巡回投手コーチを務めている小谷 正勝氏だ。「プロ野球のシーズンオフやオールター休みなどを使って来てくださっていたのですが、松井のことは気にかけてくれて3年間、指導してくださいました。おそらく、磨けば光る天性のものを早くから感じていたのだと思います。逆に、07年に全国制覇した時は、今、野手としてプロでプレーしている榎本 葵(ヤクルト)がピッチャーを務めていたのですが、彼にはほとんど教えていなかったですからね(笑)」

 もう1人は、高校球界の強豪・浦和学院(埼玉)で指揮を執る森 士監督だ。「まだ松井が入団したての4月でしたが、キャッチボールをしている姿を見て、『あの投手はウチに欲しい』と言ったんですよ。やはり見る目があるんですね。結局、松井は桐光学園に進学しましたが、浦和学院と練習試合をする機会があり、そのゲームは1安打完封。でも、試合後の森監督は『仕方がない』と言って選手を責めなかったそうです」

 これだけの才能を持ちながら、中学3年になるまで能力を発揮できなかった理由は体力面にあったという。「球速も速くなかったですし、例えば、ここを直した方が良いという欠点があったとしても、小谷さんは『今、手を加えても意味がない』と、ある水準まで体が出来上がってくるのを待ち、しかるべきタイミングで修正を行うようにしていました。松井も体の成長に合わせた指導を受けていたので、少し時間が掛かったのでしょう」

中丸監督の指導方針が松井とマッチしていた

松井 裕樹投手(東北楽天ゴールデンイーグルス)

 もちろん、だからといって時間が経過するのを、ただ指をくわえて待っていた訳ではない。「走るのは好きじゃなさそうでしたが、ランニングのメニューや体幹トレーニングなどはきちんとやっていました。ウチの選手は代々、上級生ほどよく練習するので、松井も良い先輩をお手本にしていたと思いますね。あと、家でもテレビを見ている時には、米びつに手を入れて米を握り、握力や指先の力を鍛えていました。松井は、こうした地道な努力を積み重ねられる選手でしたから、中学の3年間は停滞することなく順調に成長し、毎年、良くなっていったんです。特に2年生から3年生にかけての伸び方はすさまじかったですね」

 中丸監督の指導方針も松井投手にぴったりとマッチしていた。「指示待ちの選手を作らないように、このチームでは子供たちが考える前に教えてしまうということはありません。だから、練習もあれこれと細かくは言いませんし、選手は自分自身でメニューを考えて自主練習に励んでいます。そして、こちらからノルマを与えることもありませんが、逆にやる気があるのなら、やりたいだけ選手にやらせるようにしています。こうした環境も、真面目で一生懸命な松井の性格に合っていたのでしょう」

 ちなみに、青葉緑東シニアは所属する中学生選手の「今」ではなく数年先を見据えた指導を基本としており、目先の勝敗にはこだわらないという。「過度なトレーニングやウエイトトレーニングはやっていません。プロテインなどで体を作り上げることもしていません。それよりも中学時代はキャッチボールやトスバッティングなど、簡単なことをいかにきちんとできるようになるかが大切だと思います。そして、アウトにできるところはきっちりとアウトを取る。そのように基本がしっかりとできていれば、高校、大学、さらにその先の未来へとつながっていくものがあると思います」

 中学3年になる頃には、チームの絶対的な存在だった坂本 秀仁(現:専大)と並び、Wエースの一角として先発を任されるようになった松井投手。10年の春の全国選抜大会は1回戦で敗れたものの、同年の夏のリトルシニア日本選手権大会では優勝。日本一の栄誉をもたらす立役者の一人となった。「印象に残っているのは、全国大会の決勝戦で先発し、神村学園リトルシニア(鹿児島)を相手に完封勝利(2対0)を挙げたことですね。 その頃から奪三振の数が多くて、7回を投げたら9〜10個。イニング数よりはるかに多い三振を奪っていました。ストレートの球速は、まだ130km/hに届くかなというくらいだったのですが、カーブとのコンビネーションで速く見せる術を持っていましたね」

成功のカギは、人間性

松井 裕樹投手(東北楽天ゴールデンイーグルス)

 こうして、華々しい野球人生をスタートさせた松井投手だが、中丸監督が考える成功の最大の要因は野球の技術や体力ではなく、性格にあると指摘する。「彼は素直で、可愛げのある性格をしているんです。だから、監督、コーチや先輩などがとても目をかけてくれる。自分ができることの中で、10のうちの9は周りから助けてもらっているんですよね。自分だけでできることなんて1しかない。報道を見ると、松井は田中 将大選手(ニューヨーク・ヤンキース<関連記事>)や楽天のチームメートのみなさんに良くしていただいているようですから、彼の性格は今も変わっていないのでしょうね」

 そして最後に、中丸監督から松井選手へエールを送ってもらった。「今は抑えというポジションを任されていますが、与えられた場所で少しでもチームに貢献できるように頑張ってください。自分の実力以上のものを出せとは言いません。自分の持っている力の範疇で構わないので、100%に近い結果を出せるようにプレーしていってもらいたいです。そして、まだまだ若いですから、これからも成長していける余地があると思うので、今がピークだと思わずに精進を続けてほしいです」

 目の前の結果だけにこだわって焦ることなく、体の成長に合わせて最適なタイミングでトレーニングを行い、技術や体力を身に付けていくこと。それが今の松井投手を作り出した。そして、素直な心を持って周囲に愛されることが、野球のみならず様々な分野で成功を引き寄せる秘訣なのだろう。

(取材=大平 明)

オススメ!第89回選抜高等学校野球大会特設サイト