全国レベルの東海大甲府に食い下がる山梨学院、日本航空などに甲府工も健闘(山梨)
社会科の地理的に言うと、山梨県は甲信越ということでくくられる。しかし、高校野球の地区割りには甲信越というのがない。だから、山梨がどこに所属するのかというのは一瞬迷うところだが、高校スポーツでは交通等の面も含めて関東地区に割り振られているのが普通だ。新宿から特急で1時間半で甲府に着くことを考えてみれば当然のことだろう。
東京からの選手が多い山梨県の私学校日大明誠ナイン(2016年 秋季山梨県大会準々決勝より)
都心に近いという地の利は高校野球にも生きている。というのは、山梨県の多くの私学の場合は東京からの選手が多いからだ。その理由はいくつかあるが、八王子や神奈川県など、人口の増加している東京、神奈川の多摩方面の郊外からだとさらにその距離は近い。それらの選手が山梨の学校に行くことによって、その情報が濃くなり、またまた中央線で山梨へ向かう生徒が増えるということもある。
ことに、上野原あたりは意識としては東京都と言っても過言ではないくらいであろうか。現実に、同市にある日大明誠などは東京出身の生徒を考えた上でないとチーム構成することが出来ないくらいだ。そして、「あいつが行くのなら」ということで、その周辺で別の山梨の学校へ進学していく生徒もまた増える。また、学校自体も県内だけではなく県外生も広く受け入れることで運営できているのも確かだ。
近年の実績では一番の東海大甲府や日本航空も、学校の特殊性もあるが、スポーツ強化という方針もあって県外勢力で強化してきた学校ともいえる。このように、山梨県の高校野球は、県外組の勢力の私立勢と県内の地元生徒が中心の公立とくっきりと区分けができる。近年は私立校が躍進してきているという背景には少年野球の有力選手を集めやすいということも影響しているのではないかとみて間違いないであろう。山梨県の高校野球としては、歴史は戦前は残念ながらほとんど語れるものがなかった。戦後も昭和30年代になって甲府商、甲府工の公立校の両校が甲子園で一つ二つ勝てるようになってやっと形になってきたといっていい。
甲子園出場が少なかった時代整然とした応援を展開する甲府工応援団
山梨県にとっての不幸は、1県1校になるまでは静岡県や埼玉県と組まざるを得なくて、そのことによって甲子園の機会を少なくしていたのだ。また、そんな時代は選手も集まりにくく、地方都市ではリーダー格となることの多い旧制中学系の甲府一も僅かに戦前1回、戦後2回の全国大会を経験するに留まっていた。このことも、県内高校野球活性化の歯止めとなっていたようだ。したがって、山梨県は関東大会に組まれていても上位に顔を出すことも少なかった。県内では人気ナンバー1の甲府工も、全国ではもう一つ印象的な活躍のないまま出場回数を重ねていくという感じだった。
そこへ刺激となったのが東海大甲府の登場だった。大八木 治監督が就任して以来東海大相模を彷彿させるチームで、85年夏、87年春とベスト4に残る。このあたりから山梨県の高校野球のレベルは飛躍的にアップしていく。その後、東海大相模から異動してきた村中 秀人監督が就任して、神奈川県の選手も山梨県に興味を持ち出す機会も多くなった。このことで、選手の幅も広がっている。04年夏と12年夏には全国ベスト4。全国制覇へ県民の期待も高まっている。
こうして、甲府工と東海大甲府が引っ張る形で発展していった山梨県。日本航空と長崎県の清峰で実績をあげていた吉田 洸一監督を招聘した山梨学院、県北部で長野県に近い小淵沢市の帝京三などが追いかけている。公立では甲府工のライバルとしては甲府商があり、さらには91年春に初出場でベスト4に進出している市川が、近年もチーム力は充実。体育科のある名門日川や身延、かつて甲子園出場の実績がある吉田なども追随している。
山梨県の面白さは応援団が女子生徒も袴姿やガクランを着て、男子同様にエールを振るというスタイルの多いことだ。吉田、日川、都留の公立校にそれが多いのだが、このところ躍進してきている富士学苑もそのスタイルを導入している。関東地区では、参加校数は最も少ない県だけに、ふと勢いづくことができれば、あれよあれよと頂点まで駆け上がれる可能性もある。それだけに、どこでも可能性は秘めている可能性は、他県よりは確実に高いことは間違いない。
(文:手束 仁)
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