時代設定に疑問「昭和元禄落語心中 助六再び編」3話
「オイラはとにかく落語に出てくる人が好きでたまらないんです。どんなどん底にいたって、あいつらなら這い上がってくらァ。あいつらをみーんなに紹介してえんで」
「それが落語の為めってことかエ。そいじゃお前さんがやる意味無いじゃないか。[……]お前さんは我欲が無さすぎる」
雲田はるこ原作アニメ『昭和元禄落語心中 助六再び編』第3話は、主人公・三代目有楽亭助六の過去が一部明らかになり、また籍を入れた女房・小夏の秘密もほの見える回であった。前回、自分の落語が確立できていないことに苦悩していた助六は、ようやく今回一つの突破口を得る。それが過去との全存在をかけた対話だったというのが、自身の夢や希望だけではなく、闇や悔恨、どうしようもない赤恥までも取り込んで芸としていく、落語家らしいありようだったといえる。
原作では6巻の後半にあたる部分だ。
気になったのは一点。助六に目をつけて取材を続ける作家・樋口のノートに「89年」と記されていたことである。第1回の背景から1990年の物語と判断したのだが、もう1年早かったか。そうすると助六の真打昇進は1989年のこととなり、以下の人々と同時ということになる。
1989年3月:夢月亭清麿・林家鉄平(ともに落語協会)、三遊亭喜八楽(五代目円楽一門会)
1989年5月:三遊亭笑遊・桂伸治(ともに落語芸術協会)
ちなみにこの年、落語立川流は真打を誕生させていない。1983年に創立された立川流は、初期にはビートたけし・高田文夫などの著名人をBコースの弟子として入門されたことで注目されたが、その後は家元談志ばかりが突出し、弟子が存在感を示すことはまだできていなかった。ようやくこの年に「立川流落語界日本すみずみ出前寄席」が発足している。これは総額99800円で真打・二ツ目・前座から成るユニットを出前し、その場で落語会を成立させる、というものだ。現在日本の至るところで行われている地域寄席は、この出前寄席を起源としていることも多い。落語人気は冬の時代だったが、着々と種は蒔かれていた。
いずれにせよ平成元年から2年頃が助六昇進の時期と見てよさそうだ。バブルと呼ばれた好景気は弾ける寸前であり、暴力による地上げが横行するなど社会倫理のたがが緩み切っていた時期である。それを鑑みた綱紀引き締めともいえるのが1991年に制定されて翌年から施行されたいわゆる暴対法で、「親分」が公然と料亭に現れたり、芸人である八代目有楽亭八雲がそれと交際するというようなことは、以降だんだんと難しくなっていく。現在に至る社会の空気が出来上がる前の、ごく短い間の時代の雰囲気をこの作品は背負っているのだ。
4話の放映後、1月31日(火)にはこの『昭和元禄落語心中』放映を記念したイベントがある。東京の寄席を1ヶ月を10日ずつに区切り、それぞれ上・中・下の席と呼ぶが、それだと31日だけが余る。これを余一会といい、落語立川流など普段は上がらない団体の興行や、特別編成の番組などに充てるのである。通常は各寄席で企画を立てるのだが、今回は上野鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿末廣亭の3ヶ所で同時に「昭和元禄落語心中」に因んだ興行が行われる。名付けて「昭和元禄落語心中寄席 -新宿・浅草・池袋 落語まつり-」である。すでに前売はソールドアウトということで大人気だが、新宿末廣亭の興行には原作者の雲田はるこ氏もゲストとして来場される由。筆者は悩んだ末、春風亭一朝が「蛙茶番」を予告している末廣亭を選択した。3ヶ所のうちどれか1つでも昼席にしてくれれば2つは行けたのに、とは愚痴である。全部、夜席なのだ。
今回の場合は東京4団体のうち落語協会の共同主催である。これだけでも十分に華々しいのだが、他の3団体も交えての「落語まつり」開催もぜひ今後は期待したい。過去には落語協会幹部の春風亭小朝が企画者となって2004年から2008 年まで大銀座落語祭が開催されたことがある。このとき小朝は、笑福亭鶴瓶・林家こぶ平(現・正蔵)・立川志の輔・春風亭昇太・柳家花緑らと「六人の会」というユニット興行をやっていた時期で、それが核となってこの大イベントが実現した。現在最大規模を誇っているのは、「笑点」出演でおなじみの六代目三遊亭円楽が肝煎りを務める博多・天神落語まつりであり、2016年に十周年を迎えた。落語本来の楽しみ方はもちろん寄席で聴くのが一番だが、こうしたフェス形式によって観客を拡大していく試みも大事だろう。
芸人のサンキュー・タツオが席亭を務め、毎回開催されている「渋谷らくご」は規模は小さいながらもこうした団体の垣根を越えた試みのモデルケースになっている。将来的にはここから発展し「大渋谷落語祭」が開かれることになるはずだ。
今回出てきた噺は2つ。
最初に助六が屋形船の上で稽古をしていたのは「大工調べ」である。故・古今亭志ん朝など多くの演者が得意としていた噺で、与太郎が大工の商売道具である道具箱を溜まっていた店賃のかたに大家に取られてしまう。棟梁が金を渡してそれを取返しに行かせるのだが、与太郎の口のききようのせいで喧嘩になる。間に入って頭を下げていた棟梁も、大家があまりに権柄づくなのに腹を立て、ついに啖呵を切り始める、というのが「大工調べの序」。高座ではここで切られることがほとんどだが、ちゃんと続きがある。奉行所のお白州で大岡越前の調べによって白黒がつけられる。だから「大工調べ」で、オチは「細工は流々、仕上げを御覧じろ」という決まり文句にちなんだものだ。
山場はなんといっても棟梁の啖呵なので、ここを聞いてスカッとできれば、後は話の結末にはこだわらない、というファンもいるだろう。そういう意味では落語界有数の「気持ちのいい啖呵」を含む話だ。故・立川談志によれば、五代目古今亭志ん生はこの棟梁をさして「うン、あいつは啖呵を切りてぇ奴なんだ」と言っていた由。あらすじや言外の意味よりも、言葉そのもののリズムを楽しむ落語の典型といえる。
もう一つの「居残り佐平次」は、八雲から助六に、親子会をやる条件として覚えるように言われ、稽古をつけられる場面で語られる。八雲の「佐平次」は先代である二代目・助六そのままの型なのだ。『幕末太陽伝』として映画化され、フランキー堺がこの佐平次を演じたのはあまりに有名である。八雲の言う通り演者の人間が出る噺で、近年ではやはり故・立川談志の十八番という印象が強い。
特に名演として知られるのが2004年3月27日の町田市民ホールのそれで、DVD『談志大全(上)』第9巻他でソフト化されている。そのときの談志は、
「無意識のアドリブが縦横無尽に走り回り、“居残どん"が勝手気儘に動き、それを談志(わたし)がカメラを持って追っている」
というようなトランス的な状態であったとか。芸の最盛期を感じさせる高座の一つである。
作中に出てきたがこの噺のオチも古くて通じにくい。「それであたしをおこわにかけたのか」「旦那の頭が胡麻塩です」というのは、「御強(おこわ)にかける」というのは「一杯食わせる」の意で、「おこわ=赤飯」の連想からこういうオチになる。談志は遊郭用語である「裏を返す」(一度上がった遊女を再訪する)を使ったオリジナルのオチを作っており、これは非常に切れ味がいい。
次回放送の第4話では真打として成長した助六の姿が見られると共に、小夏が落語という芸能に対していかに強い気持ちを抱いているかが描かれるはずだ。お楽しみに。
恥ずかしながら、私も落語会を主催しております。本日以降の興行は以下のとおり。
本日、1月27日は落語芸術協会の重鎮・瀧川鯉昇独演会。若干数でしたら当日券もお出しできます。
2月に入って、1日は真打昇進が決まった三遊亭好の助落語会。お客様を無視して自分が満足する会、という不穏な題名がついております。不安だけど楽しみ。
3日は二ツ目・立川寸志が、滑稽話だけで百席達成に挑戦する落語会、その第1回です。一から演者を応援してくださるお客様をただいま募集中。
「それが落語の為めってことかエ。そいじゃお前さんがやる意味無いじゃないか。[……]お前さんは我欲が無さすぎる」
助六、闇を抜ける
雲田はるこ原作アニメ『昭和元禄落語心中 助六再び編』第3話は、主人公・三代目有楽亭助六の過去が一部明らかになり、また籍を入れた女房・小夏の秘密もほの見える回であった。前回、自分の落語が確立できていないことに苦悩していた助六は、ようやく今回一つの突破口を得る。それが過去との全存在をかけた対話だったというのが、自身の夢や希望だけではなく、闇や悔恨、どうしようもない赤恥までも取り込んで芸としていく、落語家らしいありようだったといえる。
原作では6巻の後半にあたる部分だ。
時代設定に疑問。1989年?
気になったのは一点。助六に目をつけて取材を続ける作家・樋口のノートに「89年」と記されていたことである。第1回の背景から1990年の物語と判断したのだが、もう1年早かったか。そうすると助六の真打昇進は1989年のこととなり、以下の人々と同時ということになる。
1989年3月:夢月亭清麿・林家鉄平(ともに落語協会)、三遊亭喜八楽(五代目円楽一門会)
1989年5月:三遊亭笑遊・桂伸治(ともに落語芸術協会)
ちなみにこの年、落語立川流は真打を誕生させていない。1983年に創立された立川流は、初期にはビートたけし・高田文夫などの著名人をBコースの弟子として入門されたことで注目されたが、その後は家元談志ばかりが突出し、弟子が存在感を示すことはまだできていなかった。ようやくこの年に「立川流落語界日本すみずみ出前寄席」が発足している。これは総額99800円で真打・二ツ目・前座から成るユニットを出前し、その場で落語会を成立させる、というものだ。現在日本の至るところで行われている地域寄席は、この出前寄席を起源としていることも多い。落語人気は冬の時代だったが、着々と種は蒔かれていた。
いずれにせよ平成元年から2年頃が助六昇進の時期と見てよさそうだ。バブルと呼ばれた好景気は弾ける寸前であり、暴力による地上げが横行するなど社会倫理のたがが緩み切っていた時期である。それを鑑みた綱紀引き締めともいえるのが1991年に制定されて翌年から施行されたいわゆる暴対法で、「親分」が公然と料亭に現れたり、芸人である八代目有楽亭八雲がそれと交際するというようなことは、以降だんだんと難しくなっていく。現在に至る社会の空気が出来上がる前の、ごく短い間の時代の雰囲気をこの作品は背負っているのだ。
大落語フェス、再び
4話の放映後、1月31日(火)にはこの『昭和元禄落語心中』放映を記念したイベントがある。東京の寄席を1ヶ月を10日ずつに区切り、それぞれ上・中・下の席と呼ぶが、それだと31日だけが余る。これを余一会といい、落語立川流など普段は上がらない団体の興行や、特別編成の番組などに充てるのである。通常は各寄席で企画を立てるのだが、今回は上野鈴本演芸場、浅草演芸ホール、新宿末廣亭の3ヶ所で同時に「昭和元禄落語心中」に因んだ興行が行われる。名付けて「昭和元禄落語心中寄席 -新宿・浅草・池袋 落語まつり-」である。すでに前売はソールドアウトということで大人気だが、新宿末廣亭の興行には原作者の雲田はるこ氏もゲストとして来場される由。筆者は悩んだ末、春風亭一朝が「蛙茶番」を予告している末廣亭を選択した。3ヶ所のうちどれか1つでも昼席にしてくれれば2つは行けたのに、とは愚痴である。全部、夜席なのだ。
今回の場合は東京4団体のうち落語協会の共同主催である。これだけでも十分に華々しいのだが、他の3団体も交えての「落語まつり」開催もぜひ今後は期待したい。過去には落語協会幹部の春風亭小朝が企画者となって2004年から2008 年まで大銀座落語祭が開催されたことがある。このとき小朝は、笑福亭鶴瓶・林家こぶ平(現・正蔵)・立川志の輔・春風亭昇太・柳家花緑らと「六人の会」というユニット興行をやっていた時期で、それが核となってこの大イベントが実現した。現在最大規模を誇っているのは、「笑点」出演でおなじみの六代目三遊亭円楽が肝煎りを務める博多・天神落語まつりであり、2016年に十周年を迎えた。落語本来の楽しみ方はもちろん寄席で聴くのが一番だが、こうしたフェス形式によって観客を拡大していく試みも大事だろう。
芸人のサンキュー・タツオが席亭を務め、毎回開催されている「渋谷らくご」は規模は小さいながらもこうした団体の垣根を越えた試みのモデルケースになっている。将来的にはここから発展し「大渋谷落語祭」が開かれることになるはずだ。
今回の噺
今回出てきた噺は2つ。
最初に助六が屋形船の上で稽古をしていたのは「大工調べ」である。故・古今亭志ん朝など多くの演者が得意としていた噺で、与太郎が大工の商売道具である道具箱を溜まっていた店賃のかたに大家に取られてしまう。棟梁が金を渡してそれを取返しに行かせるのだが、与太郎の口のききようのせいで喧嘩になる。間に入って頭を下げていた棟梁も、大家があまりに権柄づくなのに腹を立て、ついに啖呵を切り始める、というのが「大工調べの序」。高座ではここで切られることがほとんどだが、ちゃんと続きがある。奉行所のお白州で大岡越前の調べによって白黒がつけられる。だから「大工調べ」で、オチは「細工は流々、仕上げを御覧じろ」という決まり文句にちなんだものだ。
山場はなんといっても棟梁の啖呵なので、ここを聞いてスカッとできれば、後は話の結末にはこだわらない、というファンもいるだろう。そういう意味では落語界有数の「気持ちのいい啖呵」を含む話だ。故・立川談志によれば、五代目古今亭志ん生はこの棟梁をさして「うン、あいつは啖呵を切りてぇ奴なんだ」と言っていた由。あらすじや言外の意味よりも、言葉そのもののリズムを楽しむ落語の典型といえる。
もう一つの「居残り佐平次」は、八雲から助六に、親子会をやる条件として覚えるように言われ、稽古をつけられる場面で語られる。八雲の「佐平次」は先代である二代目・助六そのままの型なのだ。『幕末太陽伝』として映画化され、フランキー堺がこの佐平次を演じたのはあまりに有名である。八雲の言う通り演者の人間が出る噺で、近年ではやはり故・立川談志の十八番という印象が強い。
特に名演として知られるのが2004年3月27日の町田市民ホールのそれで、DVD『談志大全(上)』第9巻他でソフト化されている。そのときの談志は、
「無意識のアドリブが縦横無尽に走り回り、“居残どん"が勝手気儘に動き、それを談志(わたし)がカメラを持って追っている」
というようなトランス的な状態であったとか。芸の最盛期を感じさせる高座の一つである。
作中に出てきたがこの噺のオチも古くて通じにくい。「それであたしをおこわにかけたのか」「旦那の頭が胡麻塩です」というのは、「御強(おこわ)にかける」というのは「一杯食わせる」の意で、「おこわ=赤飯」の連想からこういうオチになる。談志は遊郭用語である「裏を返す」(一度上がった遊女を再訪する)を使ったオリジナルのオチを作っており、これは非常に切れ味がいい。
次回放送の第4話では真打として成長した助六の姿が見られると共に、小夏が落語という芸能に対していかに強い気持ちを抱いているかが描かれるはずだ。お楽しみに。
恥ずかしながら、私も落語会を主催しております。本日以降の興行は以下のとおり。
本日、1月27日は落語芸術協会の重鎮・瀧川鯉昇独演会。若干数でしたら当日券もお出しできます。
2月に入って、1日は真打昇進が決まった三遊亭好の助落語会。お客様を無視して自分が満足する会、という不穏な題名がついております。不安だけど楽しみ。
3日は二ツ目・立川寸志が、滑稽話だけで百席達成に挑戦する落語会、その第1回です。一から演者を応援してくださるお客様をただいま募集中。