JR蒲田駅から徒歩15分ほど離れた大田区の閑静な住宅街の一角に佇む町工場。一見スポーツとは何の関係もなさそうに見えるが、ここが今回の取材先である。

話を伺ったのは電子機器、制御システムの設計製造など行っている株式会社フルハートジャパンの代表取締役・國廣愛彦氏(写真・右)。彼は会社事業と同時に現在、「下町ボブスレー」ネットワークプロジェクト推進委員会の委員長を務める人物である。

東京都大田区の町工場が中心となり、ボブスレー競技用のソリの開発を進める「下町ボブスレー」プロジェクトは2011年から行われている取り組みで、五輪日本代表チームでの採用を目指して活動しているものの、前回のソチ、そして次回平昌五輪では採用されないことが既に決まっている。

しかし、その結果を受けて海外チームへの採用へ方針転換したところ、今年1月にジャマイカ代表チームが「下町ボブスレー」の使用を決定した。

ボブスレーを通して“日本のモノづくり”の底力を世界に発信する。挑戦を続ける人物の熱い想いに迫っていく。

五輪への挑戦、ソチ大会に向けた動き。

ボブスレーとはウィンタースポーツの1つで、流線型のボディを持ったソリで氷上のコースを滑り降りていく競技である。男子4人制、2人制と女子2人制の3種目からなる。

選手間の連係なども当然重要になってくるわけだが、もう1つ大切なのがソリ選びだ。

当初ソチ五輪に出場するボブスレー日本代表へのソリ採用に向けて動き始めた下町ボブスレーだったが、いきなり大きな壁にぶち当たることとなる。

「基本的に連盟は選手がどうしたら世界で活躍出来るのかを考えて行動しています。それをベンダーの下町ボブスレーが支援するという形になるわけですが、どうしても”我々がボブスレーを利用したい”というように見えてしまうらしいんですよね」

初めて日本がボブスレー競技に参加したのは1972年の札幌冬季五輪。40年もの歴史がある中で、しがらみやプロジェクト立ち上げから数年の下町ボブスレーに対する不信感もあったのかもしれない。スポーツを通して本業のビジネスの発展に繋げたい側面はもちろんあるのだが、それを“下心”と捉えられ、利用することをよしとしない部分があったようだ。

当時の日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟の会長が“日本のものづくり”を世界に発信するという点において理解を示し、ソチ五輪前年の2013年10月末にカナダ・カルガリーで行われたテスト運行まで何とかこぎつけたものの、本番が迫り、改良までの時間がないという判断で最終的に不採用が決まった。

現場とのコミュニケーションが取れておらず、選手からの要望も拾い切れていなかったということを認めつつも、当初の構想とは違った形で話が進んでいたと國廣氏は話す。

「テストで使うソリと、実際に五輪で使用するための改良版のソリは別で準備をしていて、もしカルガリーに持っていったソリがダメであっても、もう1台をすぐに改造する予定で動いていました。問題が出てきた箇所については早急に直し、全日本選手権で使用して優勝した上で五輪に行くという流れが出来ていたんです」

ソチ五輪に向けて、連盟側と協定を結び、開発を進めてきた。それでも不採用となり、納得いかない部分もあったが、4年後の平昌五輪に向けて再挑戦を始めることになった。

 

 

2度目の不採用通知と海外チームへのアプローチ

2015年11月。平昌五輪で日本代表が使用するソリを決めるためのテストがドイツで行われた。

現場では下町ボブスレーとスポンサー企業が購入し、連盟に貸与しているドイツ製のものが比較されることになった。テスト日程として予定されていたのは1日のみ。

ここで下町ボブスレーはドイツ製のソリを上回る成績を残した。しかし、選考テストは思わぬ展開を見せる。

「1日でテストしますという話だったのにコースでタイムを取って下町のソリの方が速かったら、2日目が行われることになったんです。彼等の言い分としては、1日目は条件が一緒ではなかったと。最終的に2日目が公式のタイムとされ、我々は負けました。タイムは僅差だったのですが、それならば一緒に開発を行える下町のソリとそれができない海外のソリ、どちらが良いでしょう?夢があって色々なトライ出来るの我々のソリだと思いませんか。」

下町ボブスレーを日本代表が採用し、“オールジャパン”の体制で臨んで結果を残すことができれば、世界に向けた大きな発信力になると分かっているからこそ出た本音であろう。

この一連の選考方法と結果を受けて、下町ボブスレーは国内から海外に目を向けることになる。

いくつかの海外チームにテストのオファーを出した中で実際に来日してテストを行うことになったのはジャマイカだった。そしてテストの結果、2016年1月に平昌五輪を目指す同国の代表が下町ボブスレーを採用することになった。ボブスレーとジャマイカといえば(※)映画「クールランニング」を思い浮かべる人も多いかもしれない。

※クールランニング:1988年カルガリー冬季五輪に初出場したボブスレージャマイカ代表の実話を元にした映画。

南国は練習環境の問題などもあり、冬季五輪でなかなか結果を残すのが難しく、ジャマイカもその例外ではない。ソチ五輪では最下位(男子2人乗り)に沈んでいる。だが、今回のジャマイカ代表チームに勝機がないわけではない。

「去年からアメリカ国籍だった選手がジャマイカに帰化したんです。元々アメリカ代表でソチ五輪にも出場していた一流選手が入りました。ジャズミン選手といって、W杯総合3位の実力を持った選手が来てくれました。これによってソリの本当の良し悪しが分かるようになるんです」

これまではテストしてもらっても選手の技量が向上したのか、ソリが良くなったのか、判断がしにくく、タイムが上がったとしても何が原因なのか分からない事が多かったのだという。

その点世界トップクラスの選手と一緒に開発を進めていけるということは下町ボブスレーにとって、願ってもないチャンスなのだ。

そしてそのジャマイカ代表を率いるのもまた、ボブスレーアメリカ代表として五輪で銀メダリストとなった経験を持つトッド・ヘイズコーチである。

「ジャマイカは冬の競技ではメダルがない。だからこそ、歴史的な快挙を作りたいという思いがあるんです。下町ボブスレー、トッドさん、ジャズミンの3本柱で今回の五輪はメダルを獲りに行くというプロジェクトになっています」

日本代表での採用は叶わなかったものの、國廣氏は平昌五輪に向けて自信に満ちた表情で語ってくれた。

 

<後編へ続く>