記者会見に登場したピコ太郎(2016年10月28日、J-CASTニュース撮影)

2016年、芸能界で最も話題をさらった「新人」は、間違いなく「ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)」のピコ太郎だろう。YouTubeに投稿した1本の動画から火が点き、とうとう米ビルボードにランクインしてしまうなど、日本発のコンテンツとしては異例といえる「世界的ヒット」となった。

こうしたブームを、83歳の本コラム筆者・ぶらいおんさんはどう見ただろうか。その連想は古くからの民衆の踊り、トニー谷、そして「ええじゃないか」にも及ぶ。

軽い今の世相を、軽い調子でおちょくった...というのは深読みか

編集者からの提案テーマとして、最初聞いたとき、正直、何のことか?良く分からなかった。しかし、「ペンパイナッポーアッポーペン」を頼りにインターネット上で検索を掛け、動画を視聴してみて、直ぐに、大分前に観た、大いに世界的にも話題となった、韓国人の演ずる乗馬のような振りを思い出した。

結局、あれと同じ類のものだ。

筆者の感想は、イギリスのBBCによる次のような紹介の文言に尽きる。

「やみつきになるビート、しょうもない歌詞、そして笑えるシンプルなダンスの繰り返しという、拡散するビデオの要素をすべて備えている」

実は、PPAPそのものに関し、筆者には、これ以上の感想はないのだが、「ペンパイナッポーアッポーペン」動画から派生する事象とか、連想について少し書いてみよう。

この動画を観ながら、振りをまねたり、一緒になって踊ったりしている人々をみていると、元々人は古来から集まって踊ったり、歌ったりする雰囲気を本能的に求めるもので、群衆の中の誰かがきっかけを作ることにより、それが伝播し、一緒になって溺れることになり、そのことが、人々になにがしかの連帯感というか、集団の中での安定感が得られたような感覚をもたらすものなのかも知れない。

たとえば、或る意味ではそれに類似するようにも見えるが、実はPPAPより遥にエネルギーに満ちた、もっと本質に迫る何かを感じ取れるものがある。それらは具体的には徳島の阿波踊りだとか、青森のねぶた祭における「はねと」たちの踊りだとか、あるいはまた、沖縄の人々のエイサーとか、カチャーシー踊りの中にもはっきりと見て取れる。

そういうことから言えば、PPAPは、如何にも軽い!感じがする。

尤も、そうした軽い身体表現によって、PPAPは如何にも軽い今の世相を、軽い調子でおちょくっているのだ、と考えたりするのは、余りにも深読み過ぎるだろうか。

別な面から筆者が思い出したのは、自称・千葉県出身のシンガーソングライター「ピコ太郎」の風貌が、戦後の一時期、お茶の間のテレビ桟敷を賑わせたトニー 谷(トニー たに、1917年〈大正6年〉10月14日 - 1987年〈昭和62年〉7月16日)という舞台芸人(ヴォードヴィリアン)のそれと似ている、ということだ。

頭の格好から、眼鏡や髭の様子、それと両者に共通する「軽薄さ」を売りにしている点などに類似性を感ずるのだが、如何なものだろうか?

知らない人のために、ウィキペディアからの資料により説明すれば、トニー谷とは『リズムに乗り、そろばんを楽器のようにかき鳴らす珍芸が売りで、妙な英単語を混ぜたしゃべりは「トニングリッシュ」と称された。短めのオールバックにコールマン髭、吊りあがったフォックスめがねがトレードマーク。』とある。

一躍、人気芸人となったのは、『1949年、日米野球のため米プロ野球サンフランシスコ・シールズ軍が来日した。芝のスポーツセンターにおける歓迎会の司会は松井翠声が務めるはずだったがスケジュールの都合で出られず、トニーが司会の代役を務め、電撃的な芸人デビューを果たした。以後、「さいざんす」「家庭の事情」「おこんばんは」「ネチョリンコンでハベレケレ」「レイディースエンジェントルメン、アンドおとっつぁんおっかさん」「バッカじゃなかろか」など独特の喋りで爆発的な人気を博す(なお「ざんす」調の始まりは、トニーが兵庫県宝塚市にある新藝座に出演したとき、毎日宝塚会館へダンスに通って、そこで知り合った兵庫県芦屋市の有閑マダムとの会話からヒントを得たという)。』

更に、パブリックイメージとして『トニーは意図的にアメリカ人を、それも日系アメリカ人を模倣した。カタコトのトニー谷流英語(トニングリッシュ)がそれである。第二次世界大戦において連合国軍に負け、その1国であるアメリカ軍やイギリス軍に占領された日本人にとって、それは憎悪の対象でしかなかった。実際にはトニーの異端ハチャメチャ芸は確かに人気を得たが、当時の人にとっては尊敬に値しない単なる風俗現象としてとらえられた。一言で言うと、芸もないのに急に裕福になった成り上がりだった。支配層はトニーに強い妬みを持った。また、敗戦を経た当時の大衆層はトニーを擁護するには貧弱だった。』とある。

この表現をもう少し弱めて引用すれば、「ピコ太郎」現象にも通じるように、筆者には思えるのだが...。

また、トニー谷の場合はどうだったか?知らぬが、一般にその頃のお笑い系の、それも後年、寅さんを演じて有名になった渥美清のようなコメディアンに分類されるような芸人達はみんな長い下積み時代を経てテレビや映画で知られるようになっていた。

彼らが何処で修行し、芸を磨いて来たか、と言えば、大抵は当時流行していた、いわゆるストリップ劇場で、その多くは浅草六区にあったし、また新宿にもフランス座という小舎があった。そういう舞台では、飽くまでストリッパー達のストリップダンスがメインの演し物であり、コメディアン達はそれらの合間の時間に登場して、工夫を重ねたコメディを演じていたが、ちょっとでも退屈を感じさせるようなものには「さっさと引っ込め!」というような遠慮の無い罵声が浴びせかけられたりしていたものだ。

そんな所で、長年苦労し、そして運が良ければテレビや映画に出演するようなチャンスが巡って来る、というような話は良く聞かされた。また、流行歌手なども売り出す前は地方のキャバレー廻りで苦労を重ね、同じように、コメディアン達も同じような場所で、司会をしたり、寸劇を披露したりしながら下積み経験を長年続けた上で、幸運な者だけが、どうにか日の目をみられるようになったものだった。

つまり、「ピコ太郎」のように、或る日突然SNSを介して国内のみならず、外国にまで、あっという間に知れ渡る、といった状況は、現在のインターネット社会だからこその現象だ、と考えられる。
無論、筆者は「ピコ太郎」が全くのど素人で、何の努力も経験も無いのに、動画上で運よく「受けるようになった」と言っているわけではない。彼が自称するようにシンガーソングライター(?)として、もしかしたら長い下積みの苦労をして来た挙げ句の成果なのかも知れない。

たとえ、そうだとしても矢張り、昔の芸人達とは、その出現の仕方が明らかに異なっている、とは言えるはずだ。

今は、チョットした機器と準備さえあれば、誰でも簡単に動画を投稿できるサイトがあるわけだし、それをチェックしている大勢の人々が予め存在しているわけだから、投稿した動画に、優れたアイデアとセンスがあれば、あっという間に世界中を席巻するチャンスは誰にでも開かれている、という事実は、一昔前の長い苦節時代を経た末の芸人ストーリーとは明らかに異なっている。

もう一つ更に飛躍して、歴史的現象を辿ると、筆者の連想は、いわゆる<ええじゃないか>運動に至る。

同じくウィキペディアの記述によれば、『<ええじゃないか>は、日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで発生した騒動。「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ。」という話が広まるとともに、民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊った。』という。

<ええじゃないか>運動の目的は定かでない。『囃子言葉と共に政治情勢が歌われたことから、世直しを訴える民衆運動であったと一般的には解釈されている。これに対し、討幕派が国内を混乱させるために引き起こした陽動作戦だったという説がある。』

ここでは、<ええじゃないか>運動の本質を追究するのではなく、停滞、沈滞した世の中が続き、人々が変革を求めて、持って行きようのない鬱屈したエネルギーを何かに噴出させるという現象として考えてみたい。

「ピコ太郎」の「ペンパイナッポーアッポーペン」アクションが、昔の<ええじゃないか>運動にまで発展するとは到底考えられない。

それは先ず、時代の環境が異なるし、或る事象の伝播する媒質も、現代では、明治維新直前の江戸時代とは根本的に異なっているし、また更に人々のエネルギーの集中力の強さ、或いは高まり、と言ったようなものは、今の世の中の方が比べものにならないくらい多様性に富んでいる分、分散し、またその温度も低下していて、人々の集中力も一点にフォーカス仕様が無いような状態にある。

まして、「ピコ太郎」の「ペンパイナッポーアッポーペン」アクションは、世の中に変革をもたらそう等という意図を当初から有してはいないだろう。下種の勘繰りをすれば、これで有名になって紅白歌合戦の出場を果たすとか、動画のクリック回数の増加によって、思わぬ実入りをもたらせば、大成功、と言ったところではないのか。

そんな社会現象に比べれば、今の世界で、もっと見物(みもの)なのは、マジでアメリカの大統領になるらしい「トランプ」アクションの方であろう。

自らの責任と、自分たちが信じる仕組みの中で、この男を次の大統領として選出してしまった、米国人自身の困惑する様子も誠に興味深いが、人類がここまで繁栄して来た、この地球が21世紀で、どんな方向へ向かい、どんな結末をもたらすことになるのか?

その一部始終を(83歳筆者の今の状態なら)人生の最終章で、見届けることが出来るかも知れない、と考えると誠に楽しみでならない。

筆者:ぶらいおん(詩人、フリーライター)東京で生まれ育ち、青壮年を通じて暮らし、前期高齢者になってから、父方ルーツ、万葉集ゆかりの当地へ居を移し、地域社会で細(ささ)やかに活動しながら、105歳(2016年)で天寿を全うした母の老々介護を続けた。今は自身も、日々西方浄土を臨みつつ暮らす後期高齢者。https://twitter.com/buraijoh