日沖 博道 / パスファインダーズ株式会社

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東京都の築地市場移転に伴う豊洲の「盛り土問題」は一向に収拾の様相を見せない。都の内部調査では「犯人探し」には至らなかったばかりか、その後も新たな事実の発見や誤魔化し行為の指摘が続出しており、予定通りの移転を求めてきた市場関係者からさえも、都に対しての怒りの声が上がっているそうだ。

最初から「犯人探し」に焦点を当てていたマスコミはもちろん、当初は「なぜ今さら蒸し返すのか」と小池知事に反発していた都議会も、一挙に責任者追求モードに切り替わってしまっている。

しかし優先的に明らかにすべき論点は「誰が決めたのか?」ではなく、「コンクリート空間方式と盛り土方式のいずれが汚染土対策として優れているのか?」(したがって「当該建物の地下はコンクリート空間のままでいいのか、それとも何らかの追加対策をすべきなのか」)であるはずだ(「豊洲に移るべきか、築地で建て替えすべきか」を蒸し返したい向きもあろうが、とりあえず除外する)。

何と言っても、移転当事者である市場関係者(卸、仲買人たち)が安心して豊洲で商売をするための前提条件と、今後の商売に絡む「豊洲市場ブランド」が揺らいでいるのだ。それに築地市場の跡地再開発とそれに連動する都市改造を東京五輪に間に合わせるためにも、もうほとんど時間的余裕はないとのことだ。「犯人探し」は土壌汚染対策が万全となってからじっくりやればよい話だ。

冷静になれば誰でも分かる話のはずだが、興味本位のマスコミが焚き付けることもあり、拳を振り上げた格好になっている都議会とすると、そうなかなか冷静な判断にはならないようだ(小池知事の論点ずらし意図とマスコミ操作の巧さを指摘する声もあるが、ここまで見事な「孫悟空を手のひらで転がす釈迦」振りをみせられると、個人的には政治家としての才能を認めたい)。

こうした論点のズレ、そして優先度の取り違えというのは企業社会でも珍しいものではない。それが意図的に引き起こされる場合もあれば、関係者の大半が真摯に取り組んでいながら生じることもままある。

論点ずらしや優先度の入れ替えが企業でも意図的に引き起こされるというのはあまりに不埒な話だが、例えば組織的な粉飾決算が表面化した際の東芝経営陣を思い起こして欲しい。企業継続性の根幹に関わる「原子力発電事業に本当に将来性があるのか」に焦点が当たらないよう、他の事業体でのリストラ策を矢継ぎ早にマスコミ発表することで世間の目を逸らす意図は明白だった。

しかしこうした悪質とも言える「意図的な」ものよりもある意味厄介で、一般の企業で日常的に生じやすいのは、関係者の大半が真摯に取り組んでいながら生じる、「意図せざる」論点のズレ、そして優先度の取り違えである。

具体的にはどういうものか。例えば経営陣が海外での投資案件を評価する場面を想定して欲しい。一般の事業系企業なら、自社の中長期ビジョンとの整合性を最初に徹底的に確認した上で、当該案件が持つ事業収益性やリスク、その前提たる仮定といった詳細について検証を行うといった段取りで進むべきである。ところが実際の場面では往々にして、どうしても目に付く収益性やリスクの議論が先行しやすいものだ。

経験豊富な企業経営者ですらそうした傾向が拭えないのだから、一般の企業人が慣れない新規事業の検討や既存事業の見直しのプロセスにおいて、論点のズレおよび優先度の取り違えを「意図せずに」起こしてしまうことはそう不思議ではない。

新規事業開発・推進をお手伝いするコンサルタントとして我々は、それまでの社内だけでの事業構想検討が散々迷走した挙句に相談されることも少なくないのだが、よく訊いてみると論点整理をしないで議論を進めてきたことが大きな要因であることが多い。

その時点で気になる論点をモグラ叩きのように追いかけて一巡してしまい、結局はどうすれば前に進めるのか分からなくなってしまう。または、最重要な論点を置き去りにしてテクニカルな側面だけを議論し続けていたので全体的検討が大して進んでいない、等々である。

我々コンサルタントはファシリテータ役としてこうした論点整理をプロジェクトの最初および途中で何度も行い、議論が迷走したり優先順位を間違えたりしないようサポートするのが重要な役割の一つである。

そんな我々でも手こずることが時にはある。検討を進める中で既に決着した論点に関し、当初の想定だが結局却下された方式を前提に技術者サイドで技術検討と費用見積がされており(純粋な勘違いである)、気づかずにいたらとんでもない混乱に陥ってしまったかもと冷や汗をかいたこともある。

相当昔のひどい話だが、プロジェクトの途中成果が自説に固執する事務局メンバーによって勝手に一部書き換えられていたことすらある(気づいて修正したので事なきを得ているが…。最近の「豊洲盛り土問題」を彷彿させるエピソードではある)。

「意図的」なものか、そうではなく「うっかり」なのか。いずれにせよ、神ならぬ人が行う所業である。論点のズレ、そして優先度の取り違えというのはどんな組織にも無縁ではない。虚心坦懐に「本来の目的・あるべき姿は何か」を踏まえ、論点整理をしながら議論・検討を進めていただきたいものだ。