向井 理 出会いと再会に彩られた“集大成”の年。「少しずつまいてきた種が10年で育った感覚」
向井 理は自分だけで仕事を選ばない。出演作はすべて事務所に一任してきた。カンボジアとの深いつながりを生んだ『世界ウルルン滞在記』(TBS系)も、世間に彼の名を知らしめた『ゲゲゲの女房』(NHK)も最初はあくまでも与えられた仕事。そこでの偶然の出会いを自らの力で必然に変えることで、キャリアを積み重ねてきた。だが、そんな“選ばない”ポリシーを初めて崩し、「やりたい」と手を挙げ続けて無から実現させたのが、気鋭の演出家・蓬莱竜太との初タッグとなる舞台『星回帰線』である。何がこの男を動かしたのか――? デビューから10年。向井 理が“特別な”思いと“変わらない”スタイルを語りつくす!
撮影/平岩 享 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.
――そもそも、向井さんと蓬莱さんの縁は、向井さんの出演された映画『ガチ☆ボーイ』(2008年)にまでさかのぼりますね?
そうです。『ガチ☆ボーイ』の原作は、蓬莱さんが作・演出を担当する劇団モダンスイマーズの舞台『五十嵐伝〜五十嵐ハ燃エテイルカ〜』という作品なんです。主演の佐藤隆太くんが、たまたま舞台の『五十嵐伝』を見て、これを映画でやりたいと思ったのが始まりだったそうで…。
――1日で記憶がリセットされてしまう高次脳機能障害の主人公が学生プロレスに青春を燃やす、この『ガチ☆ボーイ』に向井さんも出演されていて…。
オーディションに受かって出演することになったんですが、この映画版にもモダンスイマーズの劇団員の方が出演していたんです。そこで交流を持つようになり、彼らの公演を毎回、見に行くようになりました。映画の公開からもう8年も経つんですね…。
――デビューされて2年目あたりですね。向井さんが演じたのは、五十嵐が所属する大学のプロレス同好会のキャプテン・奥寺でした。
いま見ると、本当に不器用で…。まだ何もわかっていないで、“熱さ”だけで乗り切ってる感じがね(苦笑)。いま、同じ役をやったら全然違うんでしょうけど、当時は当時で、何もできないけど、とにかく一生懸命やろうって意識で、それが奥寺にリンクしてる。全然、できてないけど、不器用さが面白いですね。
――ちなみに原作は蓬莱さんですが、映画版の脚本を担当されているのは、その後、向井さんといくつもの作品でタッグを組み、NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』でもご一緒されている西田征史さんですね。
そうなんです。この作品で初めてご一緒しました。西田さんはこの映画に俳優としても出演してて、北海道での撮影で1週間くらい、同部屋だったんです。そのとき「いつか朝ドラを書きたい」って言ってたのを覚えてます。
――蓬莱さんとはその後、どのような関係で?
モダンスイマーズの公演を見に行き、その後の打ち上げにも参加して最初は「『ガチ☆ボーイ』に出てました」と挨拶から始まりました。それから徐々に会話を交わすようになって「また見たの?」「よく来るね」なんて言われるようになり、そのうちに僕のほうがいつかどんな形でもご一緒したいと思うようになりました。
――徐々に関係を築いて外堀を固めて…(笑)。
蓬莱さんに直接「一緒にやりましょうよ」って言うようになったのは、ここ3〜4年くらいかな? 社交辞令だと思われて「いやいや、嘘でしょ?(笑)」なんて返されるのを繰り返して、やっとここまでたどり着きました。
――『ガチ☆ボーイ』の頃と、この3〜4年では、向井さんを取り巻く環境はガラリと変わっているかと思います。蓬莱さんにしてみると、向井さんに「一緒にやりたい」と言われても…。
「どうせ忙しいから無理でしょ?」とはよく言われてました。いつも微妙にイジってくるんですよね(苦笑)。以前、舞台『悼む人』に出たとき、千秋楽がKAAT 神奈川芸術劇場の大きなホールだったんですけど、その隣でちょうどモダンスイマーズも公演をやってて。
――偶然の鉢合わせ?
ちょっと外に出たときに顔を合わせたら「あれ? こんな小さなところで向井 理が何してんの?(笑)」とか言ってくる。「あ、僕は大きいほうのホールです」と返したり(笑)。
――そうやってニアミスを繰り返しつつ、「やりたい」と言い続けて今回の『星回帰線』でようやく、結実しますね。
単純に蓬莱さんの作品が好きで、いつか、どんな形でもいいからご一緒したいという思いだけでしたので、ようやく実現できて…。いまから楽しみでしょうがないです。
――そこまで思わせる、蓬莱さんの作品の魅力はどんなところにあるのでしょう?
シリアスな物語の中に、絶妙にコミカルな要素を織り交ぜていく、そのバランスの良さと、時代をしっかりと反映させていこうという姿勢ですね。少し前に見た作品も、実はパリでのテロ事件に着想を得ていると聞きました。一見、そんなふうには見えないけど、そうした社会性や時事問題をしっかりと絡ませてくるんです。
――完全なフィクションの物語の中に現実の社会の問題を忍び込ませる?
すごいと思うのが、派手なぶっ飛んだ世界ではなく、身近にある世界の中に現実を入れてくるところ。日常の延長線上にあるんですよ。だから、観る側も共感したり、感情移入しやすいんですけど、見終わってふと「自分だったら…?」って考えさせられちゃうんです。僕は個人的にそういう温度の作品がすごく好きなんですよね。
――なるほど。
非日常に見えて、よく考えると自分の身にも起こりうるし、過去に起こったかもしれないことなんです。それをいままでは、観客の側で感じてましたが、今度は自分が舞台上からお客さんに感じさせられるのか? 勝負ですね。
――『星回帰線』はまさに、そのような蓬莱作品の特徴が詰まった作品です。天体を観測しながら、自給自足の生活を営む共同体を舞台に、そこに暮らす人間同士の心のすれ違いや距離感、温度差などが浮き彫りになっていくという物語ですね。
舞台、特に小さな劇場だからこそ面白いし、映像では絶対に伝わらない生の体温を感じてもらえる作品だと思います。息遣い、ちょっとしたため息が漏れる音、思わず絶句して息をのむ瞬間――目に見えない“空気”を共有できる空間になる。それこそ、お客さんも一緒に星を見ているような感覚になるんじゃないかと思います。
――向井さんが演じる、主人公の三島雄一は、かつての恩師・藤原克史(平田 満)が営む共同体で暮らし始めるも、そこで人気者になってしまったことで、その恩人の妬みを買い、そこから複雑な人間関係の中に引きずり込まれていく男ですね。
蓬莱さんは、あて書きで書いていくことが多いので、僕のことをどんなふうに見ているのかがわかってきますね(笑)。等身大ともいえる自分がどこかで反映されていて、その男が少しずつ破綻していく。面白いハードルだなと感じてます。
――まだ稽古が始まる前の段階ですが、自分の身に置き換えつつ、三島という男をなんとなく掴んでいる?
いや、むしろ稽古だけでなく本番を含めて、やっていくうちにかなり変わっていくことになるんじゃないかという予感がありますね。少しずつ病んで、追い詰められて――最終的にどこにたどり着くのか? 僕自身も楽しみです。
――舞台出演は2013年の『小野寺の弟・小野寺の姉』(演出:西田征史)以来、約3年ぶりですね。その1年前に『悼む人』(演出:堤 幸彦)、さらにその1年前に『ザ・シェイプ・オブ・シングス〜モノノカタチ〜』(演出:三浦大輔)。映像作品への出演を挟みながらときどき、舞台に出演するというスタイルになっています。
決して意識してるわけじゃないんです。これまで自分で仕事を選んだことはないし、むしろ今回、初めて自分からずっと「やりたい!」と言い続けてきたことが実現したわけで。舞台を避けてきたわけでもないし、時間を空けているわけでもないんです。個人的には舞台をどんどんやっていきたいですし、やらないといけないと思ってます。
――舞台の魅力、映像作品との違いをどんなところに感じてらっしゃいますか?
やはりライブという部分ですね。今回、特に小さな劇場ということで顕著だと思いますが、こちらもお客さんの体温を感じるし、大声でごまかすこともできないし、ごまかしの効かない空間なんですよね。それは芝居をする上で足枷(あしかせ)なんですけど、そこが面白い。
――足枷が面白い?
何かしらの制限をかけられたほうが、芝居って面白くなるんだなと最近、よく思うんです。いろんな制限がある中で、残った武器で何をやるのかが舞台の醍醐味。逃げ場も拠り所もない狭い空間で細かい部分まですべて見られていて、でも、だからこそ本当に細かい部分まで、映像のように編集されたものではなく、すべてを自分の“カット”として表現できるんですよね。
――「舞台をやらねば」という意識は、そういう厳しい空間に身を置いて自分を追い込みたいということでしょうか? たまたまとはいえ、少しずつ期間を空けて舞台に出演することで、向井さんにとって、舞台がいまの自分を試したり、推し量ったりする場になっているのでは?
そういう部分はあると思います。舞台は始まってしまえばNGもカットもない。とにかく最後までいかなくちゃいけない。やはり、そこで自分が試されているところはありますよね。あとは、何時に始まって何時に終わるとハッキリしているので、舞台出演中って生活のリズムがしっかりできあがるんですよ。個人的にはそれは嬉しいですね。
――これまでの作品では三浦大輔さん、堤 幸彦さん、西田征史さんと、同業の俳優さんたちもうらやむような演出家と共に舞台を作ってきましたね。
三浦さんはどうでしょう?(笑) 生前、蜷川(幸雄)さんにお会いしたとき「お前、変わってるな」と言われました。「そっちを選ぶのか? 俺じゃなくて三浦くんなのかよ?」って(笑)。初めての舞台でそこにいくって、いま思うと変わってるというか、挑戦でしたね。
――三浦さんの次が、ドラマ『神の舌を持つ男』(TBS系)でもご一緒している堤さんとの『悼む人』でした。
堤さんといえば日本のエンタメのど真ん中にいる人ですけど『悼む人』はすごくシリアス。こないだ、堤さんとも話したんですけど「これまでで一番大変な作品だった」とおっしゃっていました。堤さんの演出には、いい意味でハメられました。
――ハメられた?(笑)
あるシーンで、それまで自分で「これだ」と思っていたものから突然、堤さんの演出でガラリと変えられて、すべてを壊されたんです。でも、公演の最後になって、それこそ枷をはめられて、制限されることで生まれたものだけで、まったく新しいものを引き出してくださったんだなと気づいたんです。
――堤さんと言えば、映像作品ならではのスタイリッシュな表現の印象が強いですが…。
トリッキーな演出をされる堤さんが、全然、そういうことをしてこないなと思ってたんですけど、実はものすごく大きなスケールでトリッキーな演出を仕掛けていたんです。
――そして、前作の舞台が“盟友”西田さんとの『小野寺の弟・小野寺の姉』でした。
コメディだったので、ピリピリした感じはまったくないんですけど、実は西田さんはものすごく芝居に細かい人です。だからちょっとでも気を抜くと、怒られるというよりは、淡々と延々とダメ出しをされる(苦笑)。
撮影/平岩 享 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.
「いま見ると不器用!(苦笑)」 『ガチ☆ボーイ』から始まった出会い
――そもそも、向井さんと蓬莱さんの縁は、向井さんの出演された映画『ガチ☆ボーイ』(2008年)にまでさかのぼりますね?
そうです。『ガチ☆ボーイ』の原作は、蓬莱さんが作・演出を担当する劇団モダンスイマーズの舞台『五十嵐伝〜五十嵐ハ燃エテイルカ〜』という作品なんです。主演の佐藤隆太くんが、たまたま舞台の『五十嵐伝』を見て、これを映画でやりたいと思ったのが始まりだったそうで…。
――1日で記憶がリセットされてしまう高次脳機能障害の主人公が学生プロレスに青春を燃やす、この『ガチ☆ボーイ』に向井さんも出演されていて…。
オーディションに受かって出演することになったんですが、この映画版にもモダンスイマーズの劇団員の方が出演していたんです。そこで交流を持つようになり、彼らの公演を毎回、見に行くようになりました。映画の公開からもう8年も経つんですね…。
――デビューされて2年目あたりですね。向井さんが演じたのは、五十嵐が所属する大学のプロレス同好会のキャプテン・奥寺でした。
いま見ると、本当に不器用で…。まだ何もわかっていないで、“熱さ”だけで乗り切ってる感じがね(苦笑)。いま、同じ役をやったら全然違うんでしょうけど、当時は当時で、何もできないけど、とにかく一生懸命やろうって意識で、それが奥寺にリンクしてる。全然、できてないけど、不器用さが面白いですね。
――ちなみに原作は蓬莱さんですが、映画版の脚本を担当されているのは、その後、向井さんといくつもの作品でタッグを組み、NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』でもご一緒されている西田征史さんですね。
そうなんです。この作品で初めてご一緒しました。西田さんはこの映画に俳優としても出演してて、北海道での撮影で1週間くらい、同部屋だったんです。そのとき「いつか朝ドラを書きたい」って言ってたのを覚えてます。
――蓬莱さんとはその後、どのような関係で?
モダンスイマーズの公演を見に行き、その後の打ち上げにも参加して最初は「『ガチ☆ボーイ』に出てました」と挨拶から始まりました。それから徐々に会話を交わすようになって「また見たの?」「よく来るね」なんて言われるようになり、そのうちに僕のほうがいつかどんな形でもご一緒したいと思うようになりました。
――徐々に関係を築いて外堀を固めて…(笑)。
蓬莱さんに直接「一緒にやりましょうよ」って言うようになったのは、ここ3〜4年くらいかな? 社交辞令だと思われて「いやいや、嘘でしょ?(笑)」なんて返されるのを繰り返して、やっとここまでたどり着きました。
――『ガチ☆ボーイ』の頃と、この3〜4年では、向井さんを取り巻く環境はガラリと変わっているかと思います。蓬莱さんにしてみると、向井さんに「一緒にやりたい」と言われても…。
「どうせ忙しいから無理でしょ?」とはよく言われてました。いつも微妙にイジってくるんですよね(苦笑)。以前、舞台『悼む人』に出たとき、千秋楽がKAAT 神奈川芸術劇場の大きなホールだったんですけど、その隣でちょうどモダンスイマーズも公演をやってて。
――偶然の鉢合わせ?
ちょっと外に出たときに顔を合わせたら「あれ? こんな小さなところで向井 理が何してんの?(笑)」とか言ってくる。「あ、僕は大きいほうのホールです」と返したり(笑)。
身近な日常の延長にあるシリアス
――そうやってニアミスを繰り返しつつ、「やりたい」と言い続けて今回の『星回帰線』でようやく、結実しますね。
単純に蓬莱さんの作品が好きで、いつか、どんな形でもいいからご一緒したいという思いだけでしたので、ようやく実現できて…。いまから楽しみでしょうがないです。
――そこまで思わせる、蓬莱さんの作品の魅力はどんなところにあるのでしょう?
シリアスな物語の中に、絶妙にコミカルな要素を織り交ぜていく、そのバランスの良さと、時代をしっかりと反映させていこうという姿勢ですね。少し前に見た作品も、実はパリでのテロ事件に着想を得ていると聞きました。一見、そんなふうには見えないけど、そうした社会性や時事問題をしっかりと絡ませてくるんです。
――完全なフィクションの物語の中に現実の社会の問題を忍び込ませる?
すごいと思うのが、派手なぶっ飛んだ世界ではなく、身近にある世界の中に現実を入れてくるところ。日常の延長線上にあるんですよ。だから、観る側も共感したり、感情移入しやすいんですけど、見終わってふと「自分だったら…?」って考えさせられちゃうんです。僕は個人的にそういう温度の作品がすごく好きなんですよね。
――なるほど。
非日常に見えて、よく考えると自分の身にも起こりうるし、過去に起こったかもしれないことなんです。それをいままでは、観客の側で感じてましたが、今度は自分が舞台上からお客さんに感じさせられるのか? 勝負ですね。
――『星回帰線』はまさに、そのような蓬莱作品の特徴が詰まった作品です。天体を観測しながら、自給自足の生活を営む共同体を舞台に、そこに暮らす人間同士の心のすれ違いや距離感、温度差などが浮き彫りになっていくという物語ですね。
舞台、特に小さな劇場だからこそ面白いし、映像では絶対に伝わらない生の体温を感じてもらえる作品だと思います。息遣い、ちょっとしたため息が漏れる音、思わず絶句して息をのむ瞬間――目に見えない“空気”を共有できる空間になる。それこそ、お客さんも一緒に星を見ているような感覚になるんじゃないかと思います。
――向井さんが演じる、主人公の三島雄一は、かつての恩師・藤原克史(平田 満)が営む共同体で暮らし始めるも、そこで人気者になってしまったことで、その恩人の妬みを買い、そこから複雑な人間関係の中に引きずり込まれていく男ですね。
蓬莱さんは、あて書きで書いていくことが多いので、僕のことをどんなふうに見ているのかがわかってきますね(笑)。等身大ともいえる自分がどこかで反映されていて、その男が少しずつ破綻していく。面白いハードルだなと感じてます。
――まだ稽古が始まる前の段階ですが、自分の身に置き換えつつ、三島という男をなんとなく掴んでいる?
いや、むしろ稽古だけでなく本番を含めて、やっていくうちにかなり変わっていくことになるんじゃないかという予感がありますね。少しずつ病んで、追い詰められて――最終的にどこにたどり着くのか? 僕自身も楽しみです。
「やらねばならん!」舞台ですべてをさらけ出す覚悟
――舞台出演は2013年の『小野寺の弟・小野寺の姉』(演出:西田征史)以来、約3年ぶりですね。その1年前に『悼む人』(演出:堤 幸彦)、さらにその1年前に『ザ・シェイプ・オブ・シングス〜モノノカタチ〜』(演出:三浦大輔)。映像作品への出演を挟みながらときどき、舞台に出演するというスタイルになっています。
決して意識してるわけじゃないんです。これまで自分で仕事を選んだことはないし、むしろ今回、初めて自分からずっと「やりたい!」と言い続けてきたことが実現したわけで。舞台を避けてきたわけでもないし、時間を空けているわけでもないんです。個人的には舞台をどんどんやっていきたいですし、やらないといけないと思ってます。
――舞台の魅力、映像作品との違いをどんなところに感じてらっしゃいますか?
やはりライブという部分ですね。今回、特に小さな劇場ということで顕著だと思いますが、こちらもお客さんの体温を感じるし、大声でごまかすこともできないし、ごまかしの効かない空間なんですよね。それは芝居をする上で足枷(あしかせ)なんですけど、そこが面白い。
――足枷が面白い?
何かしらの制限をかけられたほうが、芝居って面白くなるんだなと最近、よく思うんです。いろんな制限がある中で、残った武器で何をやるのかが舞台の醍醐味。逃げ場も拠り所もない狭い空間で細かい部分まですべて見られていて、でも、だからこそ本当に細かい部分まで、映像のように編集されたものではなく、すべてを自分の“カット”として表現できるんですよね。
――「舞台をやらねば」という意識は、そういう厳しい空間に身を置いて自分を追い込みたいということでしょうか? たまたまとはいえ、少しずつ期間を空けて舞台に出演することで、向井さんにとって、舞台がいまの自分を試したり、推し量ったりする場になっているのでは?
そういう部分はあると思います。舞台は始まってしまえばNGもカットもない。とにかく最後までいかなくちゃいけない。やはり、そこで自分が試されているところはありますよね。あとは、何時に始まって何時に終わるとハッキリしているので、舞台出演中って生活のリズムがしっかりできあがるんですよ。個人的にはそれは嬉しいですね。
――これまでの作品では三浦大輔さん、堤 幸彦さん、西田征史さんと、同業の俳優さんたちもうらやむような演出家と共に舞台を作ってきましたね。
三浦さんはどうでしょう?(笑) 生前、蜷川(幸雄)さんにお会いしたとき「お前、変わってるな」と言われました。「そっちを選ぶのか? 俺じゃなくて三浦くんなのかよ?」って(笑)。初めての舞台でそこにいくって、いま思うと変わってるというか、挑戦でしたね。
――三浦さんの次が、ドラマ『神の舌を持つ男』(TBS系)でもご一緒している堤さんとの『悼む人』でした。
堤さんといえば日本のエンタメのど真ん中にいる人ですけど『悼む人』はすごくシリアス。こないだ、堤さんとも話したんですけど「これまでで一番大変な作品だった」とおっしゃっていました。堤さんの演出には、いい意味でハメられました。
――ハメられた?(笑)
あるシーンで、それまで自分で「これだ」と思っていたものから突然、堤さんの演出でガラリと変えられて、すべてを壊されたんです。でも、公演の最後になって、それこそ枷をはめられて、制限されることで生まれたものだけで、まったく新しいものを引き出してくださったんだなと気づいたんです。
――堤さんと言えば、映像作品ならではのスタイリッシュな表現の印象が強いですが…。
トリッキーな演出をされる堤さんが、全然、そういうことをしてこないなと思ってたんですけど、実はものすごく大きなスケールでトリッキーな演出を仕掛けていたんです。
――そして、前作の舞台が“盟友”西田さんとの『小野寺の弟・小野寺の姉』でした。
コメディだったので、ピリピリした感じはまったくないんですけど、実は西田さんはものすごく芝居に細かい人です。だからちょっとでも気を抜くと、怒られるというよりは、淡々と延々とダメ出しをされる(苦笑)。