『〆切本』(左右社) ブックレビューvol.13/竹林 篤実
〆切のない仕事はあるのか
筆者は作家ではない。しがないライターであり、最近ではブックライターと呼ばれる職種にも関わっている。早い話が、どなたかにお話を伺い、それを文章に仕立ててお代をいただく。そんな仕事である。
こういう仕事には、必ず〆切がある。極端な話、ある日の夕方に取材をして「明日の昼までにほしいんだけど」と言われることもある。「それはいくらなんでも」と言えるかどうかは、相手との力関係だったり、自分の腹の据わり具合に関わる問題なのだろう。気の弱い私は、そう言われても「何とかがんばります」としか言えない。
もちろん、〆切があるのは、書く仕事に限った話ではない。おそらく、ありとあらゆる仕事は、それが「仕事」である限り、〆切がついて回るはず。ただ、仕事の種類や内容により、〆切の厳しさ(あるいは緩さ)に違いが出てくるのだろう。
本書は、基本的に〆切を守れない時の作家の言い訳を主としながらも、それだけにとどまらず、〆切を巡る作家と編集者のせめぎあいとも言える文章で構成されている。人が〆切について、どのように考えているのか。〆切のある仕事を抱える方にとって、一読の価値はあるはずだ。
人はどのように言い訳を並べるのか
本書には、ざっと90本の小文が集められている。第一章「書けぬ、どうしても書けぬ」は、〆切を守れない作家の脳みその中を教えてくれる。ここは基本的に言い訳集。よく、そんな言い逃れを思いつくものだ、さすがは小説家だと思わせる弁明と言うか、自己正当化と言うべきか。そんな文章のオンパレードだ。
ひょっとすると、仕事をされている方にとっては、上司や得意先に対する申し開きに使えるフレーズが見つかるかもしれない。筆者も昔、どうにも〆切が守れなくなった時に、すでに亡くなっていた祖父に何回か危篤になってもらったことがある。実際、これなどはよく使われる手のようだ。
「気に入らないんだ。書きなおしたい」「不甲斐ないことに、いつまでたっても情熱が起こりません」といったものから果ては「殺してください」と物騒なものまで。よくぞ人は、ここまでバラエティ豊かな言い訳を思いつくものだと感心する。というか、言い訳一つにも作家は創造力を発揮する人種と言うべきなのかもしれない。
〆切を守る人を見習う
ただし、すべての作家が〆切を守れない(守らない)かというと、決してそんなことはない。まず、村上春樹さんである。彼は「締め切りは大体ちゃんと守るし、字はとびっきり読みやすい。だから締め切りに遅れがちな作家や悪筆の作家についての愚痴なんかは他人事として笑って聞き流せる」(同書、P241)そうだ。そうなんだろうなと納得する。
あるいは「早くてすみませんが……」と題した吉村昭のコラムでは「私はこれまで締切り日を守らなかったことは一度もない。と言うよりは、締切り日前に必ず書き上げ、編集者に渡すのを常としている」(同書、P258)と書かれている。そして、早く書き上げた原稿をファックスで送る際に「早くてすみませんが……」と書き添えるのだ。
さらに異色の作家(なぜ、こう呼ぶのかは、ぜひ『作家の収支』をお読みいただきたい)森博嗣先生は「何故、締切にルーズなのか」と題して、極めて合理的な提案をされている。すなわち「締切に間に合ったら、一割多く原稿料を払う、遅れたら、原稿料を減額する、という契約にしたらどうですか?」(同書、P273)。もちろん、森先生は締切を必ず守る。
また「寺田寅彦は、原稿を頼まれて承知すると、すぐ、だいたいのところを書いてしまったそうである」(同書、P280)ともある。参考にしたいと思うが、才能の問題なのかもしれない。
〆切との向き合い方
個人的には、横光利一の次の一文が刺さった。「実際、一つのセンテンスにうっかり二つの「て」切れが続いても、誰でも作家は後で皮を斬られたやうな痛さを感じるものである」(同書、P053)。だから横光利一は「私は小説を書くときは締め切り一週間前に出来上がってゐないと出す気がしない」(同書、P54)。そこまでこだわるべきなのだ。
へっぽこライターとしては、この言葉こそが、〆切の究極の価値を露わにしていると思った。すなわち、まず〆切がないと、人は基本的に怠け者だから仕事などしない。だから、〆切は絶対に必要なものなのだ。
では、〆切と、どのように向き合うべきなのか。〆切とは、ぎりぎりでもなんでも、とにかく間に合わせれば良いというものではない。〆切は、自分で納得の行くものを仕上げるための伴侶みたいな存在である。こいつが尻を叩いてくれるからがんばれるのだ。何のためにがんばってゴールを目指すのかと言えば、自分の仕事を待ってくれている誰かのためではないか。そんな気づきを得た。
そして、この『〆切本』こそは、最高のペンシャープナーにもなると思った。毎朝、仕事をする前に、適当に本を開いて、誰かの苦し紛れの言い訳を読む。すると、こんな言い逃れをしないように、「さあ、書こう」という気分にさせてくれるではないか。おススメである。