れいめい高等学校 太田 龍投手【後編】「無冠の大器、夏への決心」

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 最速148キロを計測する大型右腕として注目された太田 龍投手。春季大会でもスカウトから注目を浴び、評判通りの速球を披露したかのように見えましたが...実はまたも不運が。その不運を乗り越え、夏へ向かう太田投手の決心に迫りました。

打球直撃が響く

太田 龍投手(れいめい高等学校)

 大会前の練習試合の佐賀商戦、強烈なライナーの打球が右すねを直撃した。打撲の痛みがなかなか引かず、大会中はひた隠しにしていたが「4月半ばごろまで痛みがあった」という。軸足の右足でしっかり踏ん張れないままで初戦の国分中央、続く鹿屋(試合レポート)、薩南工戦(試合レポート)は抑えることができたが、準々決勝で秋のリベンジに燃える神村学園の猛打に屈した。10安打9失点、4回途中でKOされ、チームも1対11の5回コールド負けという惨敗を喫した。

「何を投げても、どこに投げても打たれてしまうので、頭の中が真っ白になった」と振り返る太田。秋に対戦した時は初球のボールは少々甘くても見逃していたが、春は甘く入ったボールはことごとく振ってきた。特に「2ストライクに追い込んでからの決め球が甘くて打たれた」印象がある。

 身体の状態は万全ではないものの、直球の最速は142キロが出ており、そこまで悪いと思っていなかったが「内角を厳しく突いてもフルスイングしてくるので、野手のいないところにボールが落ちた」

 太田はもちろん、チームとしても何の言い訳もできない屈辱の敗戦だった。1年前は、優勝しながらメンバーにいない悔しさを味わったが、それ以上に悔しい想いをすることになるとは思いもよらない出来事だった。

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太田 龍投手(れいめい高等学校)

 春の神村学園戦から約1カ月が過ぎた5月8日、南日本招待高校野球でれいめいは帝京(東東京)と対戦した。終始小雨が降り、4回表の帝京の攻撃が終わった時点で雨が激しくなったためゲームセットとなった。太田の投球内容は4回を投げて被安打6、四死球3、失点1。毎回走者を出し球数も76球と多い。数字的には厳しいものがあるが、太田の表情は明るかった。

「帝京は強打のチームと聞いていたので、チームで戦う」ことをテーマにしていた。足場が悪く思うように投げられず、毎回走者を出してピンチを背負ったが「チームを信じて投げられた」のが何よりの収穫だった。

 この1カ月間、「メンタル面の強化」を重点的に取り組んできた。松井 秀喜の「不動心」を読むなど、読書をするようにもなった。「練習の段階からでも常にピンチの場面を想定してやる」ことを心掛けている。技術的には「2ストライクからの決め球をしっかり厳しいコースに投げる」を課題に掲げた。置きにいくことが多かった変化球もしっかり腕を振ることを意識してきた。

 常にベストコンディションで投げられれば問題ないが、いつでも自分の最高のパフォーマンスが出せるとは限らない。春の練習試合で打球が当たるなど、想定外の不測の事態が起こることはこれからもないとはいえない。肝心なのは「状態が悪いなら、悪いなりに抑えられる投球術を身に着ける」(湯田監督)ことだ。4回途中で打ち切られたが、帝京戦はそのことの手ごたえを確かめられた。

 1年秋のケガに始まって、昨秋の鹿児島実戦、今春の神村学園戦、この2年あまりの高校野球生活は悔しく、辛い経験がほとんどだ。心が折れても不思議ではない経験をしてきたが、太田の心は折れていない。数は少なくても昨秋の神村学園戦のような「勝つ喜び」を知っているから、悔しさを「エネルギー源」にして一回りも二回りも大きくなりたいと心の底から欲している。

「今までいろんな人にお世話になった恩返しのために、夏は甲子園に行く」

 太田が掲げた夏への決心だった。

夏へ向かって始動した太田投手は、5月に開催されているNHK旗大会で別格の投球を見せている。まず薩南工戦では、8回11奪三振完封(8回コールド勝ち)。そして準々決勝の尚志館戦では、7四死球を出しながらも完封勝利と、結果を残している。ケガ、アクシデントで苦しんだ分、大きくなった太田龍のラストサマーのピッチングが見逃せなくなってきた。

(文=政 純一郎)

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