原宿系の新カリスマ・ぺこ! りゅうちぇるへの思いと意外な最終目標
撮影が行われたのは表参道。多くの人が行き交う街角で、黒を基調にした衣裳にもかかわらず、彼女の存在感は群を抜いていた。原宿系ファッションの新カリスマとして絶大な支持を集め、最近では恋人のりゅうちぇるとともにお茶の間での知名度も急上昇中の“ぺこ”ことオクヒラテツコにインタビュー! 大ブレイクへの意外な(?)本音を語ってくれた。さらに、後半ではりゅうちぇるも加わり…。

撮影/平岩亨 取材・文/黒豆直樹 制作/iD inc.

幼いころからファッション大好き!



――原宿系の女子高生の憧れであるぺこさんが、どのようにして現在のようなファッション、そして大ブレイクに至ったのかを聞かせてもらいます。子どものころはどんなお子さんでしたか?

私、ホントに小さいころからいままで、性格はずっと変わってないんです(笑)。わがままで、自分が「したい」って思ったらせずにはいられないし、したくないことは絶対にしないタイプでした。ファッションは幼稚園や小学校のころから大好きでしたね。

――早いですね! 当時はどんなファッションを?

最初はあゆ(浜崎あゆみ)が大好きでした。小1のときにネイルサロンに行って(笑)、「あゆと同じにしてください」って言って、ネイルをヒョウ柄にしたり、シッポを着けたりもしてました。

――リトルあゆですね(笑)。

髪もドレッドにしたり、金髪のエクステを着けたり。厚底もはいてました。徐々に変わっていくんですが、常に「他人と一緒はイヤだ!」と思ってて、当時はいまほどギャルのタイプも多くなかったし、「自分だけがこんなカワイイ格好をしてる」というのが楽しかった。

――その後、ファッションの好みはどんな変化を?

ガラッと系統が変わって森ガールのほうに行ったこともあります。森ガールというか、無印系ですね。それが小4くらいかな?

――小4で森ガール? りゅうちぇるさんも「一度、ギャル男系に寄り道した」と言ってましたが、ぺこさんも意外な系統に…。

そうなんです、ふたりともいまではぴったり趣味が重なってますが、意外と回り道を…(笑)。大学生が買うような「LOWRYS FARM」の服とか買ってました。でもときどき、いまのようなピンクと緑のボーダーのセットアップで学校に行ったりすることもありましたね。中学に入って古着にも興味が出てきて…。

――古着が加わると、一気にファッションの幅が広がりますね。

そうなんですよ。いまより断然、ボーイッシュで、髪の長さもいまのりゅうちぇるくらいで、マッシュにしたこともありました。いまなら普通にいるけど、当時はそんな子はほとんどいなかったです。

――自分に似合い、なおかつ周囲と違うことが大事で、自分なりに変化をつけて?

筆箱ひとつでも、無地のものを買ったら、そこにシールを貼ってみたり。他人が同じことしていたらすぐやめちゃう。それで、どんどんエスカレートして、甘い系統に流れてブリブリな感じだったり、姫カットにしたこともありました。

――学校の勉強はできるほうでしたか?

私、頭いいんですよ!(笑) やればできる子なんです! 中学も自分が入ったのは進学コースではなく普通コースでしたけど、そこにトップで入学したし。人生の中で、テスト勉強ってちゃんとしたことないけど、前日に「ここだけ出る」というのを教えてもらって、付け焼刃で80点取るようなタイプでした。末っ子なので要領がいいんです(笑)。

――りゅうちぇるさんも末っ子ですが、ぺこさんもそうなんですね!

しかも、私も姉は6つ、一番上の兄は11も上で、かなり年が離れてるので、すごく甘やかされて育ってきて、最低限のことしかせずに自由に生きてきました(笑)。だから、ひとから指図されるのが大っ嫌いで…。

――学校のクラスでは輪の中心でしたか?

人を仕切るわりに、興味がない人のことはどうでもいいんですよ(笑)。クラスに30人いたら、仲の良い5人以外はまったく興味ない。だから中心でみんなをまとめるのは無理。でも、まとめ役の人が言うことにいちいちケチつけて、結局は自分の思い通りにするというタチの悪いタイプでした(苦笑)。

――周りから浮いたりすることは?

なかったですね。いじめられたこともないし。強かったと言えばそうなのかな…? 男子には「お嬢」とか「オクヒラさま」って呼ばれてました(笑)。




「キラキラしてる場所に行こう!」と上京を決意



――子どものころからファッションに関して、影響を受けた存在は?

叔母がバービー人形が大好きで、いまでも実家に大きな箱にギュウギュウに詰まったのが3つくらいあるんです。バービーの色使いなんかをいつも「かわいいな」と思って見てました。その叔母が、自分が好きなポップなアイテムをいつも買ってきてくれて、そこから徐々に、そういうファッションの映画を見るようになったりして広がっていきました。

――映画やドラマでは『クルーレス』や『ビバリーヒルズ高校白書』を好きな作品に挙げてますね?

自分が生まれる前の80年代や90年代のアメリカンポップな雰囲気のものが好きですね。逆に日本の恋愛映画や連ドラはほとんど見てなくて…。

――学校でも周囲は月9ドラマやアイドルの話題で盛り上がってるけど…

全然話がかみ合わない! 見るとしたら、もっとドロドロした感じの…『美しき隣人』(フジテレビ系列)とか好きでしたね。

――子どものころの将来の夢は?

生まれて初めて持った夢は女優さんでしたけど、その後、クラシックバレエを始めて、バレエの先生になりたいって思いました。その後、ディズニーが好きになって、パレードのダンサーになりたいなぁって思ったけど、いま、こうやってモデルになってる。裏方から徐々に前に出て来てるんですよね(笑)。

――お話を聞いてると、それも必然かなと(笑)。高校までは大阪ですよね。進路や上京についてはどんなふうに決めたんですか?

勉強が嫌いで、もう学校は無理! と思って、そうなると…あ、東京? という感じのテンションでした(笑)。中学で、原宿系のファッションにハマって、よく知らないながらも原宿って場所に憧れも持ってましたし。「キラキラしてる場所に行こう!」って。悩んだりはまったくなかったです。親にも「東京行くね」という感じで。

――それまでも上京は何度か?

してました。多いときは月に2〜3度、ひとりで日帰りで遊びに来てました。

――りゅうちぇるさんは、初めて原宿に足を踏み入れたときは涙を流したそうですけど…。

え? ホントに?(笑) 私は泣いてはいないですね。でも「ここが原宿か」とひとりでニヤニヤしてました。



――大阪にいたころからSNSなどはされてたんですか?

中3でブログを始めました。当時はデコログが流行ってて、みんな「誰と遊んだ」とかプリクラを載せてたんですけど、私はそれに加えて、自分の私服のコーディネートを載せてました。もちろん、最初はファンなんていないし、誰に見せるためでもなく完全に自己満で。

――いま、Instagramで芸能人やセレブがやっていることを当時から先取りしてやってたんですね!

続けているうちに、デコログで全国で10位以内に入ったりするようになりました。高校でTwitterを始めて、そのころにはブログの読者やフォロワーも増えてきて、そこで自分らしいファッションや部屋の様子を載せたりしてました。

――読者を増やそうと努力するというよりは…

自分でやりたいことをやってただけですね。これまで生きてきて、努力ってしたことないし(笑)。

――読モの活動を始めたのも高校在学中ですよね? これは地元の大阪で?

いえ、東京です。たまたま遊びに来ている最中に声を掛けてもらって。それから、事務所に入って、ときどき新幹線で上京して、活動してました。

――高校を卒業して東京に出てきて、働き始めたアパレルショップでりゅうちぇるさんと出会ったんですよね? そもそもそのお店で働くことになったきっかけは?

東京に出てくるころには、SNSのフォロワーも素人にしてはそれなりの数になってたんですよね。それで、お店の店長が「うちで働かない?」って声を掛けてくれたんです。

――SNSを通じて?

それが直接なんです。たまたま、友達と原宿でご飯を食べていたら、隣の席がその店長で。SNSで私の顔を知ってて、「オクヒラテツコちゃんだよね?」って。

――SNSがなかったら…

りゅうちぇるとも会えてなかったし、いまみたいになってなかった。いい時代に生まれたんだなぁって思います。

――SNSで私生活を含めて自分をさらけ出すことに全く抵抗はない?

全然ない! ネットだけのことじゃないですね。こういう格好していると、地元でとにかく目立つんですよ。電車を降りたらホームで「え?」という感じでジロジロ見られるんですけど、ドヤ顔で歩いてましたし。

――フォロワー数などで、他人に負けたくないって気持ちもない?

ないですね。誰かをライバル視するって感覚がわかんない(笑)。逆にこっちがライバル視されても「なんで私なんかを…?」って感じです。ひとりで、やりたいことをやるだけ。勝ち負けってことじゃなく、自分のオリジナリティだけを大事にしてます。




TVに引っ張りだこも「なんで私があんな華やかな場所に…?」



――上京して働き始めて、並行して読モの仕事も続けていて、変化はありましたか?

いまだに理由はわかんないんですけど、上京して一気にフォロワー数が伸びたんですよ。それを雑誌の編集部の方などが見てくださって、徐々にスナップなどを載せてもらえるようになりました。

――その急激な伸びの要因は何なんでしょうね?

仕事以外でも原宿に毎日、何をするでもなく来てたので、それを見て「またあの子だ」って感じでシェアが広がったんですかね? スマホでその場で検索して「あぁ、この子か。フォローしてみよう」ってなったのかも。

――そこから、読モとしての活動が広がって、TVにも取り上げられるように。

初めてTVに出たのは一昨年の秋だったんですが、そのときは特に大きな反響もなく終わって…。その後、去年の夏ごろから、いくつかの番組に少しずつ呼んでいただけるようになりました。

――TVに出ての感想は?

私、TVは本当に苦手で…(苦笑)。いままで、自分がやりたいことだけやって、見られたいように見られて…と自己満だけで生きてきたのに、何でTVでこんなことしないといけないの? ってすごく窮屈に感じちゃって…。

――キライというよりも苦手なんですね?

そうですね。なんで私みたいなのが、あんな華やかな場所に…? という気持ちです。これまで、目立ちたいわけじゃなく、自分が好きなことをやってきただけで、「全国のみなさんに知ってほしい」という気持ちもないから。いまでもその気持ちは変わんないんです。

――りゅうちぇるさんにも同じことを尋ねたんですが、TVに出ると、好意的な反応ばかりが寄せられるわけじゃないですよね? 批判や中傷はどう受け止めていますか?

正直、アンチの方や、マイナスなことを言ってくる方に対して、ホントに何とも思わないんですよ。人それぞれ、好き嫌いはあって当然だと思います。

――まさに、りゅうちぇるさんも、同じことを言ってました。

たまたま、その人にとって嫌いだと思う部分が私に当てはまったというだけで、そんな大層な話じゃないと思うんです。だから「どうしてそんなヒドイことを…!?」ってより「また言ってるわ」って感じ。むしろ、それをわざわざ言葉にするってことは、私のことが気になってるの? って(笑)。

――TVに出たことで、ぺこさんを知っている方の年齢層も広がったと思います。

街を歩いてて、これまでのように私のファンの女子中高生に写真を撮られるだけでなく、大人の方にもスマホを向けられるようになって「やめて!」って。あ、別に撮られるのがイヤって意味じゃなく「本当に私、そんな大したもんじゃないですから」ってことです。撮っても何の得にもならんよって。