仏中部ラ・コキーユにある観照寺のセミナー

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日本の宗教は欧州でどのような活動をしているのか? フランスはキリスト教国と思われがちだが、(もちろん歴史的にキリスト教がベースになって文化が形作られてきたものの)多様な民族・宗教の人々が集まる多宗教国家である。日本のいくつかの宗教団体もパリに欧州を統括する支部を置き、文化イベントを通じて自らの教義の紹介や、現地信者のサポートを行っている。

その規模は伝統宗教から新宗教まで、宗派によってさまざまだ。海外での布教活動とはどのようなものなのか? 各団体の現地での活動を取り上げながら、フランスを中心に欧州の日本宗教の様子を、何回かに分けて明らかにしていこう。

フランス語になった禅


禅宗はフランス人にもっとも知られた日本の宗教である。「Zen(禅)」という言葉は、「静かな」「落ち着いた」という意味で、すでにフランス語として使われ、「坐禅」は瞑想の一形態として広く認知されている。その禅宗のなかで、「只管打坐(ただひたすすら坐禅すること)」を唱える宗派が曹洞宗である。同宗はパリ市内11区に、「ヨーロッパ国際布教総監部」という活動拠点を持ち、日本から派遣された僧侶が常駐している。

総監部の主な役割は、欧州で活動する欧州人僧侶のサポートで、一般向けの活動はあまり行われていない。事務所としての小さなスペースしかないため、日本とヨーロッパ各地の寺院との連絡業務が主たる活動になっている。

一般向けの布教活動を担っているのが、欧州各地に点在する現地人経営の禅道場である。家の一室を提供しサークルのような形で坐禅をするところから、建物のワンフロアを借り仏像も安置している大規模な道場まであり、これら道場は現地人僧侶や禅道場のメンバーによって営まれている(「メンバー」とは、禅に興味があり坐禅などに参加している現地の人々のことで、日本の檀信徒の制度とは状況が異なる場合も多いため、現地ではこう呼称する)。

フランス人が入信するきっかけ


フランスにおける曹洞宗の活動の始まりはいつだろうか。それは1967年に「弟子丸泰仙」という僧侶が、パリに小さな坐禅道場を開いたことがきっかけになった。布教を開始した弟子丸は、後に初代曹洞宗ヨーロッパ開教総監(現国際布教総監)に任命されるとともに、パリ市内に佛国禅寺(現・パリ市内13区)、ブロワ市近郊に禅道尼苑という拠点も設け、国際禅協会というアソシエーションを作った。

弟子丸が1982年に亡くなった後、総監部は一時閉められたが(佛国禅寺および国際禅協会は続いた)、2001年にイタリア・ミラノに総監部が再設置され、2006年にはパリに再び移転。現在に至っている。

同総監部によれば、フランス人が曹洞宗に興味を持つきっかけのうち、もっとも多いのが茶道、華道、書道など日本文化への関心が高じて、禅に興味を持つケースだという。禅の思想は日本文化の美意識に共通して存在しており、そこから宗教としての禅へ、興味が移る。

またキリスト教の華美な法要に対する疑問から、禅宗に興味を持つ人もいる。装飾された式典や説法はうわべだけで心に響かず、救済にならないと感じていた一部フランス人が、身体的プラクティスを通して自身を向上させていくという坐禅に共感した。

これは同時に、かつてフランス人の僧侶が日本の曹洞宗とも距離を置く原因ともなった。フランス人は日本仏教の法要にも、同じ形骸性を感じたからである。

弟子丸はとにかくまずは坐禅をパリで広めようとした。教え子もそれを通じて、曹洞宗というものを理解していった。そのため、日本の葬儀のように作法を重んじる儀式などに疑問を感じたり、曹洞宗が伝統的に積み上げてきた細かな生活のしきたりが、必ずしも修行に必要なものであるとは、フランス人の目に映らなかったこともあるそうだ。

例えば法衣なども手に入らないため、自分たちで手作りすることになる。ところが、彼らは僧侶の階級によって法衣に使える色の規定などがあることを当初知らなかった。曹洞宗の僧侶のルールに沿わないということは、日本の本部から見ると困ったことになる。
一方でフランス人は、日本と同じようにすることを求める日本の曹洞宗本部に対し、日本の本部が形ばかりの考えに固執した人々であるように思えた。もちろん、そのような細かなことにも意味が含まれており、まずはすべてその伝統に従ってみることで理解できるのだが、体験なしにそれらを共有することは、異文化で育った彼らには難しかった。そういったこともあり、フランスと日本の曹洞宗の間に、距離ができた時期もあったという。

お金と宗教


日仏の曹洞宗は、相容れないまま現在まで続いているのだろうか。じつは近年では、理解が進み交流が進んでいる。フランスから日本の寺に修行に行く人も増え、日本の禅堂で伝統的な長期間の共同生活を行うことにより、坐禅だけでなく食事や掃除など、すべての生活がワンセットで修行であることを学ぶ僧侶が増えたからだ(これら日本への手配は総監部が手助けしている)。そのため若い世代を中心に、相互理解が進んでいる。

ここで疑問が1つある。フランスにおいて、職業としての僧侶は成り立つのだろうか?
……現状では難しい。坐禅やその他文化活動の参加費だけでは、道場経営をしていけないからだ。メンバーの葬儀の際に、パリ市内の墓地で経を読むこともまれにあるが、日本のように多いわけではない。タイのように一般の人々から僧侶へ積極的に寄進する文化もない。指圧などの技術を身につけ、それをもって生計を立てようとしている人はいるものの、大部分の人は普段は会社に勤め、休日に道場で修行をする。

一般的に宗教において、金銭を論じることは好まれない。だが現実には、僧侶が食べていけるだけの仕組みがない限り、大きな広がりには繋がらない。「禅」という言葉は広まったものの、この点をどうするかが、今フランスの曹洞宗にとって1つの課題になっている。
(加藤亨延)