元オランダ代表のデニス・ベルカンプ氏は、アヤックスで185試合に出場して103ゴールを挙げ、アーセナルではプレミアリーグでの11年間で最高級の選手となり、3度のリーグタイトルを獲得した。だが、1993年から1995年まで2シーズン所属したインテルでは、UEFAカップのトロフィーと、多くの罵倒を受けている。

当時インテルの会長だったマッシモ・モラッティ氏は、アーセナルにベルカンプ氏を放出した際、アーセナルのブルース・リオッホ監督に「彼らが運に恵まれれば、彼は10ゴール決めるだろう」と話したと言われている。ベルカンプ氏は『FourFourTwo』の中で、このときのことをこう振り返った。

「不思議だね。彼とはうまくいっていたんだ。彼はサッカーを愛している。私に、変更があると約束して、残留するように求めていたんだ。私の移籍を残念に思ってくれていたんだよ」

ベルカンプ氏がインテルやモラッティ氏を落胆させたのは疑いない。だが、インテルもベルカンプ氏を落胆させていたようだ。

「クライフは私が(インテルに)行くことを望んでいなかった。バルセロナに行くことを望んでいたよ。でも、当時のセリエAはトップリーグだった。フリット、ライカールト、ファン・バステンをすでに選んでいたから、ミランに行くことは望まなかった。インテルとユヴェントスで選ばなければいけなかった」

「でも、インテルのフロントはたくさんの約束をして、こう言っていたんだ。『我々はもっと攻撃的なサッカーをする』とね。私たちはそれをやった。だがそれは、最初の1カ月だけだったんだ。私が願っていたことではなかった。でも、インテルは私の成長において重要な時期だったけどね」

当時のインテルのチームメートたちには、ベルカンプ氏をよく思っていない選手がいると言われていた。だが、ベルカンプ氏はこう否定している。

「実際にはみんなとうまくやっていた。ベルゴミからフェッリ、バッティスティーニ、ベルティトモネ。ルベン・ソサだけ、がっかりしたな。私たちはピッチでもっとやれたはずだった。私は彼にとって少し煩わしかったのかもしれない。とにかく、ピッチ外で問題はなかった」

だが、彼を皮肉っていたメディアとは問題があった。

「メディアは私が毎日話すことを望んでいたが、私はそうしたくなかった。それで彼らは怒ったんだ。イングランドでも、最初の7、8試合でゴールを決めなかったから批判を浴びた。ただ、サッカーの邪魔にならない限りは興味なかったよ。でもイタリアでは、バカげた話がでっち上げられていたんだ。髪を切ったら、プレッシャーに耐えられなかったからだと言われたこともあったな」