「日本のシャビ」田口泰士(名古屋)の可能性
連載・ブラジルW杯を狙う刺客たち(7)〜田口泰士(名古屋グランパス)
名古屋グランパスの田口泰士(22歳)がブラジルW杯の舞台に立つ可能性。それを現時点で論じるのは、非現実的なことかもしれない。遠藤保仁、長谷部誠という盤石の二人を脅かし、すでに代表の常連の細貝萌、高橋秀人、さらに東アジア杯に招集された山口蛍、青山敏弘、扇原貴宏、柴崎岳(体調不良のため辞退)らと比べれば、経歴としては引き離されている感は否めないだろう。
そもそも田口は今季、Jリーグにおいて第16節から5試合連続でベンチスタート、スタメンの座を失っている。
しかし、彼が右ボランチとして発するセンスの香りは芳醇だ。ダイレクトパスのリズム、スペースに入っていくランニング、相手の動きを読んだインターセプト。一流のボランチに求められるそうした基本的動きを、彼はすでに身につけている。
「タイシの選手としてのキャラクターをひと言で説明するなら? そうだな、INTELIGENCIAだろう」
名古屋に所属するコロンビア代表MFダニエルソンは品の良い笑顔を浮かべて説明している。Jリーグで最も馬力を感じさせる左ボランチは、中盤の相棒の特徴をINTELIGENCIA=知性、賢さと表現した。
「タイシはいつパスを出すべきか、いつ自分が動くべきか、そのタイミングを良く心得ている。プレイの判断力に優れているんだよ。だからこそ巧みにパスが出せるし、ボール奪取もできるのさ。もっと攻撃的に、とか、もっと守備的に、とかではなく、今のままプレイを続けて経験を重ねることが必要だろう。そうすれば代表選手にもなるはずだよ。問題は、いつなるか、という部分だけさ」
ダニエルソンは饒舌にその長所を挙げ、才能の非凡さを語った。
そして名古屋の指揮官であるドラガン・ストイコビッチも、田口に対しては最大級の賛辞を送っている。
「タイシはまるで日本のシャビのようだ」
シャビは知性的選手の代表格である。自分、敵、味方、ボール、スペースを常に把握し、無数の選択肢の中から最善のプレイを選べる。単純な力や速さに限界はあるが、知性には限界がない。大きくも速くも強靱でもないシャビが「世界最高の選手」と尊ばれる、本当の理由だ。
田口には知性がある。フットボールプレイヤーを語るのに、これほどの可能性を指し示す言葉はない。
田口は沖縄県、那覇市で生まれ育っている。
「なんくるないさ」
サインに"メッセージを書いてください"と頼まれると、仕方なく彼はそう書くという。沖縄の言葉で、なんとかなるさ。仕方なく、というのは、「自分の字が綺麗ではない」と思っているからだ。自尊心と羞恥心。なんくるないさという言い回しが、なんでもいいさ、という投げやりな気持ちとはまったく違うことが分かる。
「沖縄はサッカーよりも野球の方が盛んなんですよ。県出身のJリーガーは(赤嶺)真吾さん(仙台)とか数えるほどしかいません。でも、能力のあるサッカー選手は結構いると思うんですよね」
沖縄について話すときの彼は闊達だ。
物心ついたときから、ボールを蹴るのが好きだった。毎週末に衛星放送で流れる、レアル・マドリードの試合に釘付け。「裏に抜ける動きが最高!」と、エースFW、ラウル・ゴンサレスのプレイに夢中になった。小4の頃、サッカーの大会で右肘の骨にひびが入ってしまい、家で安静に横たわっていたときのこと。別室でテレビを見ていた親が「ラウルがゴールしたぞ!」と教えるものだから、喜びに我を忘れてひじを突いて飛び起き、痛い目を見た。
正真正銘のサッカー小僧だった。
U‐12日本代表に選ばれ、その後はU‐13,U‐14と各年代の代表選手としてキャリアをアップさせている。U‐15代表では2006年フランコ・ガッリーニ国際大会に参加し、ユベントスを相手に2得点するなどして優勝し、大会MVPに輝いた。U‐18ではUAEで開催された大会に参加し、U‐18ドイツ代表を相手に得点。U‐19日本代表では、宇佐美貴史、杉本健勇らとアメリカ遠征のメンバーに選ばれている。
同年代はクラブユース出身者が多いが、高校の部活を選び、比嘉祐介(横浜F・マリノス)など先輩選手が在学していた流通経済大柏へ進んだ。
時間がゆっくりと流れる沖縄から都会に出てきて、精神的にきつかったという。人の流れの多さに酔いそうになり、空気の違いに調子が出ず、島の友人に会えない寂しさを感じた。もっと端的に言えば、日常的に食べていたそばがたまらなく恋しくなった。それでも彼は「帰るわけにはいかないから、やらなきゃ」と気持ちを奮い立たせたという。その心境は、海外サッカー修行に出ている状態に近かったかもしれない。
そこで彼は高円宮杯、高校選手権、高校総体などタイトルを取り尽くしている。
そして2009年1月、名古屋グランパスへの入団が決まった。
経歴だけを綴ると、プロ選手になるべくしてなったエリートのような印象もある。しかし本人は、「プロは意識していなかった」と苦笑する。高2のとき、スカウトが来ていることを知らされ、ぼんやりとは想像を巡らせたが、高3になって実際にオファーを受けるまでは本気で考えていなかったという。
このあたりの鷹揚(おうよう)さが、なんくるないさ、の真骨頂なのかもしれない。
しかしプロ入団後、3シーズンでリーグ戦出場4試合と苦しんだ。戦力外通告を受けてもおかしくない危機的状態を脱することができたのは、ボランチへのコンバートが大きかった。
「去年(2012年)の夏になる前ですかね。コーチのボスコ(・ジュロヴスキ)に、『タイシは絶対にボランチがいいぞ』って言われて。そのときは、そうかな、くらいに思っていたんですけど。中盤でケガ人が出て、出場機会が巡ってきて、たまたま使ってもらった試合で良かったんです。それからもボランチを任されるようになりました。ボスコは、『ほら、言っただろ?』と得意げでしたけど(笑)」
年代代表ではボランチをすることもあったが、所属チームではFWや攻撃的MFが多かった。名古屋でも、4年目途中まではサイドMFのような位置でポジションを争っていた。当然ながらボランチとしてのキャリアは浅いが、特筆すべきは守備センスにある。攻撃的な選手がボランチをする場合、どうしても攻撃に色気を見せてポジションを留守にし、失点の契機を作ってしまうのだが、田口はリスクマネジメント能力が高く、インターセプトの回数も多い。
「守備は中学の頃の経験が生きているかもしれません」
田口は回顧する。
「自分がFWをやっていて、相手のボランチにすごく首を振って自分の位置を確認してくる奴がいたんです。その動きがすごくうざくて。なかなかフリーでボールをもらえなかったんです。だから、今もそれをしているだけというか。あえてコースを消さずに開けておいて、そこを狙ってボールを奪う、というのはベスト。自分も首を振って周りを見るのは昔から癖なので、相手が嫌なことをやっているだけです」
無論、ラウルに憧れていたくらいなので、その攻撃力も捨てがたい。リーグでの得点数は多くはないが、ミドルシュートには非凡なものがある。キックの質はJリーグ屈指で、並み居るキッカーを擁するグランパスでプレースキックを任されることもある。体幹が強いからか、動きながらでも上体をぶらさずに鋭いキックができる。
「俺は元々が攻撃の選手なんで、前には行きたいっすよ。でも、バランスを考えちゃうところもあるんですよ。グランパスは前に行きたがる選手が多いし......。それに、"前がかりになってミスをして失点する"という怖さもあります。まあ、余計なことを考えて逃げているということかもしれません。ボランチで得点できる選手がベストなんだとは思ってはいますから」
田口はそこで間を置いて、こう続けた。
「今は久々にスタメンを外れているんで、弱気になっているのかもしれません」
Jリーグ第15節の大宮戦、田口はスローインのボールをアウトサイドで前につなごうとし、それが敵に奪われる形となり、カウンターを食らって失点した。
「試合後に、ストイコビッチ監督から『あのパスはないぞ』と叱られました。それまで1−0で勝っていて、結果的に逆転負けすることになったんで。それからスタメンから外れて、チームは連勝しているんですよ」
彼は唇を噛んだが、悪いことは重なる。第18節は久々に交代で出場機会を得て、勝ち試合をクローズしようと何度もパスカットを成功させていたが、不運にも転倒したときに頭を打ち、脳震盪で意識が飛んだ。終盤の数分、何が起こったのか、さっぱり覚えていない。次節も安静のため欠場することになってしまった。
「試合に出られないというのは、こんなに不安だったっけ、と思いますね。おまけに頭を打ったりするし」
運転する車内には洋楽のクラブミュージックが流れていた。ヒップホップ系の男子が被るようなキャップがフロントガラスにこつんと当たった。
「自分のエネルギーになっていることがあるとすれば、それは沖縄の人たちの気持ちかもしれません。沖縄の人たちは、思っているよりも自分のことを見ていてくれてて。脳震盪を起こした試合のときも、たくさん連絡をくれました。試合の前は『ちばりよ』(頑張れ)とか、メールをもらったり。だから、恥ずかしいプレイはできないんですよ。俺もちっちゃな頃、我那覇(和樹、現在はFC琉球に所属)さんを応援していたので、自分もきっとJリーガーとして注目されているはずだから」
ハンドルを握る田口は、ウィンカーを出しながら口惜しそうな顔を浮かべた。
「だから、試合に出られていない状況なんて。本当に悔しくて、恥ずかしくて。嫌なんですよ」
飄々(ひょうひょう)としているが、プレイのイメージは強く持っている。とんちんかんなプレイを周りがすれば、「まー、みてるばやー!」(どこ見ているんだ!)と口さがない。その猛々(たけだけ)しさは、普段ののんびりとした様子からはギャップがある。しかしその闘争心がなければ、見知らぬ土地でサッカーを続け、プロ選手になる機会を得て、プロの世界で揉まれながらポジションを得ることはできなかったのだろう。
熾烈な競争を、彼は勝ち抜いてきた。そして何よりも、彼にはダニウソンやストイコビッチというお歴々たちが太鼓判を押す知性がある。
「メッセージとまでなっているかどうか分からないけど、自分はパスの強さや角度で、次にどういうプレイを選択して欲しいか、を伝えるようにはしていますね」
田口はフットボーラーとしての矜持を語る。
「ダイレ(クトパス)は好きですね。やっぱり、サッカーの技術の中で一番難しいと思うんですよ。ドリブルで持ち込むのもいいけど、ダイレは次に起こることを常に考えてプレイしないといけないわけで。相手の裏をかけるし、成功すれば一番有効なはずなんです。なによりダイレがつながると気分がいい」
田口は、"ピッチを俯瞰(ふかん)し、まったくボールを取られない。試合全体を支配している"と感じることがたまにあるという。その時間を少しでも長くするためには、と彼は試行錯誤している。彼の一本の適切なパスが、能率的なチームプレイを生み出す。
「プロに入って試合に出続けるようになってみて、"メンタルは大事だな"と身にしみて思うようになりました。調子が悪いときこそ、どんなプレイができるかなんですよね。それに、うまくいかない試合の後は悶々として、それは次の試合でいいプレイをするまで"上書き"されない。だからこそ、メンタルが重要になる。精神的に自信を持っているときとそうでないときは、体の疲労も全然違うんですよ」
田口は今、プロ選手として一流になれるかどうかの岐路に立っている。
「今は代表なんてまったく考えられないです。とにかくレギュラーを取り戻して試合に出ないと」
彼は向き直って謙虚に言う。ただ、名古屋というビッグクラブでスタメンに定着することは、自ずと代表や海外でのプレイにつながる。プロの世界は上か下か、とどまることがない。
2011年2月、田口はスペインの名門、レアル・ソシエダに短期留学しているが、当時、Bチームでチームメイトになった同年代のイニゴ・マルティネスは、2012〜2013シーズンからレギュラーをつかみ取っている。そしてチャンピオンズリーグ出場権の獲得に貢献すると、今シーズン開幕前にはバルサが食指を動かすなど「欧州の若手ナンバー1センターバック」という称号を得た。
「イニゴ、そんなに出世したんだぁ」
田口は感慨深げに語った。しかしプロの世界においては、彼も己次第で同じように飛躍することができる。知性的プレイが賛美される男には、羽ばたくべき瞬間が来るはずだ。
「俺は昔から高い目標というのは見据えられない方なんですよ。野心的に目標を語る選手は、観ていてすごいなと思うんですけどね。ハングリーさはあまりない。なんくるないさ〜なんで。そこはたぶん変わらない。ただやっぱり、せっかくつかんだスタメンを失うと、焦りますよ。だから、戦う強さみたいな表に気持ちを出していくのも必要なのかな、と最近は思ったりしますね」
2013年9月21日、第26節の名古屋対FC東京。田口は第21節以来となるスタメン出場の機会をつかんでいる。しかし上位浮上を狙った名古屋は0−2と敗れ、田口も0−1とリードされた後半35分に交代で退いた。決して彼自身のプレイが低調だったわけではない。喝采を浴びせたくなるダイレクトパスで、何度か攻撃のいい流れを作った。ただし日本代表の高橋秀人と中盤でマッチアップしながら、劣勢を強いられたことも事実である。
なんくるないさ。
田口は琉球人として彼なりの想いを込め、その言葉をサインに書き添え続ける。
小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki