ひとりカラオケ=ヒトカラの誘惑
ひとりでカラオケに行くことを、ヒトカラという。
このヒトカラを検索してみると、去年のいまごろから比べてもじわじわとヒット件数が増えてきていることがわかる。
このデータだけでヒトカラ人口が増えてきたと結論づけるのは早計だが、肌感覚でヒトカラ人口が増えてきたと認識している人は多いのではないだろうか。
かくいう筆者も、昨年暮れにヒトカラデビューをさせていただいた。"自分がデビューしたから、ヒトカラ人口が増えたと過剰に反応してるだけじゃないか?"というご意見に対しては、特に反論する術がない。しかし、ヒトカラ人口が昨年暮れに、ひとりまた増えたことも、まごう事なき事実である。
それにしても、この"ヒトカラ"と省略された言葉に、あえて "ひとりで行く"という感覚が残されいるのは興味深いところである。ひとりでドライブすることを、誰もヒトドラとは呼ばない。ひとりでマクドナルドに行くことを、ヒトマクドとは言う人はいない。ヒトカラには、本来なら複数人で行くべきところに、"あえてひとりで出向く"という感覚が強く込められているようだ。
ここに、現代人の抱える心の闇や孤立した人間性が伺えるかと思ったのだが…、
- 「暇だから、ヒトカラ行ってくるぜ!」。
- 「明日はヒトカラ行って、歌いまくろうと思います!」。
- 「ヒトカラ3時間やってきたけど、あっと言う間でした。昔は、2時間でも長く感じたのになぁ」。
基本的には、明るくヒトカラの活動を報告する書き込みが目立つ。のびのびと、楽しげである。
- 「イエモンの『JAM』を3回も歌っちゃった!」
- 「ひとりサザンコンサート開いちまいました。でも、3時間じゃとても全曲歌いきれん」。
ちなみに筆者は、カラオケ屋の店員さんに「人数は?」と尋ねられ、「あ、ひとりなんですけど…」と申告するときにかなりの勇気が必要だった。部屋に到着した際には、ワクワク感と後ろめたさに挟まれ、危険なゾーンに突入した感があった。
ヒトカラファンのみなさんには、そんなトキメキや戸惑いはなかったのだろうか?
"初ヒトカラ"で検索してみると、そんな初々しいコメントも出てきた。
「図表入りの記事はこちら」
- 「行くまでは緊張したけど、楽しかった!」
- 「平日昼間のカラオケって安いんですね。これはクセになりそう」
ネガティブなところに行ってしまう意見もある。
- 「ヒトカラ行きました。友達いませんので」
調査会社の調べによると、ヒトカラに行くのには、いつくかの理由があるそうだ。
たとえば、純粋に歌が好きで、たくさん歌いたいから、とか、歌いたい歌が盛り上がれるようなタイプのものじゃないから、とか、あまり上手くないので、まずはひとりで練習したいから、とか。
- 「昼間のお客さんは、半数くらいヒトカラですね」
とは、カラオケ屋の店員さんの書き込みだ。
ヒトリでカラオケという言葉に感じられる、どことなくネガティブなイメージを気にする必要は、さほどないのかもしれない。もはやヒトカラは当たり前の行為として定着。すっかり市民権を得ており、カラオケ屋の店員に不憫に思われることもないようだ。
筆者のにらんだところでは、ヒトカラをやってみたいけど、飛び込めないという人は、まだまだいるのではあるまいか。ちょっと時間が空いたとき。思い切ってヒトカラなんてどうっすか!?
(井上晶夫)
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