フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマンシュ語。スイスは九州ほどしかない。狭い国土にもかかわらず、4つの言語が飛び交っている。人種も様々だ。

 カフェに入り、街を歩き、電車に乗り、スーパーで買い物をしたりしながら日常生活を送っていると、典型的なスイス人より、そうではなさそうな移民とおぼしき人に出くわすケースの方が多いのだ。EUROの期間中だということもあるのだろうけれど、スイス人の実態は今のところなかなか見えてこない。ドイツに行けば、たちどころにドイツ臭さをたっぷり嗅ぐことができるし、オランダに行けば、オランダらしさをたっぷり嗅ぐことができる。それがスイスではできにくいのだ。

 先日も面白い光景に出くわした。

 ジュネーブでポルトガル対チェコを見た後、電車でチューリッヒに戻ったときの話だ。

 中央駅の構内は、赤のレプリカユニフォームを身にまとうトルコとスイスのサポーターでごった返していた。駅舎内のホールでは、両国サポーターが警官隊を挟んで睨み合う、殺気だった空気に包まれていた。

 プラットホームにもその喧噪は、持ち込まれていた。厄介なのは、お互いの色が赤だということだ。両国サポーターの区別が付きにくいので、安全な場所がどこなのかもわかりにくい。

 トルコ人の方が血気盛んで、危なそうだとの先入観があるので、僕は十字架マーク付きの赤シャツの近くにいたのだが、するとそこに、三日月に星のマークをつけたトルコ人が、勢いよく接近してきたのだ。

 ヤバイと思ったのは一瞬だった。

 そのトルコ人の集団は、スイス人の集団に「ヘーイ!」と笑顔で近づくや、かたい握手を交わした。彼らは友達同士だった。

 トルコサポーターには、スイスで移民として暮らしている人がかなりいる。それにまつわる軋轢もあるだろうが、プラットホームで見たような微笑ましい光景にも出会うことができる。普段は仲の良い友達も、試合の瞬間は袂を分かち、敵味方に分かれる。しかし試合が終われば文字通りノーサイド。

 ポルトガルにしてもスペインにしても、トルコと同じようなことが言える。サポーターの中には、スイス在住の移民が相当いる。いっぽうで、スイス人でもイタリア系の人たちは、イタリアを応援していたりする。EUROの開催で、スイスの特殊性はいっそう拍車が掛かっている。

 それは、スタジアムの光景にも、描き出されている。中立そうに見えるファンの数は、いつものユーロに比べるとグッと少ない。対戦チームのカラーで、スタンドは綺麗に二分されているのだが、むしろそこに僕は中立性を感じる。地元ファンも、どちらかの国のレプリカユニフォームを着て、スタジアムにやってくるからだ。その結果、スタンドには「赤勝て、青勝て」の、分かりやすい対戦の構図が描かれることになる。

 だが、例外もある。オランダが圧倒的な攻撃力で、フランスを4−1のスコアで撃破した試合だ。フランスはスイスの隣国。スイスにもフランス語を話す人が数多くいる。いくらオランダ人が、アウェー戦に出かけていくことが大好きな人種だとはいえ、さすがにフランスのブルーの方が多いだろうと思いきや、オレンジ色が数でブルーに勝っていた。4倍以上はいただろう。

 帰りの満員電車に揺られながら判明したのは、オレンジ色を身にまとうスイス人が、意外に多くいたことだ。スイスにオランダ系が多くいるという話は聞いたことがない。ということは、彼らが、フランスのサッカーより、オランダのサッカーに魅力的を抱いているという話になる。スタンドのファンの数と、スコアが見事に一致した試合だった。

 もっとも、これがオーストリア側になると、話はずいぶん違ってくるはずだ。まだオーストリアには一度しか渡っていないので、確かなことは言えないが、スイスのように人種が混じり合って暮らしているわけではない。オーストリア人は比較的ひとくくりにできる国民だ。

 そのオーストリアは16日、ドイツと決勝トーナメント進出を懸けた大一番を戦う。ドイツ人もオランダ人同様、アウェイ観戦が大好きな人種だ。つまり、ウィーンのエルンスト・ハッペルで行われるこの試合は、混じりけの少ないモノ通しの、殺気に満ち溢れたガチンコ対戦ということになる。試合後、スイス対トルコのような微笑ましい光景に出くわすことはないだろう。それはそれで楽しみな一戦である。(了)