自己責任が叫ばれ閉塞感が広がる日本にリベラルの居場所をつくるには(写真:simarik/iStock)

弱者がさらなる弱者を袋だたきにする分断社会。閉塞感が強まる中、財政の仕組みを変えることで新しいモデルをつくれないか。目指すのは、弱者の救済ではなく、弱者を生まない社会だ。『幸福の増税論』を書いた慶応大学の井手英策教授に詳しく聞いた。

リベラルの居場所がどんどんなくなっている

──熱がこもった本です。

自由、公正で人々が連帯する社会は、本来、政治的信条に関係なく、すべての人にとってよい社会でしょう。今の仕組みを前提に、そんな社会を目指すリベラルの考えは間違っていない。だが、実際は社会でリベラルの居場所がどんどんなくなっている。リベラルが自立した理論をつくらないといけない。そんな思いから、やや力んだ本になったかもしれません。

──勤勉と倹約という美徳が生きづらさと結び付いた社会になってしまったと主張されています。

日本はすべてが勤労をベースとする勤労国家。高度成長期、池田勇人首相の経済政策の柱は、所得減税と公共投資だった。勤労者には、ご褒美として所得税を返す。公共投資で勤労の機会を与え、生活保護の助けを得るような人を少なくする。勤労、倹約し、貯蓄すれば、教育費や医療費を負担しつつ、老後に備えられ、家も購入できる。さまざまなニーズに自己責任で応える社会をつくったのです。

江戸時代は村単位で税を払った。村にサボる人がいると、まじめに生きる人の負担が増す。そのため、経済的に没落した人は道徳的な失敗者とされた。現在でも、自己責任を果たせない人は社会のお荷物とされます。生活保護を受けて失敗者と見なされるくらいなら、貧乏しても頑張る。スウェーデンでは権利のある人のうち8割、フランスでは9割の人が生活保護を受けるのに、日本では2割未満の人しか受けません。

──社会の分断が進み、「押し下げデモクラシー」という悲劇的な状況が生まれていると。

財政が厳しい中で、どこから予算を削るかが問題になった。まずやり玉に挙がったのが、公共投資。公務員や特殊法人もたたかれた。生活保護の受給もそう。犯人を探す不幸の再配分の闘争が行われている。人間には承認されたい欲求があります。

ところが、雇用が不安定化し、収入が減少、自分の力を認めてもらえない人が増えている。すると、自分より能力が低い人を見つけてバッシングする側に回ろうとする。あれよりはまし、自分は中流なんだと信じ込みたい。いわば、転落への恐怖です。

自己責任社会が直面するこんな現実への処方箋を示せれば、リベラルの居場所が見つかる。各個人が銀行に預けた金で医療や教育、老後に備えるのではなく、税金を集め、それを社会保障に充てれば、貯蓄がなくても安心して生きていけます。そんな新しい社会モデルをつくりたい。

成長をした社会モデルに無理がある

──勤労国家の前提である経済成長が鈍化してしまったのですね。


井手英策(いで えいさく)/1972年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程を単位取得退学。横浜国立大学などを経て現職。専門は財政社会学。著書に『経済の時代の終焉』『分断社会を終わらせる』(共著)『18歳からの格差論』『富山は日本のスウェーデン』など(撮影:大澤 誠)

自己責任で生きるには、所得が増え貯蓄できることが必要。オイルショック以降、政府は借金をしながら、減税と公共投資で成長の隙間を埋める努力をしてきた。しかし、とくに1990年代以降、経済が弱まっていく速度が上がり、政府が借金を重ねても、成長できなくなった。

今後はもっと厳しくなります。成長を決める4つのファクターのうち、労働力人口、設備投資、労働生産性には期待できない。最後の希望は技術革新だが、これは起きるかどうか、誰にもわからない。わからないものに将来の安心を委ねるわけにはいかず、成長を前提としない社会モデルに変えなければならない。

──もう高成長が難しいことを多くの人は理解していると思います。

アベノミクスの負の遺産といったらよいのか。安倍政権期の実質経済成長率は平均1.2%。五輪景気やアメリカの長期好況が重なったにもかかわらず、バブル崩壊以降の平均1%とほとんど変わらない。何でもありのアベノミクスを続けても、かつて世界2位だった1人当たりGDPは25位から30位程度。これが現在の日本経済の実力で、首相自身も「この道しかない」と言いながら、アベノミクスの限界に気づいています。

そこで、消費増税分の使い道を変え、幼児教育の無償化などに充てることにした。だが、消費増税に際しての経済対策は、軽減税率から始まり、ポイント還元、プレミアム付き商品券など、キャッシュバック・ドミノになっている。増税によりばらまき財源が得られると気づいた。ここに自民党の本質が表れている。僕とは理念が違いますね。

増税せずにどうやって暮らしを保障するのか

──消費増税への反対は、今も根強いのではないですか。

そうでしょうか。消費増税を訴えた与党が選挙に勝ち、増税延期や消費税廃止を主張した野党が負けた。負担をどう分かち合うか、その議論からもう逃れられないことは、みんなわかっている。消費税に対して、左派は逆進性や中小企業の負担を問題として、アレルギー反応的な抵抗を示す。しかし、欧州の高負担高福祉国家は左派がつくった。増税せずに、どうやって人々の暮らしを保障するのか。消費増税反対で思考停止していては、この社会はよくなりません。

消費税については誤解も多い。消費税の使途は社会保障と地方交付税に限定されている。消費増税で法人減税の穴埋めをするのはけしからんという議論があるが、法人減税に伴う穴は消費税ではなく国債発行によって埋められている。

──民主党政権の看板政策だった子ども手当に対する評価は。


子育てに対する手当は必要で、それを一部の人ではなく、すべての人を対象にするという考え方はすばらしかった。しかし、民主党はしっかり理論武装ができていなかったから、ばらまきという批判を受けると、ひるんでしまった。

確かに、そんな金があるなら年金をよこせという、老人の批判は強かった。現金配布にはそういう意見が出る。だから、金を配るベーシックインカムではなく、すべての人に医療や介護、教育などのベーシックサービスを提供することを主張しているのです。

──人間は正義のために助け合うのではなく、必要のために助け合ってきたという指摘は重いですね。

みんなが必要なものをみんなで満たそう、というのが財政の原則です。消費増税で得た金を貧しい人だけに使おうとすると、増税に「ノー」という声が出る。みんなが受益者になる仕組みができれば、賛成が増えるはずです。