タクシーの自動ドアは日本特有のもの

 “不思議の国のニッポン”を代表するひとつがタクシーの自動ドア。海外ではまずお目にかかることのできない、日本独特のものといっていいだろう。そのため年間3000万人を超えた訪日外国人客が自分でドアの開け閉めをしようとして、しばしばトラブルになることも多いと聞く。

 日系ブランドでタクシー専用車両を提供しているトヨタ、日産ともに最新のタクシー向け営業車両の後部ドアが自動スライドドアとなっている。アメリカではニューヨークや一部の都市でトヨタの海外市場向けミニバン“シエナ”がタクシーとして走っているが、スライドドアを採用するものの、ドアの開閉は手動で乗客が行うことになっている。

 なぜ日本のタクシーが自動ドアを採用するようになったのか、それは日本では運転席の横の席を“助手席”と呼ぶところにヒントがある。助手席の英訳は“Passenger seat(旅客席)”となる。つまり英語では“Assistant seat”とは呼んでいない。

 もともと日本では自動ドアが登場するまでは、タクシーでは助手席に助手が乗っていて、その助手がドアの開閉を行い、乗客が乗り降りするというサービスが行われていたとのこと。

 “日本初の純国産乗用車”として登場したクラウンは、“日本のタクシーを純国産乗用車”にしたいとの思いで開発された。当時すでにトヨタなどがタクシー車両を提供してはいたが、それはトラックシャシーにセダンボディを架装したものであった。当時でタクシー仕様に耐えうる耐久性を出すにはトラックシャシーベースしか選択肢はなかったのだ。

 そのなかで登場した初代クラウンが観音開き式ドア(コーチドア)を採用したのは、この助手の作業を軽減するためというのは、有名な話となっている。

 すでにその当時も自動ドアというもの自体はあったとのことだが、急速に普及したのは1964年、つまり最初の東京オリンピック開催のタイミングとされている。2020大会開催のタイミングでクラウン系からJPNタクシーへバトンタッチしたように、当時の“おもてなし”のひとつとしてタクシーの自動ドアは急速に普及していったのだ。

自動ドアといってもドライバー席から手動で操作する機械式も!

 いまのJPNタクシーや日産のNVタクシーは電動スライドドアを採用するが、それまでのクラウン・コンフォート及びコンフォートやY31セドリック系の法人タクシータクシー車両のものは自動ドアというものの、運転席の座面左右いずれかにあるレバーと助手席後ろのドアまでは、金属上の部品でつながっており、乗務員の操作でドアが開閉できる仕組みとなっている。セダン型の個人タクシーやコンフォート時代のクラウンセダンタクシーなど“黒タク”と呼ばれた上級車両はバキューム式を採用するが、乗務員が操作することには変わりがない。

 このドア開閉操作は思っているより操作が難しい。そのためこれからタクシー乗務員になろうとする“養成乗務員”段階では、かなりみっちりと開閉練習が行われるものと聞いている。「風が強い日などはレバーを強く握っていないとドア煽られますのでとくに気を使います」とはタクシー業界事情通。

 よく確認しないでドアを開けたら、そこへ自転車やバイクが突っ込んでくるといった開閉時の事故は、タクシーの事故原因で多発するケースとして日ごろから注意喚起されている事案である。また和服の女性を乗せた時など、よく確認せずにドアを閉めたので裾がドアに挟まるなどといったトラブルも注意事案とされている。

 自動ドアの取り付けにはもちろん費用がかかるので、タクシー車両規定の緩和後はもともと電動スライドドアを標準装備するミニバンがタクシー車両として走っているのが目立ってきている。

 JPNタクシーは電動スライドドアを採用するが、一般のミニバンのようにスイッチを触ると、あとは自動開閉するものではなく乗務員がスイッチを触っている時だけ開閉するセミオート式となっている。

 ヒンジドアを採用し、乗務員のレバー操作で開閉していたセダン系タクシーに比べると開閉に時間がかかることもあるのか、筆者は街なかで様子を見ていると、とくに乗客を乗せて発車するときには、ドアが完全に締まらないまま見切り発車していたり、これは筆者もJPNタクシーに乗った時よくやるのだが、降りる時も完全に開いていない、作動中の段階で乗客が降りようとして可動しているドアレールに足をのせてしまうことなど、新たなドア開閉時のトラブル因子になるような事案が目立っているとも、前出の事情通は語ってくれた。