「政府の退避勧告にもかかわらず危険な地域に入り誘拐されてしまった人」はどうするべきか(写真:あんみつ姫/PIXTA)

「政府(外務省)の退避勧告を聞かずに危険な地域に入り、誘拐された人」を助けるべきだろうか。今回は誘拐→身代金というお金の支払いなどをめぐって、行動経済学的な視点からあくまで一般論として論じてみよう。

上記のような人が誘拐された場合、「自業自得だから、国民の血税を使って助けるべきではない」という意見と「人命救助は当然」という異なった意見が出るのは当然かもしれない。ちなみに「国民の血税」というのは身代金だけでなく、交渉する人の人件費や電話代等々をすべて含めたコストである。

「公平」と「予防」の問題をどう考えるか

たとえば、洞窟を探検している時に地震や洪水がきて閉じ込められた人は、少なくとも予見が難しいのだから、政府が助けてくれて当然だと思うかもしれない。それに比べ、退避勧告を無視した人をそれと同一に論じることはできないだろう。その理由は主に2つある。

1つは、「公平」の問題である。「自らハイリスクを選んだのだから、損をしても誰も助けてくれない」という面と、「政府がやめろと言ったことをやったのだから誘拐されても仕方がない」という面があるだろう。

これは、預金をした人は一定金額までは預金保険で保護されるが、怪しげな投資話で損をした人の損は自己責任である、といった話に近い。もちろん「イチかゼロか」ではなく、程度の問題は重要だ。たとえば退避勧告の出ている紛争地域にわざわざ出向いたのかどうか。これは冬山登山の場合ならしっかり装備をして登山したのかどうかを考慮することと少し似ている。だが本稿では話を簡略化するために、これには深入りしない。

もうひとつは、「予防」の問題である。人々が危険なことをしなくなるためにはどうすればいいか、ということである。これは「罰を決めると人々が悪いことをしなくなる」という発想に近いものである。「経済は冷たい頭脳と温かい心で動いている」と言われるが、これを考える際には温かい心を封印して冷たい頭脳で考えなければならない。ここはつらい作業であるが、お付き合いをいただきたい。

たとえ退避勧告を無視したのだとしても、現に誘拐されている人がいる以上、「助けてあげたい」と考えるのは人情である。また国家の責務は国民の生命や財産を守ることにある。費用にもよるが「巨額でなければ払ってもいい」と考える温かい心を筆者は持っているつもりだ。しかし、筆者の冷たい頭脳はそれを認めない。なぜならば、それを認めてしまうと、次からも退避勧告を無視する人が続発する可能性があるからである。

「モラルハザード」をどう考えるか

たとえば大学の単位認定の話で考えてみよう。筆者は大学の教員であるから、試験勉強をせずに単位を落として卒業できなくなる学生を毎年見ている。ときには「一流企業への就職も決まっているんです。先生の単位だけいただければ卒業できるんです」と泣きつかれることもある。そんなときは、冷たい頭脳の命じるままに断るしかない。

もちろん、温かい心で単位を出すことは容易である。だがそんなことをしたら、翌年の4年生はそうしたことを聞きつけて誰も勉強しなくなってしまうかもしれない。1人を甘やかすと、みんなが甘えるようになるので、甘やかしてはいけないのだ。

モラルハザードという言葉がある。さまざまな意味があるが、その1つに「保険に加入すると脇が甘くなる」といった意味がある。盗難保険に加入すると、鍵をかけたか否かを確認するのが甘くなる、といった問題である。

筆者の試験も政府の誘拐被害者救出も、少し似たような事象である。極端な事例だが「鍵をかけずに盗難に遭っても保険会社が何とかしてくれるから、鍵をかけない」「勉強しなくても塚崎(筆者)は単位をくれるだろうから勉強しない」「危険地域で誘拐されても政府が救出してくれるだろうから危険地域へ行く」といった人々の「望ましくない行動」を誘発してしまいかねないのだ。ただ「もし、危険地域で誘拐され、たとえ政府が救出してくれなくても、地域の実情を知らせるためには大事だ」と考えて行動する場合など、厳密にはモラルハザードの問題として同じように論じられない部分があることも確かだ。

さて、ここまで渡航者の危険地域への渡航を誘発してしまう話をしてきたが、誘拐の場合はいまひとつ重要な問題がある。

それは、誘拐犯のインセンティブを高めてしまうリスクである。

誘拐された人を救出する手段は、国内であれば「犯人を逮捕する」が最優先だが、海外においては日本の警察が犯人を逮捕するのは困難であるし、現地の警察が犯人を逮捕してくれることもそう簡単ではない。そうなると、「身代金を支払って人質を解放してもらう」という選択肢が思いつく。

しかし、ここで再び温かい心を、冷たい頭脳が抑え込む必要が出てくるのである。誘拐犯に金を渡すということは、「悪者に褒美を与える」ことと同じことになってしまう。それは公平にも反するが、悪者が「再び誘拐を実行しよう」というインセンティブを持ってしまうことも問題だ。

しかも、仮に他国の政府が身代金を支払わず、日本政府だけが自国民を救出するために身代金を支払うなら、誘拐犯が考えることは「誘拐するなら日本人がいい。ほかの国民を誘拐すると襲撃されるかもしれないが、日本人を誘拐すれば安全に巨額の金が手に入るから」ということであろう。

そうなると、世界中の誘拐組織が日本人ばかりを狙って誘拐するようになるかもしれない。結局、最初に誘拐された1人を助けたために多くの日本人が誘拐されるようになり、巨額の身代金を支払い続けることになるかもしれない。

途中から「今後は日本政府も身代金は払わないから」と宣言するという選択肢もあるかもしれない。だが、それは「私がバカでした」と世界に向けて宣言するようなものであるから、そうした事態が予想されるなら最初から身代金は支払うべきではない。

「最も好ましい」選択とは?

さて、実際に日本政府は、(少なくとも表立っては)身代金は支払わないが救出の努力は試みるであろうから、ある程度のコストはかかるだろう。それを本人(または相続人)に請求すべきであろうか。一般納税者との公平という観点からは、請求すべきであろう。「救出努力をしてほしいなどと頼んだ覚えはない」と言い張られた場合どうするか、という問題はあるが、本稿はそれには触れないこととする。

仮に何千万円かが請求されたとして、それは海外旅行保険でカバーされるべきだろうか。これも、2つの理由で「否」であろう。1つは、「誘拐されたら政府から何千万円か請求される。しかも、自分が死んだら相続人が請求されるので、親や妻などに迷惑がかかるかもしれない」と考えて渡航を断念する予定だった人が、「保険でカバーされるなら渡航しよう」と考えかねないことである。まさに上記の「モラルハザード」である。

いまひとつは、保険会社の事情である。いま、AとBという保険会社が海外旅行保険を取り扱っているとする。A社の保険は危険地域での誘拐に伴う政府からの請求もカバーするが、B社の保険はカバーしないとする。保険料はB社のほうが安いので、一般の旅行者はB社の保険に加入する。A社の保険に加入するのは危険地域への渡航を計画している人だけである。そうなると、A社の保険は保険料が異常に高くなって、誰も加入できなくなってしまうだろう。A社としても、そうした事態が容易に想像できるため、「危険地域で誘拐された場合は、保険金は支払われません」と契約書に明記するはずである。

結局、全体を通して考えると、政府は危険地域に渡航して誘拐された人を積極的には助けないが、最低限のことはする。その費用は旅行者または相続人に請求する。それにより、「費用を請求されて相続人に迷惑がかかると困るから渡航をやめておこう」と考える人が増える。それが最も好ましい、ということになりそうだ。最後に繰り返すが、誤解されないようにお願いしたい。あくまで本稿は温かい心を封印して冷たい頭脳で考えれば、ということであるので(なお、本稿は筆者の個人的見解であり、筆者の所属する組織等々の見解ではありません)。