国連平和維持活動における日本の不存在は際立っている。自衛隊が撤収した後の南スーダンで、難民キャンプの警備にあたる国連PKOのガーナ軍兵士(写真=ロイター/アフロ)

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日本国憲法は前文で「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と謳っている。だが現実はそうなっていない。国力が低下するなかで、アメリカと中国という2つの大国に翻弄され、「名誉ある地位」を占められずにいる。どこに問題があるのか。東京外国語大学の篠田英朗教授は「日本の内向き志向」を問題視する――。(第1回)

2017年、自衛隊が南スーダンから撤収した。2012年1月から5年余りにわたる活動であった。撤収後は、派遣中の騒々しさが嘘のように、誰もが南スーダンを話題にしなくなった。

南スーダンの和平プロセスは一進一退を続けている。人道的危機は続いている。国連南スーダンミッション(UMISS)自体は、状況の困難にもかかわらず、活動を継続させている。しかし日本国内では、もともと「憲法問題」が議論されただけであったので、もはや南スーダンなどは終わった話でしかないようだ。

2017年は、国連PKO協力法成立15周年の年であったが、実際の活動内容は、大きく縮小した年であった。新たな派遣の目処(めど)は立っていない。

たとえば中国は、日本を上回る第2位の国連平和維持活動(PKO)への財政貢献国であり、2500人規模でPKO要員を提供している東アジアの常任理事国である。「一帯一路」が大きな影響を各地に及ぼそうとしていることは言うまでもなく、さらには中国が中心となった地域機構である上海協力機構は、存在感を高めている。朝鮮半島の危機の最前線である韓国の場合であっても、600人以上の国連PKOへの要員派遣水準を維持し続けている。

大国は国連PKOに参加しないという俗説があるが、イギリスやフランスも700人前後の規模で要員提供している。アメリカやロシアは国連PKOへの要員提供数は少ないが、その代わりに各地に独自の平和活動部隊を展開させている。国連PKOを大規模な要員派遣で担う国々は、インドなどの「大国」である。エチオピアなどのアフリカの地域大国は、国連PKOだけでなく、地域機構の枠組みを通じても、国際平和活動に大きく貢献している。

日本の不存在は際立っているのだ。

■「おとなしく」していればそれでいいのか?

憲法違反の声を恐れるあまり、国際社会の平和活動への参加を怠るとしたら、憲法で平和主義と国際協調主義を謳(うた)っている国として、本末転倒も甚だしい。しかし、残念ながら、それが現在の日本だ。

そのことをどう評価するかは、議論になるのかもしれない。日本の左派勢力は、国際活動に消極的な者のことであり、政府の対外活動を制約するための圧力団体勢力になっている。もちろん伝統的な右派勢力もまた国際活動それ自体には熱心ではない。「日本は十分に貢献している」、といった話でお茶を濁そうとするのは、誠実ではない。事実は事実としてよく理解しておかなければならない。

憲法9条を持って戦争をしない国であることだけで世界平和に貢献していることを誇る、というのは、日本という国には第2次世界大戦時に「ならず者国家」だった前科があるので、おとなしくしているだけで十分に評価されてしまう、ということにすぎない。もちろん、本当にそれだけで日本の国際的地位も安泰であるならば、余計な心配はいらないのかもしれない。だが、日本の国力が低下し始めている冷厳な現実を直視すれば、果たして今のようなのんびりした態度だけで、本当に国際社会でうまくやっていけるのか、少しは心配してもいいのではないか。

いくぶんか発想の転換が必要だ。いつまでも日本が大国であるかのような態度をとり続けていても、現実とのギャップは開くばかりだ。国力に見合った形で、なお日本が国際社会で「名誉ある地位」を占めるために、現実的に、どういう考え方が必要なのか。厳しく問い直していく必要がある。

厳しい国際環境の中で、日本が平和国家として生き残っていくために、何を考えるべきなのか。この小論ではそれを、目下の国際情勢に即して、論じてみたい。

■トランプ大統領の登場が象徴するもの

2017年には、トランプ米大統領が就任し、世界のニュースの多くを作り出した。異色の大統領と言えるが、大きな流れは以前から存在していたと言える。一言でいえば、冷戦終焉(しゅうえん)以後の世界が直面している、自由主義的な価値規範を基準にした国際秩序の、大きな揺らぎである。

国際秩序の現状は、まずは終わりの見えない「対テロ戦争」への対処方法によって、試される。トランプ大統領の登場は、超大国アメリカの「対テロ戦争」への現在の態度を象徴している。

冷戦が終焉した直後の1990年代には、アメリカの国際的影響力が高まるとともに、自由主義的な価値規範が普遍的な基準であるという考え方が広まった。経済面でグローバル化が進んで自由貿易主義が広まっただけでなく、政治的にも人権侵害に対する介入行動的な対処の事例などが大幅に増加した。イデオロギー闘争の時代の終わりを宣言したフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』の物語と、それでも民族や宗教などの人間のアイデンティティーをめぐる闘争は続くと指摘したサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』が大きな議論となった時期だ。1990年代は、ハンサムで知的だが、素行は軽薄な、ビル・クリントン米大統領が象徴した時代であった。

その後、世界は2001年以降の「対テロ戦争」の時代に突入する。地域紛争として頻発すると思われていた「文明の衝突」が、世界的規模で発生することが判明した時代だ。ブッシュ(息子)米大統領によるアフガニスタンとイラクへの直接攻撃および軍事駐留という冒険的な政策は、新しい巨大な紛争構造を劇的に顕在化させ、世界を終わりの見えない泥沼に落とし込んでいった。

後任のオバマ米大統領は、アメリカの撤退政策を主導したが、紛争構造の解決が果たされたわけではなかったので、「力の空白」が対テロ戦争の主戦場地域で生じるに至った。それが、現在の中東を震源地とした紛争構造の流れを作ったとも言える。

冷戦終焉後の世界の紛争問題の中心地は、サブサハラ(サハラ砂漠以南)アフリカだというのが、1990年代以降の大きな傾向だった。2010年代に入り、世界の紛争の震源地は、中東に移行した。アフリカの紛争地帯も、中東とのかかわりの強いサヘル(サハラ砂漠南端に接する帯状の地域)という言い方で表現されることが一般的になった。

潮目となったのは、「力の空白」地域となった中東の「アラブの春」以降の混乱である。オバマ大統領は、演説では自由主義的な国際秩序の価値を語ったが、別の観点から描写すれば、アメリカの力による秩序維持を放棄した撤退主義者であった。

■「普遍主義」を捨てたアメリカ外交

トランプ大統領が好まないのは、なんといってもまずはブッシュ大統領のような宣教師スタイルや、オバマ大統領のような弁護士スタイルの雄弁術だろう。これらに対しトランプ流とは、堂々と「アメリカ第一」主義を公言したうえで、敵対勢力との駆け引きや、競争相手との交渉を行うスタイルだ。対テロ戦争についても、そのような態度で対処している。

2017年8月にトランプ大統領は、新しいアフガニスタン戦略を発表した。米軍増派を行って徹底したタリバン系勢力などの駆逐を進める決意を表明すると同時に、テロリスト勢力掃討の努力が不足しているという理由で、パキスタンを非難し、インドの役割増大への期待を表明した。その後、パキスタンへの軍事支援の停止を発表した。インドは継続してアフガニスタン支援にかかわっている重要な隣国だが、トランプ大統領のようなあからさまなやり方は、地域の安定を乱す懸念から、これまではタブー視されていた手法だ。

トランプ大統領の実直なやり方は、エルサレム首都承認問題でも明らかになったと言える。トランプ政権下のアメリカは、もはや湾岸戦争直後の歴史的にも稀(まれ)な影響力を中東に誇ることができる国ではない。ただしイスラエルおよびイスラエルと急速に関係を深めたサウジアラビアやUAEとは、依然として良好な外交関係を維持している。反対に、これらの国々と敵対するイランやトルコなどとは、関係を厳しくしている。エルサレム首都承認は、アメリカが普遍主義にもとづく中立的な調停者などではないことを、アメリカ自らが認めた行為であった。

日本の安倍首相は、トランプ大統領と良好な関係を構築することに成功した、と言われる。それにもかかわらず、日本は、国連の安全保障理事会と総会の2回の投票を通じて、エルサレム首都承認に反対する決議に賛成票を投じた。シェール革命によって中東の石油に依存する必要がなくなったアメリカと、日本の立場は違う、という分析も可能であろう。綱渡りである。

■日本が優先して果たすべき役割とは

日本の河野外相は、中東和平に向けて日本が調停役となるべく努力を払おうとしている。その姿勢は評価すべきだが、残念ながら、必ずしも大きな見込みがあるようには見えない。誰がやってもそうなのだから、日本の責任ではないが、日本なら何かできると信じる理由は何もない。

目下の中東情勢には、アフガニスタンからサヘルにかけた地域の複雑で多様な諸問題が密接にからんでいる。広範な地域をにらんだアプローチが必要であり、少なくともロシア、中国、トルコ、イラン、サウジアラビア、UAE、カタールなどの動きを見ることなく、単なる「アラブの大義」の問題だと誤認することは、危険な火遊びにつながる。

日本が優先すべきなのは、中国主導の「一帯一路」と、日米主導の「インド太平洋」の戦略的せめぎあいの中で、アメリカの同盟国としての巨視的な視点と、日本自身の立場の両方を反映した、自らの役割を果たすことだ。その方向の中で、地域的な信頼醸成を促進するために側面からの支援を提供していくことが、目下の日本の実力に見合った世界平和への貢献だろう。

次回の原稿では、この「一帯一路」と「インド太平洋」の両構想を含む地政学ゲームを、もう少し詳しく見てみることとする。

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篠田英朗(しのだ・ひであき)
東京外国語大学教授 1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」』(講談社選書メチエ)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保』(風行社)、『ほんとうの憲法 ―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)など。

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(東京外国語大学教授 篠田 英朗 写真=ロイター/アフロ)