選手としての経験はもちろん、育成畑とトップの現場でコーチングの経験を積んだ松波。どんな辣腕をふるうのか楽しみだ。(C)SOCCER DIGEST

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 およそ4年ぶりの帰還だ。「こんなに早く戻ってくるとは思ってなかったんで」と照れながら、微笑を浮かべる松波正信。ピッチ内外で改革が進む2018年のガンバ大阪にあって、元祖ミスターガンバは、アカデミーダイレクターの要職に就いた。
 
「去年までは強化とアカデミーが別の部署だったんですね。それを一緒にして、トップチームを含めたコンセプトをジュニアユース、ユースで一貫指導しながら、いろんなものを統一していこうということです」
 
 そのなかで、アカデミ―ダイレクターはどんな役割を担うのか。
 
「ガンバらしいサッカーとはこういうもの。そのアイデンティティーを具現化して、もっと表に出していくために、僕が先頭に立ってやるということです。だから新しいなにか、革新的ななにかをするわけじゃないんですよ。育成スタッフの面子はほぼ変わってないわけで、指導者それぞれで練習方法や攻撃、守備のアプローチは違う。そのうえで統一感を持って取り組もうと。そこはなかなかやれてるようで、やれてなかった部分だったんです」
 
 2012年シーズン、就任からわずか3か月で解任されたジョゼ・カルロス・セホーン監督の後を受け、松波はトップチームの指揮官に指名された。なんとか負のスパイラルから抜け出そうと奔走したが力及ばず、チームはまさかのJ2降格。自問自答の連続だった。
 
「10年間続いた西野体制が終わって、そこからの改革。監督を代えての新しい試みという意味では、いまと同じ状況でしたよね。そのなかでチームとしていろんな対応を迫られたわけですけど、セホーン監督が3月に解任されて、僕に求められたのはまず結果を残すこと。振り切って思い切ってやれと言われてはいたけど、そこは振り切れない部分もあった。対応し切れないなら元に戻すしかないと考えてましたから。ただいま思えば、もっと自分というものを持たなきゃいけなかった。戻そうとしすぎたかもしれない。アカデミーとがっちりリンクしてスタイルが習慣づいてた10年間に、より近づけようとばかり考えていた」
 
 責任を取って監督を退任した松波は、初代ガンバサダーに就任する。クラブの広報大使としてさまざまなイベントや活動に参加。一方で「実はセレッソ時代のレヴィーさん(クルピ)の練習を見に行ったり、筑波大で監督をされていた風間(八宏)さんの話を聞いたり、テレビ解説をしたりと、かなり自由に動かせてもらった。見聞を広めることができた1年でしたね」と回顧する。そして現場への想いを捨て切れず、21年間を過ごした吹田の地に別れを告げるのだ。
 ガイナーレ鳥取では2年間、トップチームで指揮を執った。「戦力は限定されていて、施設もないなかでどう工夫してやるべきか。毎日が勉強の連続だった」という。ガンバサポーターが驚くニュースが届いたのは2016年3月。宿敵セレッソに招聘され、U-18チームのコーチに就任したのだ。
 
「心情的になにも思い浮かばなかったわけではない。ただオファーをもらったのは2回目だったし、バックグラウンドじゃなく、松波正信という個人をしっかり評価してもらった。ガンバとはまた違うアプローチで、しっかりトップに選手を供給している。いいサイクルができてて、昔のガンバに似た現象が起きてるなと感じました」
 
 昨年秋、松波にはいくつかの選択肢があったという。セレッソは契約延長を提示し、他クラブからも魅力的なオファーが舞い込む。そのなかから松波が選んだのは、ガンバのアカデミーダイレクターの職だった。プロのサッカー人としての判断だったと強調する。
 
「正直、いろんな可能性を探りましたし、2か月くらい悩みました。もちろん古巣ですし、ガンバのアカデミーはどうなっていくのだろうと気になってた部分はあります。でも今回の誘いを受けたのは、アカデミーダイレクターという仕事自体にやりがいを感じたからです。僕自身、育成の現場もトップでの指導も経験してきた。それを総合的に活かせる役回りなのかなと。もちろん足りない部分は多々ありますけど、サポートしてもらいながら全うしたい」