皇太子に昇格以来、矢継ぎ早に強力な政策を打ち出すサルマン皇太子(右)(写真=Courtesy of Saudi Royal Court/ロイター/アフロ)

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11月17日、イラク軍は過激派組織IS(イスラミックステート)の最後の拠点を鎮圧したと発表した。中東の不安要素がひとつ消えたと思われたが、混乱が収まったわけではない。新たな火種はサウジアラビア王族の内紛だ。反皇太子派の約500人が逮捕され、約90兆円が凍結されたと報じられた。影響はサウジと対立するイランにも及んでいる。なにが起きているのか――。

■ISの崩壊が招いた新たな対立

最近、中東に関し、いくつかの大きなニュースが報じられました。

2017年10月17日:シリアのクルド人(スンニー派が主流)勢力が率いるシリア民主軍(SDF)は、IS(イスラミックステート)が首都としているシリア中部の都市ラッカを制圧したと発表。

11月4日:サウジアラビア(以下「サウジ」)の地元紙が、11人の王族を含む約50人が汚職で逮捕されたと報道。その後の報道によると、王族および現役閣僚等を含め逮捕者は500人以上で、約1700人の国内口座が凍結され、凍結された金額は8000億ドル(約90兆円)に上る。また、逮捕された王族はリヤド市内のホテルで、取り調べを受けているとのこと。

同月4日:レバノンのハリリ首相が訪問先のサウジで辞任を表明。

同月4日:イエメンのシーア派武装勢力であるフーシ派が発射したと見られる弾道ミサイルが、リヤド近郊でサウジ軍により迎撃されたとの報道。

同月9日:サウジ政府が自国民のレバノンからの退避を勧告。

以上のようなニュースは何を物語っているのでしょうか。簡単に。言えば、中東におけるイスラム教内の宗派対立(スンニー派⇔シーア派など)が先鋭化し、それぞれの盟主であるサウジとイランとの対立の様相が、スンニー派であるISの事実上の崩壊に伴い、さらに激化し混迷の度合いを深めていると言えます。

これまでの中東の対立の構図を整理しておきましょう。シリア・イラクでは、シリアのアサド政権(シーア派に近いアラウィー派が政権主流を占める)を支援するイラン、ロシア、その反体制派を支援するサウジ等の湾岸諸国、IS制圧の実働部隊を支援するロシア、米国、それにISが、この地域でせめぎあっていました。さらに、アサド政権とISの両方の崩壊を望むトルコ、それに、イエメンを舞台としたサウジとイランの代理戦争など、複雑怪奇な状況が続いていましたが、ISの事実上の崩壊により、その構図が変化することとなりました。つまり、サウジとイランにとって、ISという共通の敵が事実上崩壊したことに伴い、イエメン、レバノンを舞台に対立を激化させる下地が整ってしまったと言えます。

■変革者か、対外強硬論者か。嵐を呼ぶサウジの新皇太子

この背景には、スンニー派の盟主ともいえるサウジの急激な変化も挙げられます。サウジ政府は2017年6月21日、ムハンマド・ビン・ナーイフ・ビン・アブドゥルアズィーズ(以下「MBN」)皇太子兼副首相を解任し、後任にムハンマド・ビン・サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ(以下「MBS」)を国防大臣兼務のまま昇格させると発表しました。MBSは現サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ国王(以下「サルマーン国王」)の息子(現在32歳)で、サルマーンが国王に即位した時(15年1月23日)から次世代の王子として、注目を浴びていました。

MBSは国防大臣就任日前日の15年1月22日、隣国イエメンでシーア派の流れをくむ反体制派のフーシ派がイエメン全土を掌握する事態に対抗し、フーシ派の拠点への空爆を決定・実施させました。また、16年1月2日、サウジが国内のシーア派指導者ニムル師を処刑したのに反発したイラン市民による駐イラン・サウジ大使館襲撃事件に関し、翌日(1月3日)、イランと国交断絶を決定したのもMBSと言われています。

さらに、MBSは17年6月5日、湾岸協力会議(GCC)加盟国で、イラン寄りの路線を歩んでいるカタールに対し、サウジ、アラブ首長国連邦(UAE)、イエメン、エジプト、モルディブ、バハレーンの6カ国が同国との国交を断絶すると発表(その後、コモロ、モーリタニア、セネガルも国交断絶を発表)しましたが、これを主導したのもMBSと言われています。このように、MBSはシーア派の盟主であるイランに対し、強硬な姿勢で臨む方針を明確にしていることが分かります。

一方でMBSは変革者としての側面も持っています。MBSは16年4月25日、サウジの今後の社会改革をまとめた「ビジョン2030」を発表しました。この「ビジョン2030」は石油に依存した国家のあり方を変えるというもので、補助金を削減して国民全体に広く負担を求め、国営石油会社アラムコ社の株式の一部を株式市場に上場し売却して得た資金を基に2兆ドル規模の投資ファンドを設け、その資金で民間部門を育成し、経済の門戸開放を進めて石油外収入を3倍強にして、財政収支均衡を図るという計画です。

また、石油だけに依存しない経済財政運営の実現を目指し、女性の雇用拡大、観光業、エンターテイメント産業の振興等、極めて大胆に社会変革にも踏み込んでいる点で、サウジ社会全体に与えた影響は甚大でした。当然、これに対しては王族の中から大きな不満等が噴出したとも言われています。

いずれにしても、MBSは皇太子兼副首相として、実質的にサウジを国家運営する立場になりましたが、社会改革は簡単ではありません。なぜなら、サウジはイスラム教の聖都であるメッカ、メジナを有する国で、政教一致の体制となっているからです。例えば、国王の称号には、「二聖モスクの守護者(Custodian of the Two Holy Mosques)」が付記され、国王は政治ならびに宗教においても、最高権力者となっています。

一方で、サウジ国王は国教であるイスラム教ワッハーブ派(スンニー派に近い宗派)の宗教界からの理解を得ることが求められています。現在のサルマーン国王は、宗教界への抑えを利かせている状態とされていますが、MBSが主導する社会改革を宗教界が受け入れるかどうかは、全く未知数です。

そのため、MBSはイランおよびシーア派との緊張関係を作り上げることにより、宗教界の関心を外に向け、一般国民の関心の高い腐敗問題への対応を推進することで、一般国民からの支持を拡大するという方策で、社会改革を推進しようとする思惑がうかがえます。

■サウジとイランとの対立は、レバノンにも拡大

今後、サウジとイランとの対立は、レバノンにも拡大する様相を呈しています。レバノンは岐阜県程度の面積に人口585万人を有する国で、1943年11月にフランスから独立しました。レバノンはキリスト教とイスラム教の各宗派がモザイクのように混住していることから、宗派主義制度という独自の政治体制が敷かれました。

つまり、1932年の人口統計を基に、18の公認宗派が、人口比率によって、政治的ポストを配分するというものです。例えば、最大の宗派であるマロン派キリスト教から大統領、イスラム教スンニー派から首相、イスラム教シーア派からは国会議長といった具合です。また、国会の議席数も人口比率に応じた配分となっています。

しかしながら、この人口比率は現状では大きく変化しています。例えば、1932年の統計と2012年のCIAの推定では、マロン派キリスト教が28.8%⇒21.0%、イスラム教スンニー派が22.4⇒27.0%、イスラム教シーア派が19.6%⇒27.0%といった具合で、大幅にイスラム教の人口が増加している状況です。

このレバノンは1950〜60年代にかけては、観光、金融で経済成長を遂げ、ベイルートは中東のパリと称されるほど繁栄しました。しかしながら、1970年9月にヨルダンを本拠地としていたパレスチナ解放戦線(PLO)を、ヨルダンが実質的に国外に追放する挙に出ました(黒い9月事件)。そのため、PLOは本拠地をレバノンに移しました。これにより、微妙なバランスの上に立っていたレバノンでは、1975年以降、内戦に突入。この内戦には、米国、旧ソ連、イスラエル、シリア、イラン等の国が関与し、終結までに15年の歳月を要することとなったのです。

1990年以降はイスラエルの侵攻が一時期あったものの、実質的に隣国シリアがレバノン政府を支援する形で、比較的平静に推移してきました。既述の人口の変化についても、大統領権限を大幅に制限し、首相権限を拡大させました。また、国会議員の配分もイスラム教徒を拡大するなど、

宗派対立を押さえるための方策が多く取られ、今日に至っています。その一方で、シーア派勢力が拡大しているレバノンについて、サウジは近年、関与を深めている状況でした。今回レバノンのハリリ首相が訪問先のサウジで辞任表明したことは、スンニー派を支援するサウジがハリリ首相のシーア派に配慮した政策を否定する意味合いがあると言えます。

今後の展開を大胆に予想してみましょう。最悪のケースは、サウジ、イランが直接戦火を交えることですが、その可能性は低いものの、イランが核開発再開を宣言するという状況になれば、その可能性も否定できません。より可能性が高いのは、レバノンが、かつてのレバノン内戦(1975〜1990年)のような状況になることです。

両国の対立が激化すれば、周知のように、サウジは米国と近く、イランはロシアに近い関係あるため、大国への影響もさけられません。第1次世界大戦前のバルカン半島は多くの民族問題を抱え、「世界の火薬庫」と呼ばれ、実際、第1次世界大戦勃発の原因となりました。現状においては中東地域が同様の状態となっていないことを祈るしかありません。

日本企業は中東地域の出来事を「対岸の火事」のように捉える傾向があります。しかしながら、サウジとイランとの対立の拡大、イエメン、レバノン等での地域紛争の激化等に伴い、原油価格の高騰、中東地域を中心としたグローバルな物流体制の途絶、周辺国での大規模テロの頻発、欧州への難民の増加、サウジ・イランでの内政の混乱等のリスクが顕在化した場合、世界の政治・経済・社会に与える影響が甚大であることを肝に銘じる必要があります。グローバル化が進展する現在においては、一地域の出来事であっても、世界中に甚大な影響が発生する可能性があるということを企業は常に意識し、対策を検討することが求められているのです。

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茂木 寿(もてぎ・ひとし)
有限責任監査法人トーマツ ディレクター。有限責任監査法人トーマツにてリスクマネジメント、クライシスマネジメントに関わるコンサルティングに従事。専門分野は、カントリーリスク、海外事業展開支援、海外子会社のガバナンス・リスク・コンプライアンス(GRC)体制構築等。これまでコンサルティングで携わった企業数は600社を越える。これまでに執筆した論文・著書等は200編以上。政府機関・公的機関の各種委員会(経済産業省・国土交通省・JETRO等)の委員を数多く務めている。

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(有限責任監査法人トーマツ ディレクター 茂木 寿 写真=Courtesy of Saudi Royal Court/ロイター/アフロ)