■目標に対するアプローチだけはブレないようにする

──「歴史を変えよう」というプロジェクトは、3年目にして一つのゴールに到達しました。改めて振り返ると、どのような道のりを歩んだきたのでしょうか?
木暮賢一郎 1年目は、監督を引き受けたのが新シーズンの直前だったので、選手の人選などのビジョンが万全ではありませんでした。クラブとは「優勝を目指してほしい」、「育成をしてほしい」といった契約に関する依頼はありましたが、目的を達成するためには選手が必要ですから、その選択肢がなかった状態です。「歴史を変えよう」と言いながらも、正直なところ、準備段階での難しさを感じていました。そうした中で、最適なアプローチは何なのか。優勝するには、「リーグ1位でプレーオフファイナルに行く」ことと「プレーオフ圏内に入って勝ち上がる」ことの2つの手段しかありません。そうなるとまずは、最低限プレーオフ圏内の5位に入る必要がありました。選手には言わないですが、自分の中ではこの「5位以内」がマストだなと。そして、ベテラン選手の見極めと、若い選手にきちんとチャンスを与えながらそこを目指すというところからスタートしました。

──まずは、目標達成のための「軸」を定めるということですね。
木暮賢一郎 その通りです。まだシステムがどうこうという前の段階です。それに実は、僕がやっているフットサルのシステムや戦術は、毎シーズン変わっています。大切なのは最初に立てた目標やプランを達成するためには「勝利」が必要で、そのための方法論にはこだわりはありません。所属する選手やその時々の順位など、状況は刻一刻と変わりますから、そこは柔軟に考えていて、スタイルに固執することはありません。言ってしまえば、こだわりがないことがこだわりかもしれないですね。目標に対するアプローチだけはブレないようにすることと、その方法は極力エラーがないようにすること。これが大切なのではないかなと感じています。

──戦術についてはシーズン途中の変更もありました。1年目は、GKの選手がパワープレーのようにハーフウェーラインまで持ち上がって、常に数的有利な状況を作る戦術にも着手していました。
木暮賢一郎 あのシーズンの最大の決断はそこでしたし、これは結果論ですが、それがあったからこそ今につながっていると考えると良い決断だったと思います。もちろん、その決断の何割がプレーオフファイナルまで行けた要因かは分からないですが、そこまで到達できたことが大きかった。フットサルを始めて半年しか経たない田村(友貴)や、シーズン途中に地域リーグから加入した加藤(未渚実)、サテライトに所属しながら特別指定選手としてプレーした水上(洋人)、その年の新加入選手で名古屋では出場機械のなかった森(秀太)、同じく府中アスレティックFCでは出番の少なかった稲田(瑞穂)は、それまでのリーグで大物だったわけではありません。若い選手や新たにチャレンジさせたい選手が、あのプレーオフを経験して、勝つために必要なことを学び、勝ってその舞台に行かないと出会えない景色を見れたことが、2年目、3年目につながる確信はありました。

──経験を積ませる意味でも、勝つことが必要だったということですね。
木暮賢一郎 若い選手や経験のない選手を使うこと自体は簡単です。でも僕は、常に責任を持ってやりたいので、「若手を使っているから良い」とか「ベテランを使わないから悪い」とかではなく、勝つことを意識しました。もちろん、選手起用などはクラブの要求も含めてのものですが、何よりも結果を出すことが一番の責任だと思います。新しいプロジェクトが始まり、ブレないものがあって、それを成し遂げる過程を見ることができた上に、ファイナルという景色を見れた。間違いなく次のステップになるだろうというものを共有できたことが、選手やスタッフ、スポンサーなどを含めたクラブの財産です。あれでもし6位だったら、今回の優勝はなかったと思います。クラブとは、「プレーオフに絶対に行くから、2年目は予算内で何人かの選手を獲得してほしい」と話していましたが、もしかしたら結果によっては実現できなかったかもしれない。クラブが自分を信じ、評価してくれたからこそ2年目の選手獲得につながったと思いますし、結果を出して次のステージへと向かえた1年だったなと。