「風立ちぬ」をどう語るかでわかる3つのクリエイタータイプ
クリエイターは3つのタイプにわけられる。
その3タイプが『風立ちぬ』にうまく登場しているので、紹介していこう。
【二郎:夢想オタク型】
主人公の堀越二郎は、夢想オタク型だ。
ものづくりが大好きで、その世界に入ると、他が見えなくなるタイプ。
だから、呼びかけに気づかないシーンが何カ所もでてくる。
たとえば、三菱に入社して初日。ハットリ課長がのぞき込んでも気づかない。「ハットリです」と言われてもノーリアクション。ふっと顔をあげて課長の顔を見るが、なんだかまだ心はスケッチの世界にいる感じ。あわてて黒川さんが「設計課のハットリ課長だ」と大声を出して、郎はようやくわれに返るのだ。
この後の喫茶店では、ハットリ課長もなれてしまっている。夢中になって返事をしない二郎を黒川さんが怒ろうとしても、手をあげて制して、待つのだ。
設計に夢中になっていたり、飛行を眺めているときに幻視のように実際とは違うモノをリアルに観たり、体感するのも、夢想オタク型の典型だ。
図面に計算式を書いていると、二郎の脳内に飛行機が飛ぶ。その飛行機は自分が思い描いているのでない。思い描かされているのだ。そのため支柱が折れそうになっても、その想像を自分でコントロールすることはできない。飛行機は空中分解し、堀越は机ごと落ちていき、だぶっとしたスーツが風をはらみ、書類が宙を舞う。
プロジェクトが終った後、軽井沢で休暇をとっているシーン。ねころび、目を閉じたときに、自分の設計した飛行機が空中分解するようすを思い出す。これは、クリエイターなら誰でもすることだろう。だが、この後、二郎が目を開く。天井をながめる。その後に、格納庫に集められた残骸を見つめている自分のシーンが挿入される。二郎は目を開いても、リアルに飛行機のことを夢想しているのだ。
二郎が薄情だという感想がときどきあるのも、そのせいだろう。薄情というよりも、気づいていないのだ。夢中になると、まわりの人すら見えなくなってしまう。
自分が創ってるモノの社会的意義や、影響を考えるのが苦手なのもこのタイプだ。二郎は、かろうじて、夢の中でカプローニさんと話すときだけ、そういったことを対話するが、現実社会ではその折り合いがなかなか付けられない(現実で折り合いがつけられないからこそ夢を見るのだとも考えられる)。
【黒川:状況分析型】
歩くと髪がひょこひょこする黒川さんは、状況分析型だ。
何かに夢中になるのではなくて、状況を見て、うまくそれを組み合わせたり、前進させたりするタイプ。
夢中になってハットリ課長の呼びかけに応じない堀越を怒る役目をついつい担ってしまうのは、黒川さんがこのタイプだから。
堀越が三菱にやってきた初日、図面チェックしながらも、それに集中できずに、二郎のことをちらちらと気にしてしまうのも、状況分析型ならではだろう。
飛行テストで、時速400キロに挑んだ飛行機が空中分解した後のシーン。堀越と黒川が対称的に描かれる。
「今日 自分は深い感銘を受けました。眼の前に果てしない道がひらけたような気がします」と、ある意味ポジティブな堀越。とはいえ、大失敗した直後なので、状況的にはトンチンカンだと思われてもしょうがない言葉だ。だが、ものづくり世界の夢想に半分入り込んでいる堀越にとっては正直な言葉だろう。
いっぽう黒川さんは、「隼に2号機はない。陸軍はすでに戦闘機は他の社にすると内定している。今日はそれをひっくりかえす一回きりのチャンスだったのだ」と冷静な状況説明。
堀越の初仕事のシーン。翼の圧力をワイヤーで吸収するスケッチを見た黒川さんは、その凄さよりも前に、「それでは主翼の骨組みそのものを改変せねばならぬ」と指摘する。全体の状況分析
それどころか、失敗した場合、ちゃんと堀越がドイツにいって見聞を深めることができるように手配しているという準備のよさ。すばらしい。
【本庄:拡大路線型】
二郎の同期、ライバルである本庄は、拡大路線型だ。
拡大拡張していくために戦略を練って進むタイプ。だから、本庄は常に列強に追いつくことを気にする。
「二郎また鯖か。マンネリズムだ。大学の講義と同じだ。列強はジェラルミンの時代になっているんだ。たまには肉豆腐でも食え」と八つ当たりするのが、かわいい。
夢想オタク型の二郎は、そんなこと気にもせず、鯖の骨を見て美しい曲線に夢中になってしまい、本庄をさらにイライラさせる。
ドイツで二人が歩きながら交わす会話も対称的だ。
「おれたちは20年先のカメを追いかけるアキレスだ。20年の差を5年で追いつくがカメは5年先にいる。俺たちは5年を1年でおいつく」と本庄。拡大路線型らしく、圧倒的な技術を見た後にすぐそれに追いつくことを考える。二郎はそれに対して「小さくてもカメになる道はないのかなぁ」と夢想するのだ。
「風立ちぬ」の感想がくっきり分かれるのは、このタイプの違いなんじゃないかと邪推してみる。
■「二郎:夢想オタク型」タイプは、もうこれは心揺さぶられずにはいられない。感情移入しずらいキャラクターとも言われる作品だが、もう作品そのもの全体に感情移入してしまう。
とり・みきの「風立ちぬ」戦慄の1カットや一人のクリエーターによる視点からの宮崎駿監督「風立ちぬ」感想といった熱い感想がたくさん。
■「黒川:状況分析型」タイプは、批判的だったり、冷めていたり。社会的意義とかマッチョイズムという視点で観てしまい「一ミリも共感できない」という宇野常寛、「宮崎駿『風立ちぬ』を新聞・テレビ・雑誌のどこも批判できないようなら日本のマスコミもおしまいだね。宮崎駿ファシズムだ」と陰謀説まで繰り出す中森明夫など。
■「本庄:拡大路線型」タイプは、凄い!凄い(けど、ラスト盛り上げてほしかったなー)という感じか。
甘えだと怒る小飼弾のレビューや、戦禍を省略したことは残念と指摘する清水節のレビューなど。
いや、しかし、これほど観る人によって感想や意見が分かれる作品も珍しいだろう。それほどまるごと凄い映画なのだと思う。未見の人は、ぜひ! ぼくは三度目を観にいきます。
シーンやセリフは『絵コンテ風立ちぬ』を参考にしました(これ、すごい! 映画を観た人はありありと思い出せるほどに緻密です)(米光一成)
8人の書き手がそれぞれの視点で綴った〈エキレビ!で「風立ちぬ」〉リンク集はコチラ
その3タイプが『風立ちぬ』にうまく登場しているので、紹介していこう。
【二郎:夢想オタク型】
主人公の堀越二郎は、夢想オタク型だ。
ものづくりが大好きで、その世界に入ると、他が見えなくなるタイプ。
だから、呼びかけに気づかないシーンが何カ所もでてくる。
たとえば、三菱に入社して初日。ハットリ課長がのぞき込んでも気づかない。「ハットリです」と言われてもノーリアクション。ふっと顔をあげて課長の顔を見るが、なんだかまだ心はスケッチの世界にいる感じ。あわてて黒川さんが「設計課のハットリ課長だ」と大声を出して、郎はようやくわれに返るのだ。
この後の喫茶店では、ハットリ課長もなれてしまっている。夢中になって返事をしない二郎を黒川さんが怒ろうとしても、手をあげて制して、待つのだ。
図面に計算式を書いていると、二郎の脳内に飛行機が飛ぶ。その飛行機は自分が思い描いているのでない。思い描かされているのだ。そのため支柱が折れそうになっても、その想像を自分でコントロールすることはできない。飛行機は空中分解し、堀越は机ごと落ちていき、だぶっとしたスーツが風をはらみ、書類が宙を舞う。
プロジェクトが終った後、軽井沢で休暇をとっているシーン。ねころび、目を閉じたときに、自分の設計した飛行機が空中分解するようすを思い出す。これは、クリエイターなら誰でもすることだろう。だが、この後、二郎が目を開く。天井をながめる。その後に、格納庫に集められた残骸を見つめている自分のシーンが挿入される。二郎は目を開いても、リアルに飛行機のことを夢想しているのだ。
二郎が薄情だという感想がときどきあるのも、そのせいだろう。薄情というよりも、気づいていないのだ。夢中になると、まわりの人すら見えなくなってしまう。
自分が創ってるモノの社会的意義や、影響を考えるのが苦手なのもこのタイプだ。二郎は、かろうじて、夢の中でカプローニさんと話すときだけ、そういったことを対話するが、現実社会ではその折り合いがなかなか付けられない(現実で折り合いがつけられないからこそ夢を見るのだとも考えられる)。
【黒川:状況分析型】
歩くと髪がひょこひょこする黒川さんは、状況分析型だ。
何かに夢中になるのではなくて、状況を見て、うまくそれを組み合わせたり、前進させたりするタイプ。
夢中になってハットリ課長の呼びかけに応じない堀越を怒る役目をついつい担ってしまうのは、黒川さんがこのタイプだから。
堀越が三菱にやってきた初日、図面チェックしながらも、それに集中できずに、二郎のことをちらちらと気にしてしまうのも、状況分析型ならではだろう。
飛行テストで、時速400キロに挑んだ飛行機が空中分解した後のシーン。堀越と黒川が対称的に描かれる。
「今日 自分は深い感銘を受けました。眼の前に果てしない道がひらけたような気がします」と、ある意味ポジティブな堀越。とはいえ、大失敗した直後なので、状況的にはトンチンカンだと思われてもしょうがない言葉だ。だが、ものづくり世界の夢想に半分入り込んでいる堀越にとっては正直な言葉だろう。
いっぽう黒川さんは、「隼に2号機はない。陸軍はすでに戦闘機は他の社にすると内定している。今日はそれをひっくりかえす一回きりのチャンスだったのだ」と冷静な状況説明。
堀越の初仕事のシーン。翼の圧力をワイヤーで吸収するスケッチを見た黒川さんは、その凄さよりも前に、「それでは主翼の骨組みそのものを改変せねばならぬ」と指摘する。全体の状況分析
それどころか、失敗した場合、ちゃんと堀越がドイツにいって見聞を深めることができるように手配しているという準備のよさ。すばらしい。
【本庄:拡大路線型】
二郎の同期、ライバルである本庄は、拡大路線型だ。
拡大拡張していくために戦略を練って進むタイプ。だから、本庄は常に列強に追いつくことを気にする。
「二郎また鯖か。マンネリズムだ。大学の講義と同じだ。列強はジェラルミンの時代になっているんだ。たまには肉豆腐でも食え」と八つ当たりするのが、かわいい。
夢想オタク型の二郎は、そんなこと気にもせず、鯖の骨を見て美しい曲線に夢中になってしまい、本庄をさらにイライラさせる。
ドイツで二人が歩きながら交わす会話も対称的だ。
「おれたちは20年先のカメを追いかけるアキレスだ。20年の差を5年で追いつくがカメは5年先にいる。俺たちは5年を1年でおいつく」と本庄。拡大路線型らしく、圧倒的な技術を見た後にすぐそれに追いつくことを考える。二郎はそれに対して「小さくてもカメになる道はないのかなぁ」と夢想するのだ。
「風立ちぬ」の感想がくっきり分かれるのは、このタイプの違いなんじゃないかと邪推してみる。
■「二郎:夢想オタク型」タイプは、もうこれは心揺さぶられずにはいられない。感情移入しずらいキャラクターとも言われる作品だが、もう作品そのもの全体に感情移入してしまう。
とり・みきの「風立ちぬ」戦慄の1カットや一人のクリエーターによる視点からの宮崎駿監督「風立ちぬ」感想といった熱い感想がたくさん。
■「黒川:状況分析型」タイプは、批判的だったり、冷めていたり。社会的意義とかマッチョイズムという視点で観てしまい「一ミリも共感できない」という宇野常寛、「宮崎駿『風立ちぬ』を新聞・テレビ・雑誌のどこも批判できないようなら日本のマスコミもおしまいだね。宮崎駿ファシズムだ」と陰謀説まで繰り出す中森明夫など。
■「本庄:拡大路線型」タイプは、凄い!凄い(けど、ラスト盛り上げてほしかったなー)という感じか。
甘えだと怒る小飼弾のレビューや、戦禍を省略したことは残念と指摘する清水節のレビューなど。
いや、しかし、これほど観る人によって感想や意見が分かれる作品も珍しいだろう。それほどまるごと凄い映画なのだと思う。未見の人は、ぜひ! ぼくは三度目を観にいきます。
シーンやセリフは『絵コンテ風立ちぬ』を参考にしました(これ、すごい! 映画を観た人はありありと思い出せるほどに緻密です)(米光一成)
8人の書き手がそれぞれの視点で綴った〈エキレビ!で「風立ちぬ」〉リンク集はコチラ