壇蜜と喪のエロス「終活読本 ソナエ」
「終活読本 ソナエ」という雑誌が産経新聞出版から創刊された。これは「終活読本」とあるとおり、主に中高年向けに、人生の終わりを迎えるための備えをさまざまな切り口から提示するという雑誌である。タイトルの「ソナエ」は「備え」ばかりでなく、「供え」とのダブルミーニングにもなっているのかなと思う。それというのも、記念すべき創刊号の表紙と巻頭を飾っているのが壇蜜だから。
壇蜜という芸名が、仏教用語で供物(くもつ)を供える場所を意味する「壇」と、供物そのものを意味する「蜜」を組み合わせたものだということは、最近ではわりとよく知られるようになった。本人も《みなさまへの、お供え物として奉仕する芸名と言えましょうか》と著書『蜜の味』に書いているし、自らを「蜜」と呼んだりしている。
この芸名には、彼女が20代の一時期、葬儀専門学校に通い、その研修で実際に葬儀社で働いた経験が色濃く反映されている。葬儀学校ではエンバーミングという遺体を保存・修復するための技術を学んだ。というと、映画「おくりびと」を思い出す人もいるかもしれない(私もそうだった)。だが、あの映画の主人公の仕事は、遺体に化粧をほどこし棺に納める納棺師なので、エンバーマー(エンバーミングを仕事とする人)とはあくまで異なる。
前出の「ソナエ」の巻頭インタビューによれば、壇蜜はエンバーマーという仕事の存在を、『黒鷺死体宅配便』(大塚英志・山崎峰水)を読んで知ったとか。また、死にまつわる仕事を志したのは、あるできごとがきっかけとなっているという。それは、壇蜜と彼女の母、2人の共通の恩師が50代にして亡くなったことだった。
大学卒業後、母とその恩師とともに和菓子屋を開くつもりで、調理師免許も取り、店でも修業していたという壇蜜。だが、その計画は恩師の突然の死により頓挫してしまう。このとき死に対し不安や恐怖を抱いた彼女だが、やがて心の整理をつけるべく「いっそ、死に近い仕事をしたらどうだろう」という思いが芽生える。葬儀学校に通い始めたのはそんな理由であった。
「ソナエ」のインタビューでは、葬儀社での研修での体験もいくつか語られている。同号の表紙では「自分の遺影、準備してます」という見出しがひときわ目を惹くが、これというのも研修中に遺影の大切さを思い知ったからだった。故人のなかには、写真嫌いゆえ免許証の写真で遺影をつくらざるをえなかったという人もいたらしい。
それにしても、「ソナエ」が創刊号で壇蜜を登場させたことには、あらためて「お見事!」と言いたくなる。とかく暗くなりがちなテーマを、いまもっとも旬のセクシータレント、なおかつ、かつて死に近い仕事をしていた彼女を起用することで、読者へのハードルを下げようとは。お約束のように喪服姿の写真も載ってるし。
「ソナエ」だけでなく、壇蜜に関してはいまや多くの企画が続々とリリースされている。そのなかには「これ考えた人、頭いいな!」と思うものが少なくない。私が彼女を知った「ギルガメッシュLIGHT」(BSジャパン)というテレビ番組もそうだった。
BSの番組とはいえ、さすがに往年の「ギルガメッシュないと」のように女の子をスッポンポンで出すわけにはいかないご時世にあって、いまのテレビでできうるかぎりのエロを追求していたこの番組。なかでも「壇蜜湯」というコーナーは傑作だった。
これは、銭湯を貸し切って、一般視聴者の体を壇蜜(着衣のままだが)が手ずから洗ってあげながら、相手の悩み相談に答えるという企画だ。そこで才気煥発、的確にアドバイスしてみせる彼女の姿に、私はすっかり惚れた。そして「俺も壇蜜湯に出てえ!」とひそかに思っていたのだが、そうこうしているうちに昨年末に番組自体が終わってしまった。
ぴあMOOKの『壇蜜の妄想レストラン』も企画勝ちといえる。レストランガイドとあわせ、グラビアにてぴあMOOKとしては限界ギリギリのエロに挑戦したこの本は、いわば食とセックスを融合させた一冊だ。この企画が成立したのも、壇蜜のキャラクターがあってこそだろう。ちなみに本書での私のお気に入りは、中華料理店で、彼女が黒いドレスを着てワイングラスを眺めている写真だ。黒髪に黒い服という組み合わせでも、けっして暗い雰囲気にならず、妖艶さを感じさせてしまうのは彼女の魅力の一つである。
最近の壇蜜仕事でいえば、TBSドラマ「半沢直樹」も外せまい。劇中では愛人という役柄で、セリフは少なめながら存在感を示している。なお「愛人」とは、彼女の中学時代のあだ名でもある。これを命名したという友人の慧眼にも驚かされる。まさに「おまえ、頭いいな!」だ。
さて、私は当初、この記事のタイトルとして「壇蜜に会いたくて…夏」なんていうのを考えていた。できることなら、取材とか仕事がらみではなく、壇蜜と一晩でいいからすごしたい。そう思っている男は、日本中に私一人だけではないだろう。けれども今回、彼女のインタビュー、あるいは『蜜の味』や『エロスのお作法』といった著書を読んでいて、彼女が自分のキャラクターづくりにそうとう意識的であることがわかり、つくづく「壇蜜とは、一種のフィクションなのだなあ」と思った。
それでも、時折フッと隙を見せるようなところがあるからたまらない。たとえば、『エロスのお作法』中、カップルのマンネリ解消のためにAV鑑賞を勧めるくだりでは、最後に《蜜がAVから学んだことは、「眼鏡は最後まではずさなくていい」ということです》とお茶目にも告白してみせる。
きょう深夜放送の「鶴瓶のスジナシ」(CBC・TBS)という番組では、壇蜜が笑福亭鶴瓶を相手にアドリブで芝居に挑戦するという。そのなかで彼女独自の世界をどこまで展開できるのか。素の表情がポロリすることを含めて、楽しみに視聴したい。(近藤正高)
壇蜜という芸名が、仏教用語で供物(くもつ)を供える場所を意味する「壇」と、供物そのものを意味する「蜜」を組み合わせたものだということは、最近ではわりとよく知られるようになった。本人も《みなさまへの、お供え物として奉仕する芸名と言えましょうか》と著書『蜜の味』に書いているし、自らを「蜜」と呼んだりしている。
前出の「ソナエ」の巻頭インタビューによれば、壇蜜はエンバーマーという仕事の存在を、『黒鷺死体宅配便』(大塚英志・山崎峰水)を読んで知ったとか。また、死にまつわる仕事を志したのは、あるできごとがきっかけとなっているという。それは、壇蜜と彼女の母、2人の共通の恩師が50代にして亡くなったことだった。
大学卒業後、母とその恩師とともに和菓子屋を開くつもりで、調理師免許も取り、店でも修業していたという壇蜜。だが、その計画は恩師の突然の死により頓挫してしまう。このとき死に対し不安や恐怖を抱いた彼女だが、やがて心の整理をつけるべく「いっそ、死に近い仕事をしたらどうだろう」という思いが芽生える。葬儀学校に通い始めたのはそんな理由であった。
「ソナエ」のインタビューでは、葬儀社での研修での体験もいくつか語られている。同号の表紙では「自分の遺影、準備してます」という見出しがひときわ目を惹くが、これというのも研修中に遺影の大切さを思い知ったからだった。故人のなかには、写真嫌いゆえ免許証の写真で遺影をつくらざるをえなかったという人もいたらしい。
それにしても、「ソナエ」が創刊号で壇蜜を登場させたことには、あらためて「お見事!」と言いたくなる。とかく暗くなりがちなテーマを、いまもっとも旬のセクシータレント、なおかつ、かつて死に近い仕事をしていた彼女を起用することで、読者へのハードルを下げようとは。お約束のように喪服姿の写真も載ってるし。
「ソナエ」だけでなく、壇蜜に関してはいまや多くの企画が続々とリリースされている。そのなかには「これ考えた人、頭いいな!」と思うものが少なくない。私が彼女を知った「ギルガメッシュLIGHT」(BSジャパン)というテレビ番組もそうだった。
BSの番組とはいえ、さすがに往年の「ギルガメッシュないと」のように女の子をスッポンポンで出すわけにはいかないご時世にあって、いまのテレビでできうるかぎりのエロを追求していたこの番組。なかでも「壇蜜湯」というコーナーは傑作だった。
これは、銭湯を貸し切って、一般視聴者の体を壇蜜(着衣のままだが)が手ずから洗ってあげながら、相手の悩み相談に答えるという企画だ。そこで才気煥発、的確にアドバイスしてみせる彼女の姿に、私はすっかり惚れた。そして「俺も壇蜜湯に出てえ!」とひそかに思っていたのだが、そうこうしているうちに昨年末に番組自体が終わってしまった。
ぴあMOOKの『壇蜜の妄想レストラン』も企画勝ちといえる。レストランガイドとあわせ、グラビアにてぴあMOOKとしては限界ギリギリのエロに挑戦したこの本は、いわば食とセックスを融合させた一冊だ。この企画が成立したのも、壇蜜のキャラクターがあってこそだろう。ちなみに本書での私のお気に入りは、中華料理店で、彼女が黒いドレスを着てワイングラスを眺めている写真だ。黒髪に黒い服という組み合わせでも、けっして暗い雰囲気にならず、妖艶さを感じさせてしまうのは彼女の魅力の一つである。
最近の壇蜜仕事でいえば、TBSドラマ「半沢直樹」も外せまい。劇中では愛人という役柄で、セリフは少なめながら存在感を示している。なお「愛人」とは、彼女の中学時代のあだ名でもある。これを命名したという友人の慧眼にも驚かされる。まさに「おまえ、頭いいな!」だ。
さて、私は当初、この記事のタイトルとして「壇蜜に会いたくて…夏」なんていうのを考えていた。できることなら、取材とか仕事がらみではなく、壇蜜と一晩でいいからすごしたい。そう思っている男は、日本中に私一人だけではないだろう。けれども今回、彼女のインタビュー、あるいは『蜜の味』や『エロスのお作法』といった著書を読んでいて、彼女が自分のキャラクターづくりにそうとう意識的であることがわかり、つくづく「壇蜜とは、一種のフィクションなのだなあ」と思った。
それでも、時折フッと隙を見せるようなところがあるからたまらない。たとえば、『エロスのお作法』中、カップルのマンネリ解消のためにAV鑑賞を勧めるくだりでは、最後に《蜜がAVから学んだことは、「眼鏡は最後まではずさなくていい」ということです》とお茶目にも告白してみせる。
きょう深夜放送の「鶴瓶のスジナシ」(CBC・TBS)という番組では、壇蜜が笑福亭鶴瓶を相手にアドリブで芝居に挑戦するという。そのなかで彼女独自の世界をどこまで展開できるのか。素の表情がポロリすることを含めて、楽しみに視聴したい。(近藤正高)