書評家・杉江松恋が第149回直木賞を完全予想、本命はあの女性作家?
明日7月17日に決定する第149回芥川・直木賞、どの作品が栄冠に輝くかを全部読んだ上で予想してみました! まずは直木賞の方から。見事予想が当たったらうまい棒おごってください。★で表しているのは今回の本命度です(5点が最高。☆は0.5点)。
芥川賞編はこちら
■『巨鯨の海』伊東潤(2回連続3回目)
古式捕鯨発祥の地として知られる紀伊・太地を舞台とし、勇魚(いさな)獲りに命を懸ける鯨組の群像を描く連作短篇集だ。
鯨を獲るためには一糸乱れぬチームプレイが必要であり、鯨組には厳しい戒律が存在した。しかも太地鯨組は新宮藩主から治外法権に近い待遇を受けていた。鯨漁の生み出す富に頼らざるを得ない事情が、新宮藩にはあったからである。太地は一種の独立国に近い。
この特殊な共同体の中で起きる出来事が毎回描かれる。たとえば第4話の「比丘尼殺し」は、殺人事件の真相を探るためによそ者が潜入捜査をする話だし、第5羽の「訣別の時」では血を見ることに生理的な嫌悪感を抱いていた青年が、鯨獲りになるか否かの選択を迫られる。さらに最後の「弥惣平の鐘」は、鯨獲り船団が悲惨な漂流事故に巻き込まれる話だ。ミステリー風味のものあり漂流譚あり、の豪華メニューだ。
しかも毎回成長譚の味つけが効いている。太地は閉ざされた共同体だから、中で生きていくためにはその掟を受け入れなければならない。その厳しさが各話の主人公たちを縛り、苦悩させるのである。
前二作は色物扱いされた観がある。しかし本書は、鯨組という題材に正面切ってぶつかった力作だ。好みでいえば、鯨が「機械仕掛けの神」(物語終盤に降臨してすべてを解決してしまう全能の神)に見えてしまうエピソードがあり、それは若干の減点対象になるが、これだけ漁の場面に迫力があれば問題はないだろう。本命度は★★★★。
■『ジヴェルニーの食卓』原田マハ(2回目)
それまでは恋愛小説の書き手というイメージの強かった原田は、『楽園のカンヴァス』(第147回)で大学時代からの素養があり、一時はその業界に身を置いていたという美術の世界を始めて題材として採り上げた。本書はその系譜に連なる作品であり、マティス、ドガ、セザンヌ、モネをそれぞれ物語の中心に配した連作短篇集である。
マティスを除く3名は、1878年に開催された第1回印象派展の参加者であり(マティスはその印象派に影響を受けた野獣派の画家だ)、それまでのフランス美術界の権威に叛旗を翻したメンバーである。自身の感性と理念だけを信じ、新しい時代を開こうとした芸術家たちが活き活きと物語の中を動き回る。
パトロンを獲得しなければ生きていけない踊り子に自己を投影し、彼女たちの一人に幸福な未来を与えようとして他人に理解されない努力を続けたドガ(「エトワール」)、自身にだけ見える光を追い求め、やがて家族と終の棲家の二つをも手に入れることになったモネ(表題作)など、具体的に追い求める対象は異なるが、作品を制作するという行為が生きる手段と目的のすべてであったというありようは同じだ。
原田の美術小説の美点は、題材と作品の雰囲気の一致にある。たとえば、二度とめぐってこない瞬間を写し取ることに全精力を傾けたマティスの物語「うつくしい墓」は美しく調和した構造を持っており、それ自体が「瞬間」を切り取った画家の作品のようである。ミステリー的な趣向が雑音と感じられる個所もあった『楽園のカンヴァス』に比べ、本作には添加物がない。その純粋さは前作の弱点を克服したものと評価されるだろう。その分を加味すると、本命度は★★★★☆で今回1位。
■『望郷』湊かなえ(初)
本書の舞台は架空の島・白綱である。かつては「瀬戸内海のシチリア島」の名で多くの観光客を集めたが、それも下火となり近隣のO市との合併が決まった、というところから第一話の「みかんの花」が始まる。
物語の語り手は毎回異なるが、島で生まれ育ったという出自に屈託を抱いているという共通点がある。収録作のうち「海の星」は第60回日本推理作家協会賞短篇部門の受賞作だ。父が突如行方不明となり、主人公は母親と二人で貧窮生活を強いられた。その頃に、ややお節介気味ながらも救いの手を差し延べてくれた人物の記憶を巡って、どんでん返しが仕掛けられる。見えていたものがすべて反転するミステリー的な興趣では、本短篇集では確かにこの作品がベストだろう。
本書には別の読みどころもある。閉ざされた共同体に囚われ、そこから出ることができない人生の苦悩を描いた連作という側面である。たとえば「夢の国」の主人公は、前近代的な「イエ」の因習によって支配され、東京ドリームランド(もちろんモデルはアレ)に行くことさえできない惨めな境涯にある。この作品では、イエに君臨してヨメを奴隷のように扱おうとする姑の存在感が読者に否応なく嫌悪感を催させるのであるが、その負の共感こそが湊の真骨頂である(次の「雲の糸」の、島外で出世した主人公を利用しようとする男もなかなか嫌らしくていい)。
収録作の中にはミステリーの謎解きが終盤で慌しく、粗っぽさを感じさせるものがある。それは減点対象なのだが、故郷というものに対して感じる愛憎半ばした感情を描いた連作としては本当におもしろい。今回は初ノミネートということで残念ながら受賞は難しいと予想。本命度は★★。
■『ホテルローヤル』桜木紫乃(2回目)
第146 回の候補作になった『ラブレス』は女の一代記という観のある作品だったが、今回は連作短篇集だ。北海道釧路市に建てられたラブホテルが共通した舞台となる。
第一話「シャッターチャンス」の時点ではローヤルはすでに廃業しており、そこにカップルが侵入してくる。男がヌード写真を撮りたいというので、女がそれに渋々ながらつきあったのだ。
この男がダメなオーラを執拗に放っている。ヌード写真といっても投稿雑誌に載せるようなものだし、撮影は一種の代償行為なのである。というのも彼は怪我でスポーツ選手の道を諦めたという過去があり、くすぶった果てにようやく見つけたのが、恋人の裸を撮影して投稿雑誌を自分の作品で埋め尽くす、という野望だったわけなのだ。なんだそのちっちゃい夢は。
同じ舞台であっても、それぞれの場面で意味合いは異なる。第二話「本日開店」が収録作の中ではいちばん奇妙な話で、貧乏寺の財政を助けるために檀家相手に売春を続ける住職の妻が主人公だ。ここではホテルローヤルは惨めな記憶の象徴として言及される。しかし第四話の「バブルバス」では住宅事情のためセックスも満足にできない夫婦が、束の間の自由を味わうのがこのホテルなのである。性交という極私的な行為の場だから、使う人が異なれば見え方も変わってくる。セックスは哀しくて可笑しいもの、というペーソスが感じられるのが本書の最大の美点だろう。
桜木はミステリー的なプロットにこだわった長篇よりも、本書のような短篇の方に良作が多い。作り物めいた感じがなくなるからだ。本書も全体の構成にひと工夫あるのだが、それはむしろ蛇足だったように私は思う。本命度は★★★。
■『ヨハネスブルグの天使たち』宮内悠介(2回目)
5篇から成る連作短篇集だ。時代設定は近未来で、DX9という日本製のボーカロイド・ロボットが共通して登場する。DX9は歌をうたわせることを目的としたホビーロボットだが、連作の後半では驚くべき機能が実装されることになる。人間のあらん限りの記憶や行動パターンをデータとしてインプットすることにより、あたかもその人に成り代わるかのような自律が実現してしまうのである。
巻頭の表題作では南アフリカのヨハネスブルグが舞台だ。そこにある高層マンションでは、一日に一回大量のDX9の「雨」が降る。事の起こりは、ロボットの耐久性実験のために日本企業がDX9たちに自発的な飛び降りを繰り返すプログラミングを施したことだった。内戦のためにその企業は撤退、後には延々と自殺ジャンプを繰り返すロボットの群れだけが残されたのである。マンションの一室で暮らす戦災孤児の少年が、DX9の一体を救おうと決意したことから物語は始まる。
舞台は各話ごとに異なり、DX9の役割も毎回変わる。たとえばアフガニスタンの未来を描く「ジャララバードの兵士たち」においては、彼女たちは代用兵士として扱われるのだ。各エピソードにおいては人間の帰属意識や、民族や共同体といった集団を経由して得られるアイデンティテイの問題が扱われる。DX9の存在は、そうした物語に奥行きを与えるものである。
共通テーマはあったものの各話のつながりは緩かった前作『盤上の夜』と比べ、作品としてのまとまりは遙かに強い。読者に近未来の風景を幻視させるほどのリアリティも確保できていると私は考えるのだが、果たして選考委員の意見はどうか。本命度は★★。
■『夜の底は柔らかな幻』恩田陸(5回目)
候補作中唯一の純粋な長篇である。前回候補作になった『夢違』では「うまく着地しなかった」という林真理子選評が物語るように、「開かれた結末」が選考委員には受け入れられなかった。しかし今回は心配ご無用。なにしろ本書は、過去5回の候補作の中では最もオーソドックスな大衆小説の骨格を持つ作品なのだ。
舞台となる途鎖国は、高知県を彷彿させる位置関係にある架空の国家である。密入国を厳しく取り締まっているのだが、多くの犯罪者がその中に逃げ込んでしまっている。この国に、とある目的をもってヒロイン・有元実邦がやって来るのである。
闇月という特殊な時期に閉ざされた国を訪れる主人公という発端は恩田の『ネクロポリス』を思い出させるし、幻覚のような出来事が次々に起きるあたりは『夢違』に通じる。しかし本書には過去の恩田作品にはない特徴があるのである。本書は「異能力者によるバトル」を描いた伝奇ロマン小説なのだ。おおっ、夢枕獏か、半村良か。
「イロ」と呼ばれる特殊能力を持つ者を、この世界では「在色者」と呼ぶ。第二部でその能力者たちが勢ぞろいする。人を拷問死させる隻眼の冷血漢、なぜか山中でも高価なスーツと靴で決めている絞殺フェチ、誰もその顔を見たことがないヤマのボス、などなど。この設定だけで胸が熱くなるが、彼らが無法状態のヤマで繰り広げる血腥いバトルは舞台の特殊さも相俟って実に楽しい。「ちゃんと着地」するしね!
完璧な娯楽作で大きな弱点は見当たらない。強いて挙げればヒロインの影が途中で薄くなってしまうことなのだが、三人称多視点は恩田小説の特徴でもあるからなー。あ、あと読むのに時間がかかる上下巻なので、本命度は★★★。
以上、予想してみました。どうなりますことか。
(杉江松恋)
30秒でわかる短縮版はこちら
※7月17日の受賞作発表後、下北沢B&Bにてイベント開催を緊急決定!
詳しくは下記を。
杉江松恋×豊崎由美×大森望
[予想が当たればドリンク無料!]
第149回芥川賞・直木賞の選考結果を受けて喧々囂々の会
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■『巨鯨の海』伊東潤(2回連続3回目)
古式捕鯨発祥の地として知られる紀伊・太地を舞台とし、勇魚(いさな)獲りに命を懸ける鯨組の群像を描く連作短篇集だ。
鯨を獲るためには一糸乱れぬチームプレイが必要であり、鯨組には厳しい戒律が存在した。しかも太地鯨組は新宮藩主から治外法権に近い待遇を受けていた。鯨漁の生み出す富に頼らざるを得ない事情が、新宮藩にはあったからである。太地は一種の独立国に近い。
この特殊な共同体の中で起きる出来事が毎回描かれる。たとえば第4話の「比丘尼殺し」は、殺人事件の真相を探るためによそ者が潜入捜査をする話だし、第5羽の「訣別の時」では血を見ることに生理的な嫌悪感を抱いていた青年が、鯨獲りになるか否かの選択を迫られる。さらに最後の「弥惣平の鐘」は、鯨獲り船団が悲惨な漂流事故に巻き込まれる話だ。ミステリー風味のものあり漂流譚あり、の豪華メニューだ。
しかも毎回成長譚の味つけが効いている。太地は閉ざされた共同体だから、中で生きていくためにはその掟を受け入れなければならない。その厳しさが各話の主人公たちを縛り、苦悩させるのである。
前二作は色物扱いされた観がある。しかし本書は、鯨組という題材に正面切ってぶつかった力作だ。好みでいえば、鯨が「機械仕掛けの神」(物語終盤に降臨してすべてを解決してしまう全能の神)に見えてしまうエピソードがあり、それは若干の減点対象になるが、これだけ漁の場面に迫力があれば問題はないだろう。本命度は★★★★。
それまでは恋愛小説の書き手というイメージの強かった原田は、『楽園のカンヴァス』(第147回)で大学時代からの素養があり、一時はその業界に身を置いていたという美術の世界を始めて題材として採り上げた。本書はその系譜に連なる作品であり、マティス、ドガ、セザンヌ、モネをそれぞれ物語の中心に配した連作短篇集である。
マティスを除く3名は、1878年に開催された第1回印象派展の参加者であり(マティスはその印象派に影響を受けた野獣派の画家だ)、それまでのフランス美術界の権威に叛旗を翻したメンバーである。自身の感性と理念だけを信じ、新しい時代を開こうとした芸術家たちが活き活きと物語の中を動き回る。
パトロンを獲得しなければ生きていけない踊り子に自己を投影し、彼女たちの一人に幸福な未来を与えようとして他人に理解されない努力を続けたドガ(「エトワール」)、自身にだけ見える光を追い求め、やがて家族と終の棲家の二つをも手に入れることになったモネ(表題作)など、具体的に追い求める対象は異なるが、作品を制作するという行為が生きる手段と目的のすべてであったというありようは同じだ。
原田の美術小説の美点は、題材と作品の雰囲気の一致にある。たとえば、二度とめぐってこない瞬間を写し取ることに全精力を傾けたマティスの物語「うつくしい墓」は美しく調和した構造を持っており、それ自体が「瞬間」を切り取った画家の作品のようである。ミステリー的な趣向が雑音と感じられる個所もあった『楽園のカンヴァス』に比べ、本作には添加物がない。その純粋さは前作の弱点を克服したものと評価されるだろう。その分を加味すると、本命度は★★★★☆で今回1位。
■『望郷』湊かなえ(初)
本書の舞台は架空の島・白綱である。かつては「瀬戸内海のシチリア島」の名で多くの観光客を集めたが、それも下火となり近隣のO市との合併が決まった、というところから第一話の「みかんの花」が始まる。
物語の語り手は毎回異なるが、島で生まれ育ったという出自に屈託を抱いているという共通点がある。収録作のうち「海の星」は第60回日本推理作家協会賞短篇部門の受賞作だ。父が突如行方不明となり、主人公は母親と二人で貧窮生活を強いられた。その頃に、ややお節介気味ながらも救いの手を差し延べてくれた人物の記憶を巡って、どんでん返しが仕掛けられる。見えていたものがすべて反転するミステリー的な興趣では、本短篇集では確かにこの作品がベストだろう。
本書には別の読みどころもある。閉ざされた共同体に囚われ、そこから出ることができない人生の苦悩を描いた連作という側面である。たとえば「夢の国」の主人公は、前近代的な「イエ」の因習によって支配され、東京ドリームランド(もちろんモデルはアレ)に行くことさえできない惨めな境涯にある。この作品では、イエに君臨してヨメを奴隷のように扱おうとする姑の存在感が読者に否応なく嫌悪感を催させるのであるが、その負の共感こそが湊の真骨頂である(次の「雲の糸」の、島外で出世した主人公を利用しようとする男もなかなか嫌らしくていい)。
収録作の中にはミステリーの謎解きが終盤で慌しく、粗っぽさを感じさせるものがある。それは減点対象なのだが、故郷というものに対して感じる愛憎半ばした感情を描いた連作としては本当におもしろい。今回は初ノミネートということで残念ながら受賞は難しいと予想。本命度は★★。
■『ホテルローヤル』桜木紫乃(2回目)
第146 回の候補作になった『ラブレス』は女の一代記という観のある作品だったが、今回は連作短篇集だ。北海道釧路市に建てられたラブホテルが共通した舞台となる。
第一話「シャッターチャンス」の時点ではローヤルはすでに廃業しており、そこにカップルが侵入してくる。男がヌード写真を撮りたいというので、女がそれに渋々ながらつきあったのだ。
この男がダメなオーラを執拗に放っている。ヌード写真といっても投稿雑誌に載せるようなものだし、撮影は一種の代償行為なのである。というのも彼は怪我でスポーツ選手の道を諦めたという過去があり、くすぶった果てにようやく見つけたのが、恋人の裸を撮影して投稿雑誌を自分の作品で埋め尽くす、という野望だったわけなのだ。なんだそのちっちゃい夢は。
同じ舞台であっても、それぞれの場面で意味合いは異なる。第二話「本日開店」が収録作の中ではいちばん奇妙な話で、貧乏寺の財政を助けるために檀家相手に売春を続ける住職の妻が主人公だ。ここではホテルローヤルは惨めな記憶の象徴として言及される。しかし第四話の「バブルバス」では住宅事情のためセックスも満足にできない夫婦が、束の間の自由を味わうのがこのホテルなのである。性交という極私的な行為の場だから、使う人が異なれば見え方も変わってくる。セックスは哀しくて可笑しいもの、というペーソスが感じられるのが本書の最大の美点だろう。
桜木はミステリー的なプロットにこだわった長篇よりも、本書のような短篇の方に良作が多い。作り物めいた感じがなくなるからだ。本書も全体の構成にひと工夫あるのだが、それはむしろ蛇足だったように私は思う。本命度は★★★。
■『ヨハネスブルグの天使たち』宮内悠介(2回目)
5篇から成る連作短篇集だ。時代設定は近未来で、DX9という日本製のボーカロイド・ロボットが共通して登場する。DX9は歌をうたわせることを目的としたホビーロボットだが、連作の後半では驚くべき機能が実装されることになる。人間のあらん限りの記憶や行動パターンをデータとしてインプットすることにより、あたかもその人に成り代わるかのような自律が実現してしまうのである。
巻頭の表題作では南アフリカのヨハネスブルグが舞台だ。そこにある高層マンションでは、一日に一回大量のDX9の「雨」が降る。事の起こりは、ロボットの耐久性実験のために日本企業がDX9たちに自発的な飛び降りを繰り返すプログラミングを施したことだった。内戦のためにその企業は撤退、後には延々と自殺ジャンプを繰り返すロボットの群れだけが残されたのである。マンションの一室で暮らす戦災孤児の少年が、DX9の一体を救おうと決意したことから物語は始まる。
舞台は各話ごとに異なり、DX9の役割も毎回変わる。たとえばアフガニスタンの未来を描く「ジャララバードの兵士たち」においては、彼女たちは代用兵士として扱われるのだ。各エピソードにおいては人間の帰属意識や、民族や共同体といった集団を経由して得られるアイデンティテイの問題が扱われる。DX9の存在は、そうした物語に奥行きを与えるものである。
共通テーマはあったものの各話のつながりは緩かった前作『盤上の夜』と比べ、作品としてのまとまりは遙かに強い。読者に近未来の風景を幻視させるほどのリアリティも確保できていると私は考えるのだが、果たして選考委員の意見はどうか。本命度は★★。
■『夜の底は柔らかな幻』恩田陸(5回目)
候補作中唯一の純粋な長篇である。前回候補作になった『夢違』では「うまく着地しなかった」という林真理子選評が物語るように、「開かれた結末」が選考委員には受け入れられなかった。しかし今回は心配ご無用。なにしろ本書は、過去5回の候補作の中では最もオーソドックスな大衆小説の骨格を持つ作品なのだ。
舞台となる途鎖国は、高知県を彷彿させる位置関係にある架空の国家である。密入国を厳しく取り締まっているのだが、多くの犯罪者がその中に逃げ込んでしまっている。この国に、とある目的をもってヒロイン・有元実邦がやって来るのである。
闇月という特殊な時期に閉ざされた国を訪れる主人公という発端は恩田の『ネクロポリス』を思い出させるし、幻覚のような出来事が次々に起きるあたりは『夢違』に通じる。しかし本書には過去の恩田作品にはない特徴があるのである。本書は「異能力者によるバトル」を描いた伝奇ロマン小説なのだ。おおっ、夢枕獏か、半村良か。
「イロ」と呼ばれる特殊能力を持つ者を、この世界では「在色者」と呼ぶ。第二部でその能力者たちが勢ぞろいする。人を拷問死させる隻眼の冷血漢、なぜか山中でも高価なスーツと靴で決めている絞殺フェチ、誰もその顔を見たことがないヤマのボス、などなど。この設定だけで胸が熱くなるが、彼らが無法状態のヤマで繰り広げる血腥いバトルは舞台の特殊さも相俟って実に楽しい。「ちゃんと着地」するしね!
完璧な娯楽作で大きな弱点は見当たらない。強いて挙げればヒロインの影が途中で薄くなってしまうことなのだが、三人称多視点は恩田小説の特徴でもあるからなー。あ、あと読むのに時間がかかる上下巻なので、本命度は★★★。
以上、予想してみました。どうなりますことか。
(杉江松恋)
30秒でわかる短縮版はこちら
※7月17日の受賞作発表後、下北沢B&Bにてイベント開催を緊急決定!
詳しくは下記を。
杉江松恋×豊崎由美×大森望
[予想が当たればドリンク無料!]
第149回芥川賞・直木賞の選考結果を受けて喧々囂々の会