犬が好きなだけではやっていけない。『ツヅキくんと犬部のこと』は、野良犬を拾ってきては育て、養っていく、青森の大学の「犬部」を描いた物語。愛情だけではどうにもならない場合、一体どうしたらいいんだろう?

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犬なんて、大嫌いだ。
ちょっとかわいがったらすぐなつくし。そそうをして叱ったらすぐしゅんってするし。散歩ひも取り出したら大喜びで走り回るし。エサを出すとびちゃびちゃさせながら美味しそうに食べるし。なでると嬉しそうにお腹出すし。
でも、人間より寿命短くて。すぐ死んじゃうし。
犬なんて。だいきらいだ。

衿沢世衣子の『ツヅキくんと犬部のこと』は、大学で行き場を失った動物を育てるサークル「犬部」を描いたマンガ。上下巻で発売されました。
原作は片野ゆかの『犬部!』ですが、大幅にアレンジされています。

多くの野良犬・捨て犬を集め、世話をする大学のサークル。
青森の田舎の大学の獣医学部です。
まあ、かなりムチャですよ。どう考えてもムチャでしょう?
野生化した犬はまずしつけるのが大変。野良犬の数は尋常じゃなく多い。引越しなどの都合で引き取ってくれという人も後を絶たない。対策をしないとじゃんじゃか子供が増える。数が多いと散歩も重労働。一日も休みがない。
そしてなにより、一匹ずつに気を配り、育て続けるお金を準備し、管理する技術が大事です必要。
どう考えても、相当にすごいことなんですよ。

犬部の子達は、この部分に対し、本当に愛を持って向き合います。
犬が好きというのもありますが、実際問題自分達が引き取らなければ、その犬はのたれ死ぬ。または保健所行きなのです。
義務感と、命を救いたいという思いと、雑種の犬達を愛してやまない感覚は、とても強いです。
ただし、犬かわいいよね、という話ではないんですよこのマンガは。
人間はどこまで責任を負えるのか。
この軸が作品を貫いているので、ただの動物感動話じゃないのが、いいんです。
動物感動モノは苦手(だって動物出てくるだけで泣くからずるいじゃん!)なのですが、人間の責任に焦点が定まっていたので、一気に読めました。

上巻は、犬を愛しながら、学業もこなし、管理もきっちりできるという、とんでもない部長ミヤイチさんを中心に物語は描かれます。
散歩していたら出会ってしまう野良犬を保護しきってしまう。引き取り手をきちんと探す。不妊手術についてもきっちり行う。
アパートで飼っていた犬の数は実に20匹! 
それでいてきちんと卒業して獣医の道を歩む……常人離れしたカリスマなんです。

そんなミヤイチさんに惹かれ、犬に惹かれ、主人公のツヅキくんは犬部に入部します。
しかしミヤイチさんはずっといるわけじゃない。
カリスマは卒業し、次の世代の学生達があとを継がなければいけません。犬達は放置できない。

カリスマの後継ぐのって、めちゃくちゃ大変なんですよ。めちゃくちゃ!
ミヤイチさんみたいに飼うことは出来ず、各々が分担して飼うことになります。
ツヅキくんも副部長として犬達を飼い、愛し、育てるのですが、ミヤイチさんみたいにはうまくいかないんです。

動物が出てくる作品だと、死は避けられない問題です。
同時に、糞尿問題や不妊治療、暴れる動物の教育など、綺麗な話ばかりではありません。
ミヤイチさんはそれを、こなしていた。
だが、ぼくたちはそれをつげるのだろうか?
良かれと思ってやっているボランティア的活動だけど、本当にこの犬達はぼくたちに守られて幸せなんだろうか。
下巻では、ミヤイチさんというカリスマ無き後の、犬部の崩壊が痛烈に描かれます。
やりなおそう、っていってやりなおせるほど簡単じゃない。だって、いきもの相手だもの。

自分は一生懸命なつもりだった。
でも本当によかったんだろうか。できていたんだろうか?
自分じゃなくて他の誰かのほうがマシだったんじゃないだろうか。

この物語は、犬物語であると同時に、人間が選ぶ選択の責任と、不安の物語です。
実際、部をやめざるをえない人間も出てきます。
みんながみんなミヤイチさんになれるわけがないんです。

確実にある「自分でいいんだろうか?」という問い。永遠に答えは出ません。
でも、先に書いておきます。
この作品は辛い部分の多い作品ですが、一つの光に向かって進もうとしています。
「自分ができること」って、一体なんなんだろう。
でも「自分」だからできることだって、ある、はず。

ぼくも、飼っている犬に、たまには奮発したエサをプレゼントしてあげようかな。
毎回だったらやみつきになっちゃうので、たまにはね。
たまにくらいいいよね。


衿沢世衣子(漫画)・片野ゆか(原作)
『ツヅキくんと犬部のこと(上)』
『ツヅキくんと犬部のこと(下)』

(たまごまご)