ネット選挙解禁は、若者の政治離れの抑止力となるのか
いよいよ7月4日参議院選挙公示日から始まるネット選挙。
ネット選挙解禁で何が変わるのか。『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』には、解禁に至るまでの経緯、巷にはびこる誤解、社会に与える影響などがまとめられている。
そもそも、日本の選挙は公職選挙法という法律によって「できること」と「できないこと」が規定されている。2013年4月に「公職選挙法の一部を改正する法律案」が可決され、この「できること」にインターネットの利用が部分的に加えられた。
これをマスコミなどが「ネット選挙」と呼んでいるというわけだ。具体的には、ブログやSNSでの情報発信、youtubeなどの動画配信、条件付きで電子メール、バナー広告などを使った選挙運動である。ネット上で投票ができるようになったわけではない。
メリットとしてよく言われるのは「選挙運動のコスト削減」だ。
2010年の参議院比例代表選挙を見てみると、選挙運動における総支出の候補者平均は1000万円強。その中でもっとも費やされたのがポスターなどの印刷費であり全体の41.5%。選挙カーの看板制作などに使われる広告費が14.5%、ウグイス嬢などにかかる人件費が13.7%と続く。
無料のインターネットツールを選挙運動に活用すれば、これらのコストを削減することができるのでは、と思うのも無理はない。パソコン一台で済むのならこれほど容易いことはないではないか。
だが著者は、全てのネットメディアを候補者が自前で運営することは難しく、業者に外注することになると指摘する。
さらに、期間が定められている選挙運動において、ネット選挙だけに取り組むわけにはいかない。ネットをあまり使用しないと思われる老年層への訴求力を考えれば、選挙カーによる喧伝など、従来の手法を止めることはできないのである。
結果、ネットを利用した分だけ広告費が上乗せされるという予想がたてられるのだ。
他のメリットとして「若者世代の投票促進」という論をしばしば耳にする。たしかに投票率の底上げには、若者の政治的関心の向上が必須だろう。
実際、戦後最低の投票率(59.32%)を記録した昨年の衆院選でも、年代別投票率の一番高い60代は74.93%を記録している。続く50代、70代も60%以上と全体平均よりも高い。一方、20代の投票率は37.89%と大きな開きがある。
やはりネット選挙で若者世代へのアピールを! と感じてしまうのは私だけではないはず。
しかし韓国においては、ネット選挙が解禁された2002年、さらにモバイル投票が部分的に認められた2007年の大統領選の投票率は、ともに90年代と比べて低下した。むしろ、大統領選の最低投票率を続けて更新したのである。
残念ながら、ネット選挙解禁と投票率の上昇は因果的な関係にあると言うのは難しい。
では、ネット選挙には何のメリットもないのだろうか。
著者は、あくまでネット選挙の「全面解禁」に賛成している。
「政治家が何をやっているのか見えてこない」「自分たちの声が届いているのか分からない」。私と同世代の友人たちからも、そんな話をよく聞く。政治は不透明で、国民とは距離がある。日本社会を一挙に刷新することは難しい。解決するためには継続した取り組みが必要だ。著者によれば、こうした考え方はインターネット元来の設計思想と相性がよいという。すなわち、まずはプロトタイプを公開し、不都合が生じればその都度対処していくという長期的に改良を続ける姿勢(これを本書では「漸進的改良主義」と呼ぶ)が、今回のネット選挙にDNAとして刻み込まれているのだ。
日本の公職選挙法は一律に制限をもうけることで候補者間の公平をうたっている。著者の言葉を使えば「均質な公平性」。ここから「漸進的改良主義」へという「価値観の転換」を、ネット選挙の真のテーマとして著者は読む。
私なりの受け取り方をすれば「公職選挙法なんてザル法、さっさと潰してしまえーっ!」ということである。
最後に、今回の参院選の個人的な見所を言っておきたい。
依然として「大衆」に効果的なのは、テレビなどのマスメディアである。ネット上で「神」とあがめられるよりも「TVタックル」に出演した方がよっぽど票に結びつく。少なくともベテラン政治家はそう考えていることだろう。
つまるところ、ネット選挙が票という実益に繋がるかは終わってみないとわからない。だからこそ、逆説的に言えることがある。候補者のネット選挙運動における努力を冷静に見定めることだ。
それが、若者をどれだけ「民意」として意識しているかどうかの、一つの指標になる。
(HK 吉岡命・遠藤譲)
ネット選挙解禁で何が変わるのか。『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』には、解禁に至るまでの経緯、巷にはびこる誤解、社会に与える影響などがまとめられている。
そもそも、日本の選挙は公職選挙法という法律によって「できること」と「できないこと」が規定されている。2013年4月に「公職選挙法の一部を改正する法律案」が可決され、この「できること」にインターネットの利用が部分的に加えられた。
これをマスコミなどが「ネット選挙」と呼んでいるというわけだ。具体的には、ブログやSNSでの情報発信、youtubeなどの動画配信、条件付きで電子メール、バナー広告などを使った選挙運動である。ネット上で投票ができるようになったわけではない。
2010年の参議院比例代表選挙を見てみると、選挙運動における総支出の候補者平均は1000万円強。その中でもっとも費やされたのがポスターなどの印刷費であり全体の41.5%。選挙カーの看板制作などに使われる広告費が14.5%、ウグイス嬢などにかかる人件費が13.7%と続く。
無料のインターネットツールを選挙運動に活用すれば、これらのコストを削減することができるのでは、と思うのも無理はない。パソコン一台で済むのならこれほど容易いことはないではないか。
だが著者は、全てのネットメディアを候補者が自前で運営することは難しく、業者に外注することになると指摘する。
さらに、期間が定められている選挙運動において、ネット選挙だけに取り組むわけにはいかない。ネットをあまり使用しないと思われる老年層への訴求力を考えれば、選挙カーによる喧伝など、従来の手法を止めることはできないのである。
結果、ネットを利用した分だけ広告費が上乗せされるという予想がたてられるのだ。
他のメリットとして「若者世代の投票促進」という論をしばしば耳にする。たしかに投票率の底上げには、若者の政治的関心の向上が必須だろう。
実際、戦後最低の投票率(59.32%)を記録した昨年の衆院選でも、年代別投票率の一番高い60代は74.93%を記録している。続く50代、70代も60%以上と全体平均よりも高い。一方、20代の投票率は37.89%と大きな開きがある。
やはりネット選挙で若者世代へのアピールを! と感じてしまうのは私だけではないはず。
しかし韓国においては、ネット選挙が解禁された2002年、さらにモバイル投票が部分的に認められた2007年の大統領選の投票率は、ともに90年代と比べて低下した。むしろ、大統領選の最低投票率を続けて更新したのである。
残念ながら、ネット選挙解禁と投票率の上昇は因果的な関係にあると言うのは難しい。
では、ネット選挙には何のメリットもないのだろうか。
著者は、あくまでネット選挙の「全面解禁」に賛成している。
「政治家が何をやっているのか見えてこない」「自分たちの声が届いているのか分からない」。私と同世代の友人たちからも、そんな話をよく聞く。政治は不透明で、国民とは距離がある。日本社会を一挙に刷新することは難しい。解決するためには継続した取り組みが必要だ。著者によれば、こうした考え方はインターネット元来の設計思想と相性がよいという。すなわち、まずはプロトタイプを公開し、不都合が生じればその都度対処していくという長期的に改良を続ける姿勢(これを本書では「漸進的改良主義」と呼ぶ)が、今回のネット選挙にDNAとして刻み込まれているのだ。
日本の公職選挙法は一律に制限をもうけることで候補者間の公平をうたっている。著者の言葉を使えば「均質な公平性」。ここから「漸進的改良主義」へという「価値観の転換」を、ネット選挙の真のテーマとして著者は読む。
私なりの受け取り方をすれば「公職選挙法なんてザル法、さっさと潰してしまえーっ!」ということである。
最後に、今回の参院選の個人的な見所を言っておきたい。
依然として「大衆」に効果的なのは、テレビなどのマスメディアである。ネット上で「神」とあがめられるよりも「TVタックル」に出演した方がよっぽど票に結びつく。少なくともベテラン政治家はそう考えていることだろう。
つまるところ、ネット選挙が票という実益に繋がるかは終わってみないとわからない。だからこそ、逆説的に言えることがある。候補者のネット選挙運動における努力を冷静に見定めることだ。
それが、若者をどれだけ「民意」として意識しているかどうかの、一つの指標になる。
(HK 吉岡命・遠藤譲)