神山健治監督がついに「009 RE:CYBORG」の
内容について本格的に語った「Newtype」9月号

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10月29日から公開されるアニメ映画「009 RE:CYBORG」(神山健治監督)は、石ノ森章太郎の『サイボーグ009』が原作だ。既に映画館やネットで特報などが流れているが、これまでどのようなストーリーになるかは明らかになっていなかったが、アニメ雑誌「Newtype」9月号でついにその片鱗が明らかになった。同誌で神山監督はインタビューに答えて「 『009 RE:CYBORG』の主題について原作『天使編』『神々との闘い編』を僕なりに解釈し、現代における正義とは何かを考える作品」と語っているのだ。
『天使編』『神々との闘い編』。それは『009』の原作において伝説的ともいえる未完のエピソード。そこに触れるとなるとこれは一つの事件、といえる。だが、これがいかに事件かは、当然ながら原作を読んでいないとわからない。というわけで「なぜ『『天使編』『神々との闘い編』はすごいのか?」が分かる、『009』入門の始まり〜!

まず基本をおさらいしておこう。
『サイボーグ009』の連載開始は1964年(48年前!)。軍産複合体「黒い幽霊団(ブラックゴースト)」に実験台として改造されサイボーグとなった世界各国出身の9人が、メインキャラクターで、主人公の009は出身の知れない外国人の父と日本人の母の間に生まれたハーフ。本名を島村ジョーという。9人は、改造により超能力者の001から加速装置を持つ009までそれぞれ特殊能力を持たされている。
「黒い幽霊団」を脱走した彼らは、やがてその野望を砕き、平和のために戦い続けるという内容だ。メンバーが国際色豊かなのは、直前に石ノ森が世界旅行をしていたため。9人なのは野球チームから想を得たからだ。人ならざるものの哀しみと背負ったヒーローというモチーフは、その後の『仮面ライダー』『人造人間キカイダー』といった石ノ森ヒーローとも共通する。
歴史の長い作品だけにコミックスも何種類も出ているが、現在最も手に入れやすいのはサンデーコミックス版(秋田書店)と文庫版(秋田書店)の2種類。文庫版のほうは、発表されたほぼ全てのエピソードを収録しているものの、巻数とエピソードの順番が一致しないという変則的な編集なので、ここではサンデーコミックス版に従って解説することになる。
まずコミックス1巻から4巻までが、一連の物語となっている。009たちが『黒い幽霊団』を脱走し追っ手に追われた後、ベトナム戦争の影で暗躍する『黒い幽霊団』の野望を砕く。そして、ギリシア神話の神々を模したミュート・スサイボーグの挑戦を受け、激しい戦いの末、009たちは生死不明となって終わる。以上がそれぞれ現在、『誕生編』『暗殺者編』『放浪編』『ミュートス・サイボーグ編』と呼ばれている。
続く5巻と6巻は「地下帝国“ヨミ”編」。009たちは世界各地でそれぞれ平和な暮らしを営んでいるが、各地に超音波を発する怪獣が現れたことをきっかけに再集結する。そして地下帝国“ヨミ”へと赴き、ついに「黒い幽霊団」の本体と対峙する。本エピソードの詩情あふれるラストシーンは、多くの人の心に焼き付いている名シーンだ。
実は『009』の原作で連続性をもって読めるのはこの6巻まで。この後は、それぞれ独立した事件を扱った短編〜長編で、基本設定さえ知っていればどの順番で読んでもさほど問題はない。いずれも特殊な事件が発生すると、009たちがその調査や操作に乗り出し(時に巻き込まれることも)、事件を解決するというパターンで、ストーリーの展開上、9人が世界各地から全員集合することも減ってくる。最初のTVアニメ('68)や2度目のTVアニメ('79)の時は、このシチュエーションを基本として制作されている。

そして10巻に収録されているのが中編『天使編』だ。
『天使編』のあらすじはこうだ。
日本の雪山で“天使”と遭遇した009と007。“天使”たちは、人類を創造した創造主であり、出来の悪い人類を見て、人類を造り替えようと再び再臨したのだった。人類を守るために戦うべきなのか、戦いを止めることのできない人類に守る価値はあるのか。009たちは議論し苦悩する。そして“天使”への抵抗を決意した時、001がメンバーに新しい能力を与えようと告げる……。
ところが連載はここで中断。中断にあたってのコメントで石ノ森は『天使編』について「いままでの総決算で始めたすさまじく長い最後の戦い」と記しており、ファンにとって『天使編』は未完の完結編として記憶されることになった。
その後、石ノ森は構想も新たに『神々のとの闘い編』を執筆する。これは世界各地を回って神の痕跡を探すジョーの姿と、姿の見えない神からのさまざまな攻撃の様子を、断章を積み重ねて描いたシリーズだ。掲載誌が『COM』というマンガマニア向けの雑誌であったこともあり、コマ割りや時間経過の処理など技巧を凝らした表現も特徴で、独特の雰囲気を持っている。中でも衝撃的だったのが、009たちの精神的弱さを突く“神”からの精神攻撃により、9人がそれぞれ「怠惰」「暴力」「金銭欲」といった欲望に身を任せるシーンが出てくることだ。そこでなんと、情熱を抑えきれなくなったヒロイン003と009のベッドシーンが描かれているのである! 
 ただし、これもまた物語の全貌が明らかになる前に中断となってしまった。ちなみに、『神々との闘い編』はサンデーコミックスには未収録で、秋田文庫版の21巻で読むことができる。

さて本題だ。『天使編』『神々との闘い編』がどうしてすごいのか。
それは石ノ森が『009』を(断続的に)描きながら正義について思考を深めていったその一つの到達点だからだ。
6巻の「地下帝国“ヨミ”編」のラストで、石ノ森はついに姿を見せた「黒い幽霊団」の本体にこんなセリフを言わせている。
「『黒い幽霊(ブラックゴースト)』を殺すには、地球上の人間全部を殺さねばならない。なぜなら『黒い幽霊』は人間たちの心から生まれたものだ。人間の悪が、みにくい欲望が作り上げた怪物(モンスター)だからだ!」(原文はカタカナ、読みやすさのため句点を補った)
人間を守るため、平和な世の中を守るために戦っているサイボーグたちにとって、これほど困惑する状況はない。守ろうとしている人間にこそ悪の芽がある、としたら、なにを信じて戦えばいいのか。
この「黒い幽霊団」の言葉が一つの結論として提示されるのは、作中でベトナム戦争や中東戦争といった現実の戦争を登場させてしまったからだろう。現実の戦争を一歩引いて冷静な目で見れば(それはつまりSF的なものの見方でもある)、人間は愚かでみにくいからこそ戦争を止められない、という一面の真実を否定するわけにはいかない。(6巻は当然、このネガティブな問いかけに対する答えを描いて物語を締めくくっている)
「人類は悪であるため滅ぼす」という正義の実行者として現れる『天使編』の天使は、この「黒い幽霊団」の示す一面の真実を一歩進めた存在なのは間違いない。。そして『神々の闘い編』ではさらに一歩踏み込んで、009たちもまた聖人君子ではなく、悪の芽=欲望を持った存在であると描きだしてしまった。これが衝撃的でなくてなんであろう。
『天使編』『神々との闘い編』の連載が'69年から'70年にかけて。それまでにも「人類は悪かもしれない」という問いかけを持った作品は存在しただろう。だが「SF的視野の広さ」と「問いかけの迫真性」、そして「作品のポピュラリティ」という三つを兼ね備えている点が『天使編』『神々との戦い編』を非常に普遍的な作品に仕上げている。
ちなみに人類は善なのかという問いかけを含んだ作品の代表的な作品として『デビルマン』があるが、こちらは連載が'72年から'73年となっている。
ファンはもちろん物語の先を知りたいという素直な気持ちもあった。だが同時に、人類=つまり我々は、正義なのか悪なのかという大きな問いに石ノ森がいかに回答を出すか、そこにも大きな関心があった。だからこそとば口で終わってしまった『天使編』『神々との闘い編』は伝説的なエピソードとなったのだ。

このテーマについて、石ノ森は当然十分自覚的であった。石ノ森は'77年に発売された『009』のLPレコードに「作者テーマを語る」という一文を寄稿している。

(前略)
“悪”という血管の中で、人体(社会)を滅ぼすための一粒のガン細胞ーーそれが「黒い幽霊団」の00ナンバーサイボーグ(改造人間)たちであった。1から8までの実験用(00ナンバー)サイボーグから、より完成に近づいた9人め、それが島村ジョーであった。
そう、島村ジョー・サイボーグ009の誕生である。00ナンバー、まだ未完成のサイボーグ達ーー、彼等はそれ故に、ガン細胞となることを否定し、“組織”から脱け出し、好むと好まざるにかかわらず、その母体の“悪の組織”と闘う“白血球”になったのである。
(略)
やがて、この“白血球”たちは、ひとつの“悪の組織”を壊滅させた。「黒い幽霊団」を滅ぼしたのである。が、人体の血管が“悪”であるとたとえれば、“悪”はいたるところに存在し、それを滅ぼすことは、人体(地球・地球人)そのものを滅ぼすことになりかねない。それでも彼等は闘わねばならぬとしたら……。それが描けることになるはずの。「サイボーグ009」後編“神々との闘い”のテーマなのである。

連載から7年経過しても『神々との闘い』について言及するあたり、石ノ森がこの題材とテーマをライフワークとしていたことがわかる。そして21世紀を目前に、石ノ森はいよいよ完結編を描こうとするが、連載直前の'98年に鬼籍に入ってしまう。
ただし石ノ森の膨大な構想メモを引き継ぎ、息子の小野寺丈が小説として『2012 009 conclusion GOD'S WAR』を執筆。2012年に全3巻での完結が予告されている。また並行してマンガ版『009 conclusion GOD'S WAR』(画は早瀬マサト)がWEBマガジン「クラブサンデー」で連載されている。

さて「009 RE:CYBORG」だが、「現代における正義とは何かを考える作品」という神山監督の所信表明が、実は今まで見てきたように『天使編』『神々との闘い編』に宿っている精神にかなり忠実なものといえる。
全編3DCGで描かれ、かつ立体視で作られる同作は、キャラクターデザインを(オリジナルを尊重しつつ)一新している。が、そうした装いのアップ・トウ・デートととは別に、本作は40年前に石ノ森が到達した普遍的なテーマにずばっと切り込む作品になりそうなのだ。
(藤津亮太)