『成程』平方イコルスン/白泉社
タイトルは「成程」ですが、内容は全然成程じゃない、日常の中の非日常が面白いマンガ『成程』。B5サイズの大判コミックスですが、開いて納得の密度。マンガの色んな常識を破壊したこの一冊の表紙は、手をポンとたたいている3人娘が目印。

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でかい。このマンガでかい。
書店によっては雑誌棚に間違えて並んでいるほどでかいB5サイズマンガ、平方イコルスン『成程』が発売されました。
このサイズの有名なマンガだと、例えば宮崎駿『風の谷のナウシカ』とか大友克洋『AKIRA』があります。

『成程』がB5版である理由は、少しだけこれらの作品と共通しています。
通常のマンガはだいたい1Pに4から8コマ程度。少女漫画だともっと減りますね。8コマでもA5やB6判型を考えると多い方です。
ところがこのマンガ、基本1ページに10から17コマ近くある。
1ページ密度が尋常じゃなく多く、しかも右上から左下に読むというルールをぶっ壊している。
単純に文字が小さいからB5じゃないと読めないというのもありますが、最初からB5を想定して描いて構成されている。
ページが細かいコマをわった一枚の絵になっているんです。内容を読む前に見た目でまず圧倒されるはず。

この短篇集『成程』はもうひとつすべて手書きというとんでもない特徴があります。
スクリーントーンは一切使っていません。吹き出しの中もすべて手書き文字。
吹き出しの形状がセリフの文字をぶった切るなんていう芸当も、手描きだからできます。
もうすべてをひっくるめて「絵」なんですよ。

もうなにからなにまで規格外の塊みたいな作品。
「シュール」とか「不条理」と言っちゃうのは簡単だけど、そんな枠にすらもおさまらない。だってセリフとかものすごい計算されてるし、かといって難解にしようとしているだけではなく、エンタテイメント要素もバッチリ入っている。
意味がものすごくあるような、実はなんにも無いような、珍妙なやりとりを集めて答えも読者に託された恋愛マンガ、ともうしましょうか。
なんかしっくりこないですね。

ちょっと例をあげてみます。
『練り損』という短編の会話の一部です。
「でもその時代では狐のかしこさって割りとみんなが実感してて…」
「てかまず水草どーやって集めんの? 手? あ口? 手ーないし」
「あ、りこ。痩せた?」
「え、そかな」
「うん、痩せた痩せたー」
噛みあって……る? 
この会話の繋がらなさ。ぼくも発表当初から何度も見ているんですが、意味はちっともわかりません。
わからないんですが、この感覚はわかるんですよ。
女の子たちが会話している中で、ふっと別の話をするあの感覚。
最初あっけにとられていると、あとからりこはこうモノローグで語ります。
「くっそ畜生おのれ憎らしい。そりゃ自分は見る目麗しいかも知らんけど、いちいち人の肉づきを。なんだよ、なんなの? しかもだいたい肘が汚えよ。…人の肉づきばっかり目で追ってっから己の肘見過ごすんだ」
肘汚いかー、肘かー。
ちなみに「肘」にはこれまた手書きでルビふってます。味があります。
ここから肘が汚い彼女のことを好きな少年が出てきます。
あーそうよな! かわいくて肘汚いって、腹立つ人からしたらイラっとするけど、好きな人からしたらちょっといいなポイントよな!
わかるけど、わからない。わからないけど、わかる。感覚の中の表に出ていない部分をごりごり引っ張り出します。
文体がちょっとだけ特殊なのもお気づきになるでしょうか。小説を読み慣れている人だと逆にすんなり読めるかもしれない、マンガらしくないセリフです。

基本4ページ前後。めちゃくちゃ短いです。
短いですがいかんせん1ページに十数コマもありますし、上のようにセリフが文学調で妙にリズムがイイ。
短篇集だと「気軽に読んでくださいね」とすすめやすいんですが、このマンガに限ってはその4ページ読む時に「覚悟しろよ」と言いますねぼくは。
先ほどの『練り損』はまだ現実味のある話です。肘汚ねえけど。
本の序盤はその他にも歯磨きについて真剣に悩む女子高生の話『汚れるな歯』など、まだわかりやすい(いやわからないけど)話が掲載されています。
ところが途中から、ヘルメットのにおいフェチの話『性的寄り道』のように徐々に「えっ?」という話が展開。好きな先生と約束をして草鞋(わらじ。草履とは違うんですってよ)を編む話『恋の草鞋編み』、怪奇現象が多発する部屋に住んでいる女性が友達を泊める『嘆きの犬』など、日常的な話の中に非日常が入ってきて、どうとらえればいいのか困惑させられはじめます。
極めつけは、くさりがまを忘れてきて脇差を借りる少女の話『とっておきの脇差』と、タイムパラドックスSFのように見せかけてグダグダとファミレスで話している解決策のないマンガ『むずかしい』。
最初に「えーっ」ってなるのはまだまだ序の口なんですよ。明らかに読み進めるに連れて、作品のハードルが上がっている。作者のレベルがあがったとかそういう状態じゃないんです。
「最初読んでこういう作品だってのはわかったでしょ? 次はこのくらいだよ。わかってきたかな、そろそろ全開でいこうか」という編集をされているんですよ。特に『とっておきの脇差』と『むずかしい』を読み解くための難易度の高さは異常です。コマ一つ一つが謎だらけ。

で、これが一番大事なんですが、この作品群読み解く必要がないように作られています。
100%の答えがないんですよ。「もしかしたらこうかな?」というのはあるんですが、「いやそうじゃないだろ、こうだろ」「いやいやまてやはり肘が汚ねえのは」と答えがない問答ができるのが最大の醍醐味なんです。

あっ、どういう作品かいうのが困難、と最初に書きましたが、説明できる言葉がありました。
誰かに話したくて仕方なくなるマンガです。
とにかく心のフックにひっかかるシーンが多い。しかもそれに対して解答がない。
なぜ彼女はくさりがまを忘れたのか。免許証も一緒に忘れたりと無駄に生々しいのか。なぜわらじを少女は編むのか。かつて一度だけ貰ったというラブレターには何が書いてあったのか。釣り部はなぜ結成されたのか。あのキャラは、このキャラは、そのキャラは何を考えているのか。
出てくるキャラみな多弁ですが、重要なところでセリフがありません。もう全部読者に委ねられているんです。
ここまで解説をしないマンガも珍しい。セリフの多さも、詭弁なのか重要なのかすらわかりません。
オチもほとんどない。「そこで終わるの!?」ですよ。

でもね、解答がないってことは、卒業しなくてすむってことです。
たった一冊の本ですが、延々と何度でも読めるんですよ。
謎が謎のまま大切に保管されている作品だから。そこを楽しむためのマンガなんです。

こうなってくると誰かと話したくて仕方なくなるものです。俺はこう思ったけど、君はどう思う?
この本、巻末に有名作家12人の、この作品にあてたイラストが掲載されています。
ラインナップも、久米田康治、沙村広明、宇仁田ゆみなどなど豪華絢爛。
でも、「このマンガは面白くて云々」なんて言葉は別に見たくはないじゃないですか。違うんですよ。
読者のモヤモヤを共有してくれるような、漫画家さんたちの「私の見た『成程』」がイラスト化されているんです。
ここまで一切褒め言葉のない作家の寄稿イラスト見るのも初めてですね。
完全にやってることは、お酒飲みながら同じマンガ読んだ人が「あのシーンはああで」「いや違うこうだろ!」って話しているあのノリです。マンガ家さんたちと「ちょっとさーあのシーンどう思う?」と雑談している気分になります。
このページがあることで、答えのないマンガを共有して楽しむ道がひらけました。

あとは、面白いと思ったらさらにいろいろな人と話し合うといいと思います。ツイッターとか便利なものありますしね。
一人で読みながらモヤモヤ考えるのもいいですが、「肘汚い女の子いいよね」って話を誰かとしたほうが何十倍も楽しくなりますよ。
かわいくて肘汚い女の子いいよなあ。

平方イコルスン『成程』

(たまごまご)