写真上から、『イチロー・インタヴューズ』(石田雄太・著/文藝春秋)、『負けない心』(広岡勲・著/ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『イチローvs松井秀喜』(古内義明・著/小学館)。
『イチロー・インタヴューズ』と『負けない心』に関しては電子書籍版も展開されている。

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イチロー、ヤンキースへ──。

昨日のニュースはこの電撃トレード一色だったと言っても過言ではないだろう。移籍だけでも衝撃なのに、その移籍当日に古巣マリナーズとの試合、ということにまた驚かされた。
マリナーズとの契約が今季限りだったこともあり、移籍の噂が皆無だった訳ではなかったが、それでもやはりビックリしたのは、イチロー自身に「シアトルで現役を終えたい」という発言がこれまでも多かったからだ。石田雄太・著『イチロー・インタヴューズ』という本の中でこんな記述がある。

“勝てるチームを求めてチームを移るという考えもあるでしょう。でも、そうじゃない考え方もある。どっちも正解なんですよ。ただ、この6年で築き上げてきたものは、今から他のチームに行って同じ6年を費やしたとしても絶対に築けない。だったら僕は、やらせてもらえる限りはずっとシアトルでプレーしたい。今はそれ以外、考えてないですよ”

これは2006年のシーズンオフの発言なのだが、ここからさらに6年の月日を経て、考え方、そしてイチローの置かれた境遇が変化したと言う事実が非常に重い。
イチローの移籍の経緯、記者会見の様子や移籍試合の詳細についてはスポーツ紙をはじめ各種報道でなされると思うのでそちらに譲るが、ここではイチローがこれまでヤンキースをどう捉えていたのか、そしてこれから活躍するであろうニューヨーク・ヤンキースという球団についてわかる書籍を、入門編として3冊紹介したい。


【どのチームにとってもヤンキースは大きなカベ】
まずは上述した『イチロー・インタヴューズ』だ。イチローがオリックス・ブルーウェーブからシアトル・マリナーズへの移籍が決定した2010年秋から2010年シーズン直前までの10年間に渡る、のべ100時間超のインタビュー集だ。この10年はイチローの代名詞でもある「シーズン200安打」を記録し続け、リーグMVP、オールスターMVP、シーズン安打記録、そしてWBCの連覇を成し遂げた、まさに充実の10年間。イチローファンであれば是非とも押さえておきたい一冊だ。
この本の中で、イチローが「ヤンキース」について言及している場面がある。2001年のシーズンオフ、ヤンキースとマリナーズの違いについて質問されたイチローはこんなことを答えていた。

“特別な試合で、普通にできること。これがヤンキースの一番の武器でしょう。決して彼らが特別なことをやっているわけではなく、相手を考えさせられたり、相手を変化させている。決してヤンキースが変化しているわけではなく、ヤンキースが相手チームを変化させているのだと思います。どのチームにとってもヤンキースは大きなカベ。そういうものを大いに感じさせてくれたシリーズでしたし、同時にそういう存在でありながら必ず勝つヤンキースの偉大さも感じました”

イチローがメジャーにおいてポストシーズンに進めたのは結局この2001年シーズンのみであり、その時苦杯をなめたヤンキースに移籍するというのも因縁めいた展開である。
そしてこの『イチロー・インタヴューズ』を読むと、イチローがその後、毎シーズンの様に自身の記録とチームの結果が伴わなかったことへの苦悩や葛藤を抱いていたことをうかがい知ることができ、イチロー回顧録としても最適の書である。


【一番大事なのはベストを尽くしたかどうか】
万年最下位が定位置だったマリナーズから、常勝チームのヤンキースへ。これは移籍会見でイチロー自身、「気持ちの持っていき方が難しい」と語っていたことだが、環境が変わることでもっとも変化するのが、これまで「記録」で培ってきたイチローの歩みを、「勝利という結果」で表明していかなければならない点だろう。
この「記録」についてのイチロー自身の考えについてが、今月発売されたばかりの『負けない心〜メジャーリーガー不屈の言葉〜』(広岡勲・著)に記されている。

“成功という言葉は嫌いだし、記録、記録と騒がれるのも嫌いです。
記録とは、誰かが別の人間より優れているという意味ですから。
みんな、記録で選手を比較したがる。
記録に価値がないとか、重要でないとか言っているわけではありません。
一番大事なのはベストを尽くしたかどうかです。
準備をしっかりして、全力を出し切ったかどうかです”

イチローに関してのインタビューや記事でよく目にするのが、マリナーズにおける周囲の選手との温度差だ。毎年、シーズン早々に下位に低迷し失速するマリナーズにおいて、それでも尚、結果を出し続け、ベストを尽くしてきたイチロー。かつてのチームメイト・長谷川滋利氏によれば、イチローは誰よりも球場に早く来て、準備をし続けてきたという。
今回のトレードによって、純粋に「勝利」だけが求められる常勝軍団ヤンキースの一員となったことで、むしろイチローの準備やベストを目指す姿勢がより正当化され、「記録」も再び浮上するのではないかと密かに期待している。

この『負けない心』はメジャーリーガー達の名言を集めた本であり、著者である広岡勲氏はヤンキースで日本人初の広報を務めたこともある人物だ。それだけに、登場するメジャーリーガーにもヤンキースの歴代の選手が多く、イチローの移籍で「ニューヨーク・ヤンキース」をもっと知りたくなったと言う人にオススメである。収録されているヤンキース・レジェンド達の名言も一部紹介しよう。

“野球でプレッシャーなんて感じたことはない。本当のプレッシャーというのは漁に出た時に感じるものだ”
(600セーブを記録した歴史的ストッパー:マリアーノ・リベラ)
“ヤンキースの一員になれた幸運を紙に感謝したい”
(マリリン・モンローを愛した男:ジョー・ディマジオ)
“僕はコントロールできない過去よりも、変えていける未来にかけます”
(松井秀喜)

どの発言も、名門チームらしい誇りと心意気を感じることができる。
もちろん、ヤンキース以外でも、ベーブ・ルース、ハンク・アーロン、ミッキー・マントル、そして野茂英雄、桑田真澄など、なじみのあるまさに「メジャーな選手」ばかり24人の名言がまとめられているので、ヤンキース、そしてメジャーリーガーの心の持ち方を知りたい方にオススメの本だ。


【『ドカベン』好きの松井・『キャプテン』好きのイチロー】
数年前まで、「ヤンキース」と聞いて連想するのは間違いなく松井秀喜だった。ライトなファンであれば「ヤンキース=松井」で認識している人も少なからずいただろう。今回、イチローが入団したことでこの図式が変わり、また、松井とイチローの比較がこれまで以上になされるのではないだろうか。そこで押さえておきたい一冊が『イチローvs松井秀喜〜相容れぬ2人の生き様〜』だ。

<20世紀のライバルが「王貞治と長嶋茂雄」のONならば、21世紀のライバルは「イチローと松井秀喜」に違いない>という前程のもと、2人の野球人生、そして精神面までも徹底的に比較・分析した一冊だ。『ドカベン』好きの松井・『キャプテン』好きのイチロー、など競技以外の部分での比較も多く、2人のファンであれば読みどころは満載である(水島先生自身の言及では、イチローも『ドカベン』好きだった筈だけど……)。
この本は2010年の刊行なのだが、何度もイチローのヤンキース入団の可能性について言及されており、今回の電撃トレード成立は、ニューヨークを拠点にメジャーリーグの取材を続けてきた著者の面目躍如と言えるだろう。独自の人脈と情報網から描かれる考察は、よくある「イチロー名言集」や功績をたたえるだけの本とは異なり、メジャーに置けるイチローの置かれた環境を知るにはちょうどいいかもしれない。
この本で特に注目したいのは、松井が「王道」を歩み、イチローが「覇道」を歩んできた、という考察である。少し長いが引用してみよう。

“イチローが圧倒的な記録で歴史に名を刻んでも、手に入れられなかったのは「名門」のブランドだ。一方の松井はそれを両手の中に握りしめ、野球界の表通りを歩んできた。
孟子に「王道」と「覇道」という2つの言葉がある。辞書を引くと、王道は「仁義に基づき国を治めること」、覇道は「武力をもって国を治めること」といった意味だ。私はその言葉こそ、2人の生き様を体現していると思う。
イチローは自らの力で打ち立てた金字塔により、松井を圧倒する存在感を誇示している。一方の松井はチームのために自分を生かし、愚直なまでに王者になることにこだわってきた。それはあたかもイチローが自らの力で球界に君臨するのに対し、松井は自らの徳によって、球界に君臨していると言えよう”

しかし今日、「個人記録」と「地方球団」という系譜を歩んできたイチローが遂に「名門」の仲間入りを果たし、この図式が崩れることとなった。これからイチローがどういう道を歩むのか、「王道」を突き進むことができるのかを見定める上でも、本書でこれまでのイチローの軌跡を反復してみるのもいいだろう。


イチロー関連本はそれこそ数えきれないほど刊行されているのだが、今回はできるだけ刊行年数が新しい、2010年以降の本から3冊選んでみた。他にも数あるイチロー本については、また機会があれば紹介してみたい。
(オグマナオト)