「小説で人生の何かを教えられるなんて、本当にウソっぱちだなって思いますよ」と語る中原昌也氏

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断筆を経て、4年ぶりに短編小説集『悲惨すぎる家なき子の死』を刊行した中原昌也。残酷なスプラッターシーンや無意味な引用の合間に、「小説なんて書きたくない」という著者らしき人間のグチが延々と続く特殊な作風に、かつては芥川賞の選考会で「0票」を記録したことも。そんな彼が、なぜ文学の世界に戻ってきたのか?

―執筆再開、待っていました!

「いや、再開したつもりはないんですけどね……。お金がなくて、しょうがなく書いただけで。まあ、書いたからって、そんな大金もらえるわけでもないですけど」

―じゃあ、小説が書きたくないという気持ちは一切変わっていない?

「はい(断言)。この本を書いてるときも、『これは小説じゃないから』って自分をだましながら書いてた感じです。こんなもの書かないほうが、よっぽど精神衛生上はいいんですよ」

―はは……(苦笑)。なぜそんなに書くことが嫌なんですか?

「まず、人に文字で何かを伝えたり説明するっていうこと自体に興味がないですね。いちいち「こっちですよ」っておばあちゃんを先導してるような、本質的なダサさがあるじゃないですか。まあ、それを嫌だ嫌だって言いながら書くことによって、喜んで書いてる作家たちに冷や水を浴びせてるっていう側面はあるんですけどね」

―嫌がらせですか! この本に収められている小説にも、3・11の後、テレビの中で「頑張れ」と連呼していたタレントを批判するような一節がありますね。

「そりゃ、震災が起きたことは悲しいですけど、グジグジ泣いたり自粛したりしても何も解決しないじゃないですか。あくまで世界っていうのは生きてる人のものでしかないわけで。「絆」とかワケわかんない言葉で、死んだ人や被災した人の気持ちを関係ない人にまで押しつけるなよって思いません?」

―ただ、そういう「共感ムード」が、震災後はいわれるようになりましたね。

「気持ち悪いですね。人々が口々に言う、『本の中の登場人物に共感できた』とかいうのも、文学の基準としておかしくないですか? そんなに泣きたいなら、頭に電極つないでピッてボタンを押したら涙を流せるように改造したらいいのに!」

―徹底的に言いますね。

「小説で人生の何かを教えられるなんて、本当にウソっぱちだなって思いますよ。ずうずうしく難病モノとか書く作家も人でなしだし、そのウソ話に乗る読者もバカ! そりゃ僕だってね、国から金をもらえるんだったら『絆』くらい書きますよ。でももらえないんだから、より一層、世の中の人々が嫌がるようなことを書くしかないじゃないですか」

―そんな極端な(苦笑)。中原さんの小説が好きな人もいるからこそ、これだけ書く場があるのでは?

「こんなもの好きな人はどうかと思いますよ(キッパリ)。だいたい、知ったような口で『映画みたいだ』とか『文章が音楽的だ』とか言いたがる人がいますけど、まったく当たってませんから。むしろ、『日本語がヘタですね』って言われたら納得できます。僕は、夢の中に出てくる本のようなステキなものが書きたいのであって……。はぁ?。誰か代筆してくれないかな。しかも無料で」

―自分で稼いでください(笑)。

「こんなもの、いくら頑張ってもお金にならないですよ。印税なんて、何年もかけてせいぜい1ヵ月分の家賃が払えるくらい。この本も、重版する頃には、僕もう死んでますから! しかも、こうして宣伝のために取材を受けても、『斜に構えたヤツ』って見られて終わりなんです、ええ……。今日はありがとうございました」

(取材・文/西中賢治 撮影/高橋定敬)

●中原昌也(なかはら・まさや)

1970年生まれ、東京都出身。90年から「暴力温泉芸者」、97年から「Hair Stylistics」名義で音楽活動を展開。2001年『あらゆる場所に花束が……』で三島由紀夫賞、06年『名もなき孤児たちの墓』で野間文芸新人賞、08年『中原昌也作業日誌』でドゥマゴ文学賞を受賞

『悲惨すぎる家なき子の死』

河出書房新社 1575円



既存の文壇や批評家に反発し、07年末に断筆宣言した著者が4年を経て送る新作短編集。作家らしき主人公が打ち棄てられた空き地に迷い込む表題作や、動物の死骸にまみれた絨毯について語る「死体晒し場」など、“反文学”とも言われる作品を7編収録