内田はCLで対戦したバレンシア戦、そしてELでのビルバオ戦についてそう振り返る。ゴールを決めても笑顔を見せず、闘志をぎらつかせ、その佇まいだけで、チームメイトを鼓舞したのがラウルだった。
 昨季のEL、そして今季のCLとグループリーグで敗退したドルトムント。かたやシャルケはどちらでも決勝トーナメント進出を果たしている。ラウルというベテランの存在が結果の差を生んだのかもしれないと思う。

 4月28日ホーム最終戦となる対ヘルタ・ベルリン戦は4−0と大勝した。ラウルもゴールを決め、CLへの出場権獲得も決まった試合後には、ファンとのお別れ会が行われたという。
「セニョール・ラウル!」
 シャルケではゴールを決めたあと、アナウンサーがファーストネームをコールすると、スタンドのサポーターが「セカンドネーム」を叫ぶ。ラウルなら、「ゴンサレス」「ラウル」となるのだけれど、加入直後から彼に敬意を表したように「セニョール」とコールされてきた。そして、愛すべきレジェンドのひとりになった。

「ラウルはあんなにすごい選手なのに、偉そうなところが全然ないんだ。俺なんかのことにも気を配ってくれるし、若い選手の話もきいてくれる」と内田。
 試合後に内田の取材をしていると、その後ろを歩くラウルが、内田に教えてもらった日本語を口にすることが何度もあった。
 もちろん、いつも笑顔でにこにこしているわけではない。敗戦のあとなどは深く暗いオーラを漂わせる日もある。苦闘があるからこそ輝く日が来るんだとそんなラウルを見ながら感じた。

 ラウルの移籍問題は今季に入った直後から何度も何度もドイツメディアを騒がせていた。
「2年間はレアルと折半していたラウルの年俸(約6億円)をシャルケだけでは支えきれない」
「ラウルは複数年契約を希望しているが、財政難もあり、シャルケは単年のオファーしか出せない」
「中東から4年契約で6億円近いオファーがカタールから届いた」
 など、シャルケにとって不利な話題ばかりだった。
 それでも、CLやELなどヨーロッパの大会への連続出場記録も続いているラウル。来季、シャルケがCLの出場権を獲れば、状況は変わるんじゃないかと私はひそかに考えていた。お金でなく、キャリアを優先するに違いないと。

 しかし、退団を決断したラウル。会見では「欧州でプレーしない」とも話している。そして、シャルケの公式HPインタビューで次のように語っている。
「(シャルケに)すごく残りたい気持ちもあるけど、他の道を行く時がきたと思う。僕はとても長い間、高いレベルでサッカーをやってきた。たくさんの試合をして、アウェーにも行ったし、いつも最大限に集中していた。でも僕は大きな家族を持ってすごく幸せ、5人の子供がいるからね。新しいプロジェクトを始める時がきたんだ。家族のためにもっと時間を割いて将来の準備をするっていう、新しい道ね。サッカーの世界とはまた違った事をする道だね。」

 
 そんな彼の言葉に触れて、改めて彼のキャリアの濃さを実感した。
 シャルケでの日々は「まだ俺はやれるんだ」というプライドを賭けた闘いだったのかもしれない。加齢による衰えを感じさせないプレーをし、チームの勝利のために仕事をしてみせた。ラウルが来季も「欠かせない選手」でいることをシャルケファン誰もが感じているだろう。
 しかし、そんな風に闘うために、ラウルが犠牲にしてきたものも数多くあったのだろう。だからこそ、現役を引退するまでのエンディングノートを静かな環境で綴りたいというラウルの決断にも納得ができる。

 私がラウルを気にし始めたのはあるインタビュー記事に書かれた小さなエピソードだった。1996年春に発行された「number 392号」に掲載されている。金子達仁氏の原稿である。